『…失礼します』


この家の主の扉をノックする。
静かに低いテノールボイスが耳に入った。それからゆっくりと扉を開ける。


「……どうかしたのか。学校を早退してきたそうだが?」


征をもっと大人にして渋くした感じの旦那様はタバコを吹いて何やら書類を見ていた。
見終わったそれは秘書の方に渡されていく。


『高校の話をしに参りました』


「……ほぅ?どこに行くんだ?秀徳か?」


別に体調が悪かったわけではないといえば鼻で笑われた。


『……京都国際音響女子高等学校に行こうかと考えております』


「京都、か?」


一瞬旦那様の手の動きが止まった。
書類しか見ていなかった目を私に向ける。
その顔は何も考えていないような無表情さだった。


『はい』


「なぜ急に」


『ずっと前から考えていました』


そうか、そう言ってすぐに書類に目を戻した。驚いたのだろうか?


『私は居候の身。それ故、無理に高校に行きたいとは思っておりません。しかし……音楽の方の道を学びたいと思っている次第です』


そう、私は赤司の人間じゃない。
そんな私にお金を出す意味は赤司の家には必要のないこと。無理にしなくてもいい。


「征十郎はどうする気だ?」


旦那様も分かってるんだろう。私が征にべっとりでずっと一緒にいるというとを。でも、快く思っていないのだ、この人は。


『……もう、会いませんし会えません。合わす顔もありませんから』


「……何かあったか。行きたければいけ。金くらい出してやる。だが、条件がある」


旦那様の顔つきからしてその条件は絶対に断ることのない物だとすぐにわかって体が強ばる。



「今後、金輪際赤司征十郎に近づくな、関わるな」



『……はい。畏まりました』


ああ、本当にあなたからの命令は逆らえない。


「そしてそこで常に一位を取り続けること。部活どうもしなさい。赤司の名を汚すことは許さない。たとえ赤司でなくとも」


あなたが大事なのは家ですか?息子ですか?
家の名がそれほどにも大切ならばなぜあなたは結婚したんだ。子孫を残し事業を大きくするためですか?
自分の手一つで子供も育てられないような人、親とは言わないでしょう?自分の子供のSOSにも気づかずに、異変にも何もかも気づかずに。


「連絡はしなさい。年に一回でもいいから」


『わかり、ました』


「あいつがね、言っていたよ」


『……奥様ですか?』


「ああ……子供は自分がされたことをずっと心に刻んで生きていくと。大人になって恥ずかしくないような、そんな人に二人をしろと」


奥様、いや、お母様の言葉には私も入っていたのか。
ねぇ、お母様。旦那様の心の拠り所はあなただったのではありませんか?あなたが言っていたのは旦那様のこともなのでしょう?強いが脆いと。
お母様がなくなってからきっと旦那様は寂しかったのではないでしょうか?


「……あいつはお前を実の娘のように可愛がっていた 」


『ええ……そうかもしれません』


「お前はアルビノか?ずっとあいつは綺麗だと言って笑っていた」


この容姿は前も言ったように私は嫌いだ。光の下に出れないから。
日が当たると体中が赤くなって痛む。
だけど一番の理由は両親がこの容姿のせいで愛してくれなかったことだ。
その愛は奥様であるお母様が教えてくれた。


「あいつは子供が好きでね。征十郎を生んだ時も嬉しそうだったよ。お前が来た時も初めは警戒している素振りを見せたがあれはあれで緊張したらしいぞ?引っ込んでから可愛い可愛いとずっと言っていた」


『……そうなのですか?』


「あいつは、誰よりも、自分よりも子供優先な、お人よしだ。私も少しはあいつを見習って子供に接しようと思ったのだが……いつしかお前も離れていくくらい大きくなっていた。征十郎も、もう赤司のことを真剣に考える年にもなった。子供とは早いな、成長が」


『そうですね。よくその言葉は耳にします』


旦那様はなにをおもっているのだろうか。こちらを見向きもせず書類に向かってまるで独り言のように呟く彼はやはり少しだけ征とは違っていた。
髪質はきっと母親譲りなのだろう、征は。サラサラだしね。


「お前ももうどこかへ行くのか。あいつが寂しがる。家が静かになると」


『ふふ、そうかもしれませんね』


「いつここを発つ?」


『明後日には。引越しの手配など終わり次第学校にも届出を出すつもりです』


「そうか。……そんなにすぐ、か」


『ええ。では、失礼します』


もしかしたらこの人は寂しいのかもしれない。
頭を下げてその場を立ち去ったあと、堪えていたものが溢れ出た。


『ぅ、あ……ぅっく……ふはっ……あぅ、く……は……ぅうあ』


手の甲で口元を押さえて自分の部屋まで長い廊下を歩いた。涙をぬぐいながら、声を抑えながら。運命とは残酷だ、うまく言ったものだと思う。
本当に残酷だ。


やっとたどり着いた部屋。ベッドにダイブすると余計に涙が溢れた。枕にむかって叫んだ。そうすればそのに音は聞こえないから。


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