明後日を見失った鳥は



彼の焦った声を久しぶりに聞いた気がした。


『落ち着いて聞け、今すぐ虹村さんにそこから出てもらうんだ。数時間で構わない』
「は?」

声の主はもちろん赤司征十郎、私の幼馴染である。幼馴染ではもったいない男であるがそれ以上に見ることが出来ないのだから幼馴染なのだが。

「どうしたんだよ、何そんなに焦って」
『その様子だと携帯を見ていないな。アノ人がそっちに今向かってる。急げ』

つい昨日、家を出ていく出ていかないの話を虹村としていたというのに。
作業中に携帯電話からバイブ音が聞こえたものだからなんだと出てみれば赤司の焦った声。それがこの内容だ。
昨日メールで出かける前に知らせたが返信が無いものだから電話をしたのだということだった。メールは基本的に確認しない私が悪い。というか携帯をあまり開かないのだから、確認するしないの問題ではないだろう。

『さっき車で出ていくのが見えた。急げ二、三十分でそっちにつくぞ』
「わかってる……ありがとう」

電話をベッドの上に放り投げて虹村がいるであろうリビングに向かって足を動かす。異常に重く感じたのは、おそらく怖いからだ。アノ人が恐怖でしかたないのだ。逃げ場などなくなった。

「虹村」
「あー?」
「ちょっと家空けてくれないか?」
「は?何で?」
「理由は聞かないで欲しい。頼む」
「いや、悪いけど無理だ」
「は?」
「タツヤが来ることになったんだよ、悪い」

こんな時に何で何も言わなかったんだよ!?また急遽なのか、急遽決まったのかよ!
勘弁してくれよ……とりあえず氷室さんにも虹村にもここから一瞬でいい。出ていってもらわなければならない。それも急いで。アノ人に関わらないのが一番大切なことだ。

「氷室さんもつれて私が電話するまででいい、どこかにいて欲しい。金なら渡すから近場のファミレスに」

インターホンが鳴った。
背筋が凍った。何も知らない虹村ははい、と出ようと備え付けのボタンを押そうとしたところを既のところで止める。インターホンが鳴り、私の背筋が凍り、冷や汗が伝ったのは午後6時のことだった。

「虹村、出るな!」

そんな彼の腕を掴んで下ろさせる。彼はアノ人、私の母親にあったことがあるはずだ。1度だけ中学の時に授業参観に来ていた母親を見ていた。けれどその時のアノ人は優しく芯の通った素敵な人だった。だから、虹村は何も知らない。今まで何があってどう変わってしまったのか。どうして、何もかもがぐちゃぐちゃになったのか。

「お前、お袋さんだろ。何ででねぇんだよ」
「アノ人はもう母親じゃない。母親なんかじゃないんだよ……」
「お前な……んな事言うなよ、心配してきてくれてるんじゃないのか?」
「違うんだ!違う!だから、頼む出ないでくれ」
「……あ、おい」

下の階の坂田さんが映っていた。にこやかに話した後、扉を一緒にくぐり抜けてしまったのだ。もう、終わりだと思った。
今思えば一瞬だけでていってもらったって意味の無いことだ。
部屋の番号だって知ってたのだ、きっとおそらく虹村がいることは知ってるのだろう。
それにルームメイトが女子、というのは少し無理な言い訳だろう。靴や服、家具などを見れば女がもうひとりいるとは思えないだろう。

「伊織ー、いるんでしょう、開けてちょうだい」
「……出ねぇのか」
「出るよ、分かってる」

震えた手でドアノブに触れた。
扉を開ければ飛んできたのは自身の母親の張り手、見えたのは満面の笑顔。虹村の前で、虹村がいるのに、虹村に一番見て欲しくない家の事情。知られたくない、母親の変わってしまった姿。

「何してッ」
「虹村いい、いいから!私が悪かった、帰るから!だから、やめて!」

ヒールも脱がずにそのまま上がり込んだ母親の腕をつかんだが意味をなさず、そのまま振り払われてしまう。
反狂乱になりながら何かを怒鳴った母親は虹村を打った。もう一発打とうとしたのだろうが飛びついてなんとかやめさせた。
ああ、口の中が血の味だ。虹村もきっとそうだ。ああ、私のせいだ。私が、私が虹村といたから。だから、

「明日には、帰るから……準備とかあるから、今日は帰ってもらってもいい……?」
「ちゃんと帰ってくるんでしょうね」
「帰るよ、約束する」
「絵は描いてるの?ちゃんと」
「描いてるから、今日はもう」

一番いいのはきっとこの楽しかった生活を断ち切ること。アノ人に囚われた生活に戻ること。
もう虹村に関わらないことが、一番だ。
最後に見たのは母親の相変わらずの満面の笑顔だった。


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