私が倒れたその日、表彰式で私はちゃんと優勝という文字を家に持ち帰った。
会場に行く時と違うのは隣に征が立っているということだ。
『征……帰らなくていいの?』
「途中で光が倒れたら困るからね」
『そっか……』
会うのも、話すのも久しすぎてうまく会話が続かないことがもどかしい。
私は何かを話そうと必死にするが、結局は話せず終い。自分が住んでいるマンションに着いてしまった。
『くる?家』
「え……」
どうやら征の反応からしてここまで来たら帰るつもりだったらしい。
澪ちゃんが男を家に入れるのは危ないから
絶対にダメだと言う言葉を思い出したが征だから平気だろう。
『やめとく?』
「いや、行くよ。いいか?」
『うん。私の部屋防音だから昔みたいに騒いでも怒られないから』
昔のように屈託の無い笑顔を征に向ける。その笑顔を見ると安心したのか征も笑顔を向けてくれた。
澪ちゃんにもみんなにも男というものを知らなさすぎると言われるが気にしていない。征だけでいいから。
「何階?」
『15階だよ。ここ、16まであるんだけどね、一番上はだだっ広いだけで防音じゃなかったから。歌って迷惑なのは嫌だったの』
「そうか……」
エレベーターに乗って征が15のボタンを押した。
静かな時間が流れる。
『征、は……』
「え?」
『あ、や、征は彼女とかいたのかなぁって』
一瞬口をあけた征は思いとどまったように口を閉じ、首を横に振った。
その行動に安堵する私の心。
『……ぁ』
「どうかしたのか?」
『う、ううん!何でもない』
何故征は私にキスをしたのか、疑問に思った。
同じ気持ちならばいいのだが付き合ってもいないのに何故したのだろう?
そんな、モヤっとしたものが頭の中をぐちゃぐちゃにする。
「本当にどうした?」
『ううん、何でも』
チーン、と音を立ててエレベーターの扉が開く。率先して征の前に立ち自分の部屋へと案内した。
鍵を取り出し開けると扉が開く。その頃にはもうモヤっとしたものはなくなっていた。
大好きな彼が来たんだ、目一杯楽しもうと思ったのだから。
****
『ご飯作るけど、食べる?』
「いいのか?食べたいな」
『了解しました』
嬉しくて笑が耐えない私の顔。
きっとだらしない顔をしているのだろう。
冷蔵庫からいるものだけを取り出して作り出す。ああ、そうだ。大体ご飯時までまだ二、三時間ある。スパゲッティでも作ろうか。
「……ねぇ」
『っわぁ!?』
前を見ると征はいなくて私の首に後ろで腕を回していた。
包丁を持っているため身動きができない。
『征、危ないよ?』
「さっき、何考えてたの?」
『え?さっき……?』
考えていたことが多過ぎて何を考えていたのかわからない。
晩御飯何にしようかなとかどうでもいいことを征が気になって聞いてくる筈がない。やはりエレベーターの時だろうか?
『エレベーター乗ってたとき?』
「ああ。何にもないというほど光はよく何かを考えているからね」
あの時の征とは違う、やっぱり君は赤司征十郎だ。でもあの、赤司くんじゃない。征なんだ。
私のことを見てくれる、征だ。
『……征は何で……私にキス、したの?』
「……それ、本気で聞いてるのか?」
『私のこと好き?』
「ああ、即答できる。だから何?」
『付き合ってもないのに、好きでもないのにしたんだったら何だったのかなって思っただけ』
私の首元にあった腕が離れる。私は包丁をおいた。それを見計らったかのように腕を引かれて征と向き合う形になる。
「ねぇ、光」
『……はい』
少し緊迫した空気の中、静かに私の名前を呼ぶ声だけがキッチンに響く。
腕が伸びてきて私を抱き寄せる彼。頭は固定され彼の胸元に顔を埋める形になってしまった。
『ん……』
「結婚前提のお付き合いをしてくれませんか?」
『え?……う、そ』
「僕が嘘をつくとでも?」
彼がどういう表情をしているのかは彼の胸から顔を上げることのできない私にはどうやってもかることのないこと。
でもきっと彼のことだ。彼のことだからわかる。
顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしているんでしょう?
『ねえ、今その返事してもいい?』
だらん、と重力に従っていた手を征の腰に回して力いっぱい抱きしめた。
『……お断りします』
ごめんね、ごめんなさい。
私も大好き。大好きだからあなたにはあの人が言ったように将来がある。
旦那様の手紙にも書いてあった。
許嫁ができたと。
婚約の話をしたと書いてあったそれはまるでもう私の居場所はここにないとでも言っているかのように思えた。いや、実際そうなのだろうが。
「何故……」
『あなたには将来がある。許嫁さんもいるでしょう?こんなどうでもいい、汚い血の入った私を好きにならないで』
「そんなことか。許嫁なんて」
『そんなことじゃないの。……それに私は体に醜い傷跡があるから。私は貴方に相応しくないの。これからも、あの時のような、兄妹のような関係じゃ、ダメかな?』
「ダメだ。僕は光がいい。父さんが決めた相手なんて嫌だ」
『そんなこと言ってもダメなんだよ』
私はあなたといてはいけないの。
ごめんね、ごめんなさい……。本当にごめんなさい。
今私はちゃんと……笑えていますか?
好きって伝えたいのに、伝えられない。
だから、我慢しなきゃ、笑わなきゃいけないんだ。
『湯豆腐、いる?でも今日はスパゲッティにしようかなって思っ』
「帰る。お邪魔したね」
『あ…………うん。またね』
手を振れば彼は悲しそうに笑って部屋から出ていった。玄関の音が妙に大きく感じてしまった。征の居なくなったリビングは寒く感じる。まだ秋なのに。まだ、10月なのに。
『っ……ぅ……ぁあ……わぁぁぁああ!』
防音で良かった。
この時本当に、防音に感謝した。
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