じゅういち
「……ねぇ」
「何だい?」
「あの、ね」
「うん」
光と会ってから香織はおかしくなたった気がする。こんなにも、僕を毎日のように求めたろうか?
「ごめん、疲れてるんだ。その気はないよ」
酷いとわかっていても、疲れているものは疲れている。そういうことをするつもりはない。
将棋がしたいな……光とやった時が一番楽しかった。真太郎よりも強かったからな。
だからだろう。もっと打ちたい。でも、今そんなことをするために会いに行けば、また色々なことを好き勝手言われてしまう。
彼女の仕事上そうなってしまうのだから仕方ない。
「あ、ごめんなさい……」
「いや、僕も済まない」
きっと今日もまた、夢を見るんだろう。
雨の中にポツンと傘をささずに蹲っていた影。長い髪の毛が地面について汚れていた。真っ白なワンピースはボロボロになっていて、悲惨だった。それから彼女は僕の家に来ることになる。
きっとそれからはずっと一緒だった。でも、白黒写真のようになっていて、彼女がどんな髪色をしているかは分からない。顔もボヤっとしていてわからない。
「っはぁ……」
無理に思い出そうとすれば頭が痛む。やはり僕は何かを忘れている。
……本邸に戻れば写真か何かあるはずだ。明日にでも訪れてみようか。
「ごめんなさい、まだご飯が……」
「ああ。香織、無理しなくても使用人を呼べば……」
「い、いいわ。頑張るから」
お嬢様とだけあって彼女は家事が全くできない。嫁入り修行はしていたようだが、苦手なものは仕方ない。
使用人が、前来ていたのに来なくなったのはやはり香織が何か言ったんだろう。
「……香織、香織は料理が得意じゃなかったか?家事全般できたろう?」
「え?」
「だってあの日……」
あの日?あの日って何だ?
香織が一度でも僕に高校の時料理を作ると言ってくれたか?いや、一度もない。結婚してから最近ようやくやるようになった程度だ。
……僕の中で無理に笑って料理をしようとしている人は誰だ?
「光……?」
「っ!?」
台所から聞こえた皿の割れた音に考えが一気に消し飛んだ。
急いで香織の元へと行く。どうやら破片で足を切ったようだ。絆創膏を取りに行き貼ってやった。
「香織……疲れているなら休め。僕が自分で作っておくから」
顔が真っ青で震えている彼女の肩を掴み寝室まで歩かせ寝かせた。
リビングに戻りテレビをつけるがやはり長期休暇と言っていたとおり休みなのか、テレビをつけてもあの綺麗な銀のような白髪は見られなかった。
****
「おかえりなさいませ、征十郎様」
「ただいま。帰ってきて突然だけど、アルバムを出してくれ。少し見たい物があってね。それと、中学のもの一式。至急頼む」
「はい」
何人かの使用人にそう呼びかけ僕の部屋だった場所に入った。
香織と結婚してからはあの家に住んでいるし、高校、大学共に一人暮らしだったこの部屋は中学卒業以来だ。
いや、一度荷物整理をするために結婚前に来たか。
「征十郎様、お持ち致しました」
扉をノックして入ってきたのは仲間理恵。僕が覚えている限りでは七歳八歳くらいの時に来たはずだ。
彼女はずっと……僕じゃない。違う人の世話をしていた気がする。
「仲間」
「?はい」
「君は誰を世話していた?」
「……征十郎様を」
「嘘をつくな」
「……言ってもわからないのでしょう?」
彼女が、いや、使用人が初めて僕に口答えしてきた瞬間だった。
そんなこと、誰もしたことがない。言えと言われれば必ず言う。しろと言われれば必ず従う。それが彼らだと思っていた。
実際は違った。守る物があればそれは簡単には動いてはくれず、他人の意志ではなく、自分の意志で動く。
「わからないから、聞いているんだ。答えろ」
「嫌です。また、征十郎様も、あの子も傷ついてしまいます。お聞きにならないでください」
「言え!!!!!!!!!!!!」
壁を拳で殴れば切れ長の目を見開き僕からその目をそらした。
「申し訳ございません。……旦那様が言うな、と」
ああ、また父の差し金か。そんな落胆した思いとは裏腹にやはりこの屋敷には僕が覚えていない人物が存在したのだとわかると嬉しかった。
思い出さなければいけないと、頭の中で囁くのだ。
「わかった。父さんに直接聞くよ」
「お辞めください。あなた様が傷つくこととなります」
「……さっきから何を言っている。知っていることがあるなら答えろ。父さんにはお前が言ったとは言わない」
「征十郎様だったら……好きだった方が結婚してしまったら、どう思いますか?」
仲間の言っている意味が恐ろしかった。
理解はしていないのに、何故かすごく恐ろしかったんだ。
「白銀光さん。それ以上は言えません」
なぜ、ここで玲央の友人の名前が出てくるんだ。
「好きだった方が結婚してしまったら、征十郎様は正気でいられますか?」
僕が、そのここに居た人に恋でもしていたとでも言うのだろうか。
仲間、その問はきっと僕ならこう答えるだろう。
「どう思うか?どう思ったって欲しいものは奪うさ」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「……あなたの心情じゃないのよ。あの子の心情で聞いてみただけよ」
奪えない、あなたも奪われる側な訳がないでしょう。気づかない限り、あなたは奥方の香織様から離れないもの。
奪うことなんてできないわ、征十郎様。囚われてしまったのはあなたなのだから。
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