不愛



母親のところに行くだけでこんなに緊張するものなのか。


否、こんなに緊張するのは実娘であっても私くらいのものだろう。手に汗握る状態であり、手を頬に当てればとても冷たかった。人はこんなに緊張するのもかと反対に笑いがこみ上げてくる。

「溝淵」
「虹村……アホらしいねぇ、心臓がバックバク言ってるんだ。情けない」
「んなことねぇよ」

頭に乗った大きな手に前につんのめる。

「俺も赤司もいる。落ち着け。情けなくなんてねぇから」

今日、私は自由になる。なれるはずなんだ。泣いたっていい、私は道具じゃないと、人間で主張をすることをわかって欲しい。

「行こう」
「ああ。落ち着け、伊織。言いたいことを言えばいい」
「大丈夫さ、何とかなる」

震える足に鞭打って家の門を開けた。
家に入ると聞こえたのは高い声と悲鳴。高い声で私の名前を呼び、赤司と虹村をみて悲鳴を上げたのだ。正直いって騒がしい。

「ただいま」
「どうして赤司くんたちがいるの!?」

元よりヒステリックもちであり、一度騒ぎ出すと何を言っているのか聞き取ることが出来ない。やはり今回もそのようで聞き取ることが出来なかった。
目を見開き、何かを叫びつづけているこの人を母親だと認めたくなかった。

「どうしてって……私がついてきてっていったから」

情けなかった。声と足が震えて震えて止まらない。自分の恐怖の対象でしかなかった母親にきつい口調で言うのは辛い。

「何言ってるの!?素直に帰ってこればいいことだったでしょう?なのにどうしてこの人たちがいるの!?」

話が通じない。それだけは私にも理解出来た。

「そんなの、私がこの家に帰りたくないからだ。でも自分ひとりじゃ何も出来ないからついてきてもらった。それだけだよ」
「何の話をしてるの!?帰りたくないですって!?あなたの家はここよ!」
「違う。私の家はここじゃない。自分の家は帰ってきて打たれる恐怖に怯える家じゃない。帰ってきて安心する家だ」

何を言ってるの、そんなことを怒鳴り散らしながら私に歩み寄り手を上げる。また打たれるんだな、そんなことを思いながら目をきつく瞑った。
しかし、いつまで経っても破裂音は聞こえない。痛みが襲ってこない。恐る恐る目を開くと目の前には虹村の広い大きな背中が見えた。

「自分がイラついたからって娘を打つなよ」
「な、何なのあなた!?触らないでちょうだい!」

他にも何か怒鳴り散らしているけれど、何も聞こえない。何一つ、聞き取ることが出来なかった。

「伊織、言いたいことを言えばいい。君はどうしたい?どこにいたい?」
「私は……」
「征十郎くんやめなさい!何をあなたは言ってるの!?」
「私は、私は……道具じゃない、私は貴女の娘であって人形じゃない!自我だってある!お父さんの代わりになんてなれないんだよ!」

父親が死んでからはずっと道具で、父親の身代わりだった。それがたまらなく嫌だった。絵だって自由に書くことが出来ない、どこかへ行くのも友達と遊ぶのも全部ダメ、逐一報告。嘘を付けばすぐにバレて頬を打たれる。
そして、それを普通だと思っていた私は異常だった。

「開放してくれ!私は……私は……自由になりたい」

崩れ落ちた音は、私が先かそれとも母親が先か。


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