じゅう
『……はい』
〈良かった、出てくれて〉
電話越しに聞こえた声は冷静で温かみがあった。
焦ってるわけでも、怒ってるわけでもない。本当に、冷静だった。
〈今、そっちはどうなってるんだ?〉
『……会社から長期休暇をいただきました』
頭を下げる勢いはなく、ただ、静かに謝罪を述べた。
私にとっては泣くくらいのことなのに涙なんて出なかった。それは私の不注意でこんなことを引き起こした責任感からか、それはわからない。
それでも、 気丈に振舞うわけでもなくただ単に謝罪をした。それを彼は黙って聞いている。
『ごめんなさい……私のせいです。私が、二人の生活を壊したんです。あの方が言ったように関わらなければ……』
〈あの方……?誰だい、それ〉
『あっ!いえ、何でもありません……それで、なにか用事があったのでは?』
無理やり話題を切り替えるようなことを言ってしまった。少し無理やり過ぎたかもしれない。
いや、そんなことどうだっていい。あの方のことを気付かれなければいいのだから。
〈香織が話したいと言っているのだが……時間はあるだろうか?〉
何を言われるのだろうか。
謝罪を求められたら土下座でもなんでもできる。だがそれ以外は何をすればいいのかわからない。
取り敢えず行くべきだろう。
『行きます。どちらに伺えば……』
〈ああ、香織は家にいるからね。家でも構わないか?〉
『わかりました』
ああ、不安で不安で仕方ない。
征の言ってることからすると家で一人でいるのだろう。
よって、彼女は言いたいこといい放題な訳だ。
****
『すいません』
大きな家が並んでいる住宅街に彼らの家もあった。どの家よりも大きく、威厳があるその家はすぐに見つかった。
別に成金趣味がある、というわけでもないので普通の日本らしい家屋だった。
インターホンを鳴らすと可愛らしい香織さんの声が聞こえた。表札には赤司と掘られている。指でそれをなぞった。
「来て、くれたのね」
報道陣がいなかったのはきっと征がどうにかしたんだろう。
もちろん、どこかで見張ってるなどもない。きっとそこらへんもぬかりない。
「どうぞ」
『……ありがとうございます』
恐る恐る家の中に通してもらった。新築だからか、木の匂いが香っていて気持ちがいい。
リビングとかではなく、客間と言われるであろう場所に案内されソファに腰掛けた。
「どうぞ」
出されたのはハーブティー。この家といい、このハーブティーといい、いい香りだ。
静かにそれに口をつけると香織さんは口を開いた。うつむいてしまってこちらから伺えないその表情は一体どうなっているのだろう。
「どうして、彼と会ってるの?」
『会うつもりはありませんでした』
「何度も会ってるんじゃないの?」
『いいえ。結婚式から会っていませんでした』
「証拠は?」
『スケジュール帳を見ればわかるかと。そんな時間私にはありませんから』
「っ……」
不安、なんだよね。香織さんはきっととっても不安なんだ。
昔からずっと取っ替え引っ替え許嫁を替えていた旦那様。それは征の意志関係なくそれはされていた。それで、最後に落ち着いたのは香織さんだった。
なのに、彼は自分に振り向いてくれない。それよりも、違う人を見ていた。
ようやく幸せになれたのにそれがなくなるかもしれない、そんなたくさんの不安。
でも、だからって旦那の征を信じられないのもどうかと私は感じてしまう。
「怖いのよ……幸せがやっと手に入ったのに……あなたのせいで壊されるなんて御免だもの」
『壊すつもりなんてありません』
「あられたら困るわよ。……でも、どうして……キスとか、抱擁とかしてるの?」
『キスは偽造です。抱擁は私が泣いてしまった際に彼が慰めてくれただけです』
「そこに恋愛感情が一切入っていなかったと貴方は言いきれる?」
『はい。彼はあなたを愛しているのですから』
即答した。本当に私には香織さんを愛しているように見えたから。
結婚式の時、そう見えた。愛おしそうにしている彼。それが愛してないというならば征は俳優になれてしまうだろう。
「……あなたはいつも私の大切な人、ものをとっていってしまう」
人、もの?
「いつも持って行ってしまうもの」
そんなつもりないのに……。
「あなたは愛されてる。だけど、気づいていないだけ」
『な、何を……』
「征十郎は私を愛してなんかいないわ。あなたを愛してるのよ……あなたの面影を私に求めるのよ。彼の目に私は写っていないわ」
『そんなこと……』
前に緑間くんが面影を探していると言っていた。そんなわけ無いじゃん。そう信じていたのにやっぱりそうだったの?
『香織さん、私はもう……征のことは……』
「そんなことない。あなたはまだ好きなんでしょう?」
『っ……』
図星の時はどうしたらいいんだろうか。どうやって彼女を落ち着けさせることができるのだろうか。わからない。きっと気休めの言葉じゃ余計に何か言われてしまう。
『例え、私が、征のことを好きだとしても私は略奪愛なんてしませんし、できません。それに、征の中では私は自分の友達の友達という位置づけです。盗ることなんてできない』
それは本当なのだから。なんと言われようとそんなことできない。略奪愛なんかしたら私はきっと旦那様から何か言われ征と離れ離れになるのだろう。
征が例えわたしのことを思い出したとしても、きっと香織さんを選ぶんじゃなかろうか。
征は優しいから。
ああ、イライラする。そんなに心配なら、子供でも産んでしまえばいいのに。
そんな虚しい考えが頭を過ぎった。
そして口にしていた。
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