20話
携帯電話が振動して誰かから電話がかかってきたとすぐに分かった。ディスプレイに表示された名前を見て溜息をついた。
《お前どこにいんだよ……》
「ホテルのラウンジ」
《はぁ?帰ったのか》
「え、連絡してたよね」
《そんなの見ずに電話かけた。周り探してもいなくて焦ってたんだよ、こっちは》
少しだけ息の切れているその声に、話していることは本当なんだなぁとか悪かったなぁとか思ってしまった。が、私は決して悪くない。鉄朗の顔が悪い。私は悪くない。
「ごめんごめん」
《微塵も思ってねぇだろ。ったく……心配して損した》
「そんなね、少女漫画みたいな誘拐されて助けてーなんて話ないからね」
《そんなの想像してねぇよ馬鹿。というか、迷子になってねぇか心配してた》
「あ、そっち。私は何歳児よ!」
少しイラりとして大袈裟に声を大きくする。それから電話越しに笑い声が聞こえたかと思った瞬間凄く失礼な事を言われて余計に大声を出す羽目になった。
《だってお前、チビじゃん》
「うっさいわ!」
けったいな笑い方をした鉄朗は今から戻ると言って電話を終えた。柔らかくて体が沈むソファに腰をおろし、携帯を太腿の上においた。大きな窓ガラスから空を見上げる。宮城の空はもっと広くて蒼かった気がする。それに遠かった。
東京は大きな建物が多くて空に手を伸ばせば届きそうな、そんな気分に陥るのだ。
「 徹……」
固く目を閉じて名前の主の顔を思い浮かべる。それからふと思うのだ。及川の顔って、どんなのだったっけ?あいつの心から笑った顔ってどんなんだった?思い出せないよ。長年、一緒にいたのに、及川の顔が出てこないよ。
「ずっと一緒だと思ってた」
膝を降り、顔を埋める。目を開けばまっ暗な闇。黒一色で塗りつぶされたその空間に背すじが凍った。何故かあの最後の試合を思い出した。
目の前が真っ暗になって、涙も出なかったあの試合。誰一人と前にいない、そんな感覚になった。怖かった。もう勝てないとわかったから諦めたあの人達の気持ちなんかわかりたくもなかった。
「ッ……馬鹿」
勝手に怯えてる自分に嫌気がさす。それをバレーを教えてくれた及川のせいにしようと思ってることにも。
「なーにが馬鹿だ。バカ野郎」
「!! 鉄朗」
「おう。さっさと帰りやがって」
「あれは鉄朗がわるい」
さほど離れていない所だったからか、案外すぐにホテルに帰ってこれたんだな。他人事のように思ったあとに結局他人だし、なんて思いながら膝から顔をあげて鉄朗を見上げる。相変わらず大きなその身長が羨ましい。
「なぁ、」
「何よ」
「及川クンもああやって囲まれてたのか?」
「そりゃもう。おかげで私と一は蚊帳の外」
ソファから立ち上がって窓ガラスに近寄る。綺麗に磨かれた窓ガラスに手を伸ばして自分の指紋をつけた。汚したくて汚した。
「へー。こうやって帰ってんだ?」
「うん。それで及川に怒られて。楽しかったなぁ、あの頃」
「ん?」
「中2くらいかな、怒らなくなった。ヘラヘラ〜って笑いながら言うんだ。また置いてかれたって」
別に初めは何とも思わなかった。でも、ヘラりと笑いながらいうその言葉は気持ち悪く感じた。今までは何で先に行ったのさ、とか置いてくなんてひどいじゃんか、とか。絶対に語尾を強くして怒っていたのに。及川はそんなこと一言も言わなくなった。
「とりあえず、いけ好かないやつってことか?」
「それが私と一の前だけなんだよね。意味わかんない」
「ふーん?ヤキモチ、とか」
「へ?」
「つまり、#name2#は一クンとばかりいたわけだ。及川クンは自分にもかまって欲しかったんじゃねぇの?無意識に構って欲しくてそんな行動をとったとか?」
「はぁ?そんなどうでもいいことで?」
「自分の僅かな変化に気づいて欲しかったんだと思うぜ〜?」
同じ男の子だから分かることなのかもしれない。そういうことは私には全くわからないよ。
「言ってくれたらよかったのに……」
―男には男のプライドがあんの
その言葉に笑い転げて、それから納得したのだ。女にだってきっと女にしかわからないプライドがある。例えば胸の大きさとか。体重とか。そんなこと、と男からすればどうでもいいのに女からすればかなり大きな問題である。
「それも、そうかな」
「笑うな馬鹿」
「あはは、思い出してまた笑うかも」
「何でだよ、ったく」
「そんなの、鉄朗の口から出てくるなんて思わないじゃん」
「何だと?」
顔を見合わせて大口あけて笑って。こんなに楽しいものなんだ、宿泊研修。そんなことを思って幕を閉じた宿研だった。