高尾和成は夏が嫌いだ。


部活後にチームメイトと水浴びをして涼んだ後ならば、家に着くまでのじりじりと照り返す暑さと流れる汗を不快にしか思えない。コンクリートをこんなに恨めしく思うのは夏だけだ、と高尾は眉間にシワを寄せた。燦々と照りつけていた太陽のせいでハンドルだってサドルだって驚くほどには熱いのに、重いペダルをぐん、と漕いでいる今だって後ろのエースは涼しげに風になびかれているわけだ。なんだってこんなに温度差があるのだろう。これが毎日人事を尽くしている奴との違いなのだろうか。まったく自分は朝から夕方まで一体なにをしているのだろう。暑さで苛々する高尾の思考は涼しそうにどっかりと荷台に座る緑間と綺麗に反比例している。

「なあっ、真ちゃん!あちいんだけど!」
「当たり前だ。今は夏だぞ」
「そう、じゃねぇよ!少しは代わってくれるとかさあ!」
「じゃんけんで負けたのはお前だろう」
「っだああぁぁあ!もう!真ちゃんの意地悪!けち!鬼!」
「随分と言ってくれるな」

これが冬なら、いつものようにじゃんけんで負けたから仕方ないと、慣れた思い込みとうまく折り合いをつけながら言葉を終えるのに、こうも暑さにやられていてはどうしようもない。わかっているから夏は嫌いだ。高尾の汗が3滴続けて落ちた時、緑間がどんな顔をしていたかなんて知りたくもない。

「つ、着いた………!」
「ご苦労だったな。明日から夏休みなのだよ」
「あ、そっかぁ…しばらくお別れ?」
「馬鹿め。何をぬかしているのだよ。練習があるだろう」
「…ですよね」

夏休みだからといって練習がなくなるわけでもない。いつものようにまた明日、なんていうのとは少し違うけれど、どうやら緑間と顔を合わせるには何も変わらないらしい。緑間がいるはじめての夏だなぁと、高尾はそう思った。

「真ちゃんさぁ、明日から順番で漕ごうぜ」
「嫌なのだよ」
「夏休みにちなんでじゃんけんはなし!」
「ふざけるな」
「ふざけてねーよ!あちいんだもん。俺夏は嫌いなの!」
「意外だな、てっきり好きなのかと」
「どんなイメージだよ…」
「俺はなかなか嫌いではないのだよ」

そりゃそうだろう、と思ったけれど高尾は何も言わなかった。涼しい思いをしていれば嫌いになんてなれないのもわかる。そりゃあ俺だって、お前の立場だったらきっと好きになってたよ。




高尾和成は夏が嫌いだ。


中学の頃は興味本意でバスケ部に入部したけれど、毎日がそれなりに楽しかった。練習はきつかったけれど、今に比べればたいしたものではなかったように思う。ただその頃の自分には十分にハードなものだったと思い返せば、成長している証拠のひとつにでもなるだろうか。

「真ちゃんとさ、はじめて会ったのも夏だったんだよ」

緑間真太郎。高尾が中学時代にどれだけ焦がれたことか、緑間は知ることもないだろう。まったく歯が立たなくて、心の底から恐怖を感じたのはあれが最初で最後だった。大敗したことよりも、一度だって視線が合わないことに底知れない絶望を感じた。こいつは何を見ているのだろうと、その目に映して欲しいと、そう思った。

「覚えてねーだろうけど?」
「…すまん」
「ははっ、謝んなって!」

高尾の夏には絶望と大敗があった。それが、夏が嫌いな理由のひとつであったのに、こうして今ここに一緒にいることなんて、誰が想像したのだろうか。それを改めて感じたとき、緑間の言う、運命とやらを直に受けたような気がして鳥肌がたった。さっきまでの汗が少しずつ引いていく。

「じゃあな真ちゃん、また明日」
「ああ。午前からだぞ、遅れるなよ」
「遅れるわけねーだろ!任せろって!」

なにかを振り切りたくて、わざと少しだけ離れたところで叫ぶようにした。漕ぎ始めるとすぐに背中がじわりと熱を持つ。なぜだかやるせなくて、やっぱり夏は好きになれないなぁと高尾は汗を落とした。明日から夏休みだなんて考えなくても、そこにはよくわからない寂しさがあった。まだ早い。目の当たりにはしたくない何かが。



高尾和成は夏が嫌いだった。


「………おい、おい高尾、」

ひやりとしたものがタオルだと分かるまでに、五秒かかってやっと気づいた。緑間の顔が珍しく歪んでいるように見えたのは間違いではなかったようだった。とりあえず応えようとして真ちゃん、と言えば、ちかちかとした不快な視界に気持ち悪くなってしまって目を閉じる。

「大丈夫か、高尾」
「…ん、ごめん…。真ちゃん練習は?」
「何を言っている。今が練習中なのだよ」
「あ、そか、倒れたのね…は、情けねぇ」
「まったく…倒れるまで我慢することないだろう。馬鹿め」
「はは…ごめんな、つい……」
「…とりあえず、今日は帰るのだよ」
「は、いや、練習は…」
「そんな状態でできるわけないだろう。帰るぞ」
「いや、そうじゃなくて!真ちゃんまで帰る必要…」
「鈍いにも程があるぞ。誰が連れて帰るのだよ。先輩にはもう了解をとってある」
「え、ちょ、」

ぐい、と腕を掴まれて、そのまま緑間におぶさるように引っ張られる。緑間の奇人さには慣れたつもりでいたが、いつもとは違った行動に高尾は驚いた。まさか緑間がこんなことをするなんて。驚いた拍子に息を吸えば、医務室の消毒の匂いに混ざって緑間の汗の匂いがした。なんだか柄にもなくどきどきしてしまうなんて。

「真ちゃん、汗かいてる」
「…当たり前だろう。あまり言うな」
「ぶは、照れんなって。…ごめんな、ありがと」
「うるさい。当然のことをしたまでだ」
「うん、俺真ちゃんのそういうとこ好きだよ」
「っな…!そういうことは軽々しく言うな高尾!」
「いーじゃん本当のことだしさぁ」
「もういいから早く乗るのだよ!」

緑間の足が止まり、高尾はそのまま自然にチャリヤカーの荷台へと降ろされる。なんて珍しい。ペダルを漕ぐ緑間の後ろ姿を見つめながら、風が高尾の頬を切っていくのが気持ち良い。緑間はいつもこんな思いをしているのかと思えば少なからずため息をつきたくなったけれどやめた。きっと緑間だって同じはずだ。

「あー真ちゃん暑いねー」
「ああ、俺も、夏が嫌いになりそうなのだよ!」
「ぶはっ、俺はなかなか好きだぜ?」
「昨日と言っていることが違うのだよ。単純なやつめ」
「真ちゃんに言われたくねぇよ!」

いつもより微かに弾む緑間の声が高尾の耳に流れてくるのが珍しい。違う場所からの見慣れない景色に瞬きながら、緑間の背中が広いなぁとぼんやり考えてやめた。さっきから顔が熱いなんてらしくない。まだ気づかないふりをしていたい。振り切るように緑間の背中に少し近づいた。

「ね、真ちゃんさー」
「なんだ」
「夏休み祭り行こうぜ!海も!」
「そんな元気ないのだよ」
「ぶはっ、そんなこと言わずに毎日会おうよ」
「…ああ、悪くないかもしれない」
「わ、ツンデレ…」
「なに?」
「何でもない!約束な!」

太陽がきらきらと緑間の髪の毛に反射して高尾は目を細める。綺麗だなぁと思う。高尾の紡いだ約束で緑間がどんな顔をしているのか、すこし気になったけれど夏休みはまだ長いのだ。


高尾和成は夏も悪くないなぁと思っている。

130815
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