パチン……
「ところで部活はどうした?」
「俺は桜井に任せてきたぜ」
「俺も高尾に任せてきたのだよ」
「俺はOBの室ちんに」
「俺もOBになっちゃったけど来てくれてたんで笠松先輩に任せちゃったっス」
「僕は降旗くんに」
「火神じゃねぇのな」
「当たり前でしょう。火神くんに部活を任せたら部がいろんな意味で崩壊しそうで怖いです」
パチン……あ、香車取られた。そう言えば桂馬も取られてる……。
やってない間に随分と下手になったなぁ、将棋。
「……全く。何してるんだ、お前らは」
苦笑いをしながら、でも嬉しそうに笑う彼は優しそうで、私がこの笑顔を奪ったかもしれないとネガティブ思考になってしまった時黒子くんと緑間くんが部屋から出る。
その時黒子くんの手が手招きをしているように見えて、将棋の相手を紫原くんに交代してもらった。
「……すぐ帰ってきてくれ」
『え?』
「あ、いや!何でもありません。行ってらっしゃい」
この言葉、久々に聞いたなぁ。
行ってらっしゃいなんて、何年ぶりに言われたのだろうか。
****
車椅子や杖を突いているお爺さん。看護婦さんやお医者さんなど沢山の人がいる庭。
ベンチに腰掛ける緑間くんと私。黒子くんは飲み物を買いに行ってくれた。
「どういう、ことなのだよ」
ずっと黙っていた緑間くんが口を開いていった言葉。
私は本当はこの不安を誰かに聞いてほしかったんだろう。実渕さんの時も、苦笑いして「大丈夫」と言ってしまった自分をあの日悔やんだ。
「遅くなりました」
ちょうど黒子くんもきたんだ。この際話を聞いてもらってもいいのかもしれない。
まず初めに黒子くんには謝っておいた。それから渇いてカラカラな口を開く。
『忘れてるんだ、私のことだけ』
ああ、この言葉を言うだけで涙が溢れそうになる自分のゆるみきった涙腺をどうにかしたい。
視界が歪んでも何しても耐えようと、目を瞑り深く深呼吸をした。
『ストレスが原因なんだって』
「ストレス?何故それでお前の記憶を失う?」
『……私のことはいらないと認識したからか、それとも思い出したくないと思ってしまったか、それはどちらかはわからない。ただ、私の記憶を捨ててしまったか封印してしまったか、どちらかなの』
「そんなっ、だってあの赤司くんですよ?大切だった白銀さんのことを忘れるなんて……」
黒子くんの言葉はとっても嬉しかった。
他の人がそう思ってくれていただけでもとてもそれは嬉しい。
『私が、原因だから。征を拒絶してしまった』
「拒絶?それは中学の時のですか?」
『ううん。こないだ……って言っても三ヶ月前くらい前だけど』
―彼からの告白を断ってしまったの
そういった時の彼らの反応は普通だった。ただ、断ってしまったことについて首をかしげた。
「何故相思相愛だったのに断った?お前もあいつも好きあっていたのではなかったのか?」
『そうだよ。でも、病室にいた女の人のこと、覚えてる?あの人ね、将来の征のお嫁さん。私が彼の告白を断ったのは結婚前提だったからだけじゃない。彼には将来があるから、そう思って断ったの』
でも、澪ちゃんが気付かさせてくれた。
好きなものは好きと伝えておいた方がいいということ。いたいのならば一緒にいればいいということ。
それを伝えようとした矢先、征は倒れて私の記憶を失っていた。
『まぁ、それだけなんだけどね。でも、伝える前にそうなっちゃったから悔しかった反面嬉しかった。どこかで逃げている自分がいたから』
逃げていたらいけないということくらいわかっているのだ。でも、逃げてしまった。拒絶した側なのに何を言い出すのかと言われてしまえばそれまでなのだ。
「だからと言って何も言わないのは……」
『黒子くん、緑間くん、言わないで。無理にさせたらまたストレスの原因になってしまうから。それに、思い出さない方が彼の幸せなんじゃないかって思うようになった自分がいるんだ』
「そうね。それが征十郎のためでもあるわ」
『!』
後ろから聞こえた声に振り向けば香織さんがそこに立っていた。
人形のような彼女は、綺麗な笑みを浮かべて私たちに笑いかける。
「だから、征十郎には近づかないで欲しいの」
「何を言っているのだよ」
「だってその子は赤司の人間に誰一人として望まれていない子なのよ」
『っ……』
最もだ。最もだから言い返せない私がいる。
それでも何か言いたくて口を開いたり閉じたりするが言葉が思い浮かばない。
泣きそうになるのをグッ、と堪えした唇をかんでうつむく。
彼女を今視界に入れたくなった。
「それでも、彼女に会う権利くらいあるのでは?」
「ないですよ。だって、旦那様にも関わるなと仰られていましたよね?」
何故、何故あなたがそこまで知っているの?
どうしてなのだろう?私だって、認めてもらいたいのに。
だから、征の隣に立ってもいいようにと努力していたのに。
彼は透明な硝子に囲まれている。手を伸ばせば届きそうなのに届かない。そんな硝子に囲まれているとわかったのはいつだろうか。割ろうとしても割れないそれはきっと防弾硝子だ。
外からの要らないものを全て弾くかのように作られた硝子。
『例え……』
「え?」
『例え誰にも望まれてなくても毎日行きます。思い出して欲しいから。退院しても家まで通います。私は彼に伝えたいことをまだ伝えられてないから』
長くなってはいけないと思い緑間くんと黒子くんと私は病室に戻るためにベンチから立ち上がる。
私が言った言葉に綺麗な顔を歪めながら彼女は私の頬を打った。
『っ……』
「巫山戯ないで。これ以上、征十郎を苦しめないで、柵をとってあげてよ」
私は頬を抑えたまま無言でその場を去った。
緑間くんと黒子くんの心配の声もあったが全てうん、としか答えず病室までの道のりを歩いた。
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