真っ白なフィルム | ナノ


  にじゅうに


「光!光!!!!!」


「ちょっと……」


「すみません、すみませっ」


「そこの人、止まってください!」


振り返れなかった。その声は紛れもなく、私の愛しい人。赤司征十郎の声だった。きっと、一度聞いたら忘れないであろう声。
沢山の人に咎められながら走っているであろう征。


「彼は……」


『……早く行きましょう』


せっかく決心したのに、その決心が無駄になってしまうから。振り返ってはならないから。蓋をした気持ちが溢れ出てしまう。
そうなる前に早く前の人達を行かせて欲しかった。


「待ってくれ!光!!」


「いいんですか?最後かもしれませんよ?」


『……うん、いいの。これで、いい』


「っ、離してくれ!」


ゲート横の一面ガラス張りの一部を見ると赤い髪の毛を揺らして列整備の人々と言い争っている征の姿がうっすらと映っていた。
あんなに必死な彼は久々に見たかもしれない。


「光!もう一度いうよ」


彼に周りが注目して静かな空間が出来上がった。
声を張らなくてもかなり離れているのに征の声が聞こえる。
ゲート前にたっている人も征に釘付けで動いてくれない。


「結婚前提のお付き合いをしてくれませんか?」


あの日と同じ、一言一句間違っていないその言葉に足を止めた。山岸さんが私を振り返り不安そうな顔で見る。


「今度は、断ることを許さない!」


何故、何故だろう。なぜ断ったことを知ってるの?
誰かに聞いたのだろうか?それよりも、彼は結婚している。
昔の人じゃないのだから、何人も奥さんを持つことは許されない。どこの国の王様ですか、あなたは。


『あなたには香織さんがいる』


「……もういない。いないんだ」


大人しくなったことで開放されたのか、どんどん靴の音が近づいてくる。
いない、その言葉に期待してしまった自分が嫌だった。香織さんの将来を結局は私が壊してしまった。


「好きだ、光。もうきっとこの先も光しか好きになれないよ」


『こないでよ……』


「ねぇ、聞いて?」


すぐ後ろから声が聞こえる。


「好きなんかじゃ足りない。愛してるよ、光。忘れてて、済まなかった」


本当に、思い出してるの?
思い出したのならどうしてめげずに私を責めずに、私に手を差し伸べてくれるの?
私は責められるくらい、あなたに酷いことをしたのに。


「ねぇ、返事は?今して」


『……お断』


「その答えは受け付けていない。昔の時のように断らないでくれ」


ぎゅう、と私を抱きしめているその腕をどうにかして解こうと触れた。その瞬間伸ばしたその腕を反対に捕まれ逃げられなくなってしまった。


『……離してよ』


「無理な話だ」


『香織さんは?いないってどういうこと?』


後ろから抱きしめられているその温もりが懐かしくて、自然と視界がボヤける。先ほども泣いたからか目頭が痛んだ。


「……離婚、した」


ああ、私はどれほど彼女を傷付ければ済むのだろうか。香織さんを傷付けて、そんなに私は幸せになりたかったのか?


うん、そうだよ、私はこれを望んでいた。
誰が傷付いたっていい、幸せになりたかったから。だからこの状況は私の夢見ていた状況。きっと嬉しくてたまらないと思う。
本当は心の中で喜んでる。


『――だよ』


「え?」


『好き、大好きッ!』


瞳から溢れたそれは征の腕を濡らした。


『ふ、ぅ……私だって、ずっと、言いたかっ、た』


あなたにどれだけこの2文字の言葉を伝えたかったか。いや、4文字だね。


『愛してる……』


こんな汚い感情、許されないかもしれない。
香織さんと征が離婚して、嬉しいという汚い感情。香織さんを傷つけてまで手に入れた征に私は愛を伝える権利は本当は無い。それでも、伝えたいから、離れたくないから。


「アメリカなんて、行かないでくれ」


『……でも、』


「約束したろう?僕のそばからもう離れるな、と」


『!記憶、戻ってるの?』


「髪の毛も、切るなと言ったのにこんなに切って……」


『……ん、ごめん』


ああ、堰を切ったように涙が溢れ頬を、服を、征の腕を、床を濡らしていく。恥ずかしくて自ら方向転換をした。そこは征の胸で。


「!……行かないでいてくれるか?」


『……行きたくない』


「行かないと言ってくれ」


『……でも、仕事が』


「僕の隣にいたらいい。仕事しなくてもいいから」


『それじゃあ、旦那様にお金をお返しできない』


「僕と結婚したら、そんなことしなくてもいい」


『それに、旦那様に拒否されるに決まっている。結婚できないよ』


「いいよ、あんな人放っておいて。お前は僕といることだけを考えて」


でも、そう言った時後ろから何かを破る音が聞こえた。振り返ると搭乗券を、ビリビリに破っている山岸さんがいるのだ。
彼女は彼女がマネージメントをしている人のことを一番に考えてくれる。例えそれが彼女の首を締めることでも。


「あなたは……」


「赤司征十郎さん、ですね?」


ゴミのように搭乗券を破り捨て手についたクズまでも払うように手を叩く。
驚いて、声が出なかった。彼女がここまでしてくれると思ってなかった。一緒にいたのは他人と比べると短いのか長いのかわからない。6.7年一緒に仕事をしてきた彼女は私の仕事仲間で一番信頼している人だった。


『ど、して……』


「あなたは私のことをたくさん見てくましたね、白銀さん」


『何言ってるの?こんなことして、あなたにお咎めが来たら私ッ』


涙て視界がぼやけて山岸さんはどんな顔をしているのかわからないけれど、微笑んでいる気がしたんだ。


「赤司さん、白銀さんを宜しくお願いします。馬鹿で間抜けなんですよ、その人」


何で涙声なんですか?


「私は白銀さんに憧れていた。そして私と重なった。白銀さんには後悔して欲しくない。大切な人と離れる苦しみがどれほど苦しいか、わかって欲しい」


『どういう、意味……』


「私はあなたの幸せだけを願ってるってつってんのよ、馬鹿」


征から離れて私は山岸さんに抱きついた。女性だから思い切り。
だって、ようやく澄んできた視界の中で彼女はボロボロと泣いていたから。


『あり、がとうッ……』


「何、言ってんのよ……」


『私は、あなたに助けられてばかりだった!苦手だとさえ思っていた。私はあなたを尊敬する……山岸さん、あなたは私の友人の中で最も信頼できて、頼れる人だ……ありがとう、本当に、ありがとう』


感謝しきれないくらいだ。
怒鳴られてばかりだった日もあった。でもそれは私のことを思ってだ。
私はどれだけ彼女に助けられたのか数え切れない程だ。


「赤司さん、彼女を幸せにしてください。お願いします」


「……ああ、勿論だ。ありがとう、山岸さん」


「!……いいえ、何のこれしき」


ボロボロに泣いてしまった私を抱きしめてくれたその腕。
私からも抱きつくと両頬を挟まれた。


「愛してる、光」
『愛してるよ、征十郎」


ガラス張りのそこに私と征が重なったのがうっすらと映った。
優しくて、包み込むようなそのキスにナミダが再び涙が一筋流れた。


―Fin―

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