宝物 | ナノ







本当の


空は灰色の雲に覆われている。
いつもなら憂鬱な気分になるのだが、今日は違った。
降り注ぐ結晶。
一面に広がる銀のシート。

冬によく似合う雪がしんしんと空から舞い降りていた。
寒さなどお構い無しに、元気な子供達は雪遊びを満喫している。
そんな平和そうな風景に、似合わない人影が一つ。

その帽子は世界一と言われている軍隊、血統軍のもの。
帽子の隙間から覗く鋭い眼光は敵を視殺できるのではないかと錯覚してしまう。
長いコートのポケットに手を突っ込みながら彼、エヴァライトはある人物を待っていた。

木の幹に寄り掛かりながら携帯の時刻を確認する。
待ち合わせ時間の丁度五分前といったところだ。
黒い帽子を被り直しながら、彼は思案する。

本当に彼女は来るのだろうか。

彼が待っている人物はとあるお嬢様。
それもかなり名が知れた家の娘である。
彼女の両親から、彼女を連れ戻すように頼まれた。半ば強引に。

引き受けたのは彼ではない。
同じ血統軍の軍学校に身を置いている少佐、フローラが勝手に引き受けたのだ。
面倒見がいいフローラなのだが、やっかいなことは見返りを求めずに厄介ごとに巻き込まれていくことだろうか。
もしくは軍人という自覚がないのか。そんな家の事情に構っているほど、軍は暇ではない。

だが一度引き受けたものを放棄するなど軍に泥を塗るのも同然。
そんな事が許されるはずもなく、大元帥のディーラは改めてこの依頼を引き受けた。

命令はその娘を連れ戻すこと。そして安全に両親の元へと送り届けること。
これがエヴァライトに下された内容。
思い返すと、なぜフローラに命令が下らなかったのか、と疑問が浮かぶ。
だが、大元帥の命令は絶対。


「……」


瞬時に何かの気配を感じ取り、視線を上げた。
エヴァライトの方へ歩く影が一つ。

例のお嬢様だろうか。
それにしては大分幼い気がする。
僅かに身構えながら、影を見詰めた。


「こんにちは、お兄さん」


女性の声。
性別は合っているものの、写真で見た容姿とはかなり異なっていた。


「誰だ」

「ぼくは那智。メルトは……来ないよ」


薄っすらと笑みを浮かべながら、彼女__那智は言い放った。


*


森の最奥。
ひっそりと佇む洋館も今は白いベールがかかっている。
周りも銀一色に染められた風景を見ながら、アドルフは紅茶を喉に流す。


「このような場所に洋館があるだなんて、驚きですね」

「そうかしら?」


ニコリ、と優しそうな笑みを浮かべている女性は優雅に椅子へと腰を降ろす。
どういう経由でここに辿りついたかは、二人の会話から読み取るとしよう。

アドルフはソーサーにカップを置きながら、視線を彼女__シアンへと移動させる。


「しかし、彼女……ゴシックと言ったかな?無事でよかったです」

「貴方が見つけてくれなかったら凍死していたでしょうけど」


さらりと怖いことを口走る。
いえ、とアドルフは薄っすらと微笑みながら眼鏡のブリッジを上げた。


「あの子、庭のことになると周りが見えなくなってしまうから」

「流石に寒さで倒れるなんて思いませんからね」


どうやらゴシックという女性が倒れていて、それを助けたのがアドルフらしい。
そして見つけたのがこの洋館ということだろうか。

同じ屋敷の持ち主として、アドルフは妙な親近感が沸き起こるのを感じていた。
それを悟られぬよう、視線をカップに落としながら続ける。


「おいしいですね、紅茶」

「ふふ、ゴシックのハーブティーがお口に合ってよかったわ」


そう言いながらシアンも紅茶に口をつける。
なんとも様になっている二人。

他愛もない話をしていると、ドアが遠慮がちに音を立てながら開いた。


「あら、ゴシック」

「シアンさん、クッキーが焼けました。アドルフさんもどうぞ」

薄っすらと笑みを浮かべて、短くお礼を述べるアドルフ。
シアンの隣にゴシックが座った。

雪はまだ降り続く。


*


いつも通り、クラヴィンは情報収集に勤しんでいた。
それが晴れだろうと雪だろうと関係はない。
傘をさしながら彼は携帯を操作する。

どうもおかしいですね。

目を細めながら、歩みを速める。
携帯を閉じ、コートのポケットに押し込むと辺りを見回す。

僅かな情報の"狂い"を感じる。

この狂いが間違った情報を流すことになる。
修正しなければ、確信を掴まなければ。

そんなことを考えているから、飛んできた雪球に気付かない。


「わぷっ……!?」


唐突に頬に冷気が纏わりつく。
驚き頬を押さえると、雪が手にくっついてきた。
少し遅れて当たった痛みと冷たさの痛みが感じられる。

思わず立ち止まり、雪が飛んできたほうへと視線を向けた。
視界に飛び込んできたのは慌ててこちらに向かってきている女性。


「ご、ごめんなさいっ……大丈夫ですか!?」

「別に大丈夫ですよ」


すぐにいつもの笑みを浮かべるクラヴィン。

投げてきたのは男だとばかり思い込んでいた彼にとってこれは予想外過ぎた。
年は18歳ぐらいだろうか。とても元気がいい女性だ。
美人といっても過言ではない。


「本当にごめんなさいっ」

「そんなに謝らなくていいですよ。僕は大丈夫ですから」


ペコペコと何度も頭を下げる女性に優しく、囁くようにクラヴィンは言う。


「おいティア!」

「あ、お兄ちゃん!」


走ってくる男性はティアと呼ばれた女性と似ていた。
もしかしたら兄妹だろうか、と思案しながらクラヴィンは僅かに目を細めた。

ティアはぱっと表情を輝かせる。


「その人、大丈夫か?」

「うん」


どこかで見たことある二人。
瞬時にクラヴィンは頭の中で全ての情報を広げた。
違う、これも違う。
男性の顔を数秒ばかし見詰める。
すると、一致する情報を見つけた。

男性の方が兄、名前はウル。
女性がティア。

表では噂になっていないが彼等は伝説系統の血が流れている。
文章ばかり見ていたためか、予想と大分食い違っていた。

どう見ても二人は仲のいい兄妹にしか見えない。


「ウルさんとティアさんですよね?」

「わぁ……私達のこと知ってるんですか?」

「えぇ。……可愛らしい妹さんですね」


クラヴィンがこういうと、男性__ウルは僅かばかし嬉しそうに頬を緩める。
そんな僅かな変化も見過ごさない。

彼は傘を持ち直し、ニコリと笑みを浮かべる。


「では、僕は少し急いでいるので」

「あ……!待ってください!」

「はい?」

「名前、聞いてもいいですか?」


唐突な言葉にクラヴィンは面を喰らうが、微塵もそんなことは表に出さずにえぇ、と呟く。


「クラヴィンです。また何処かで会えることを楽しみにしてます。ティアさん」


そう言うと情報屋は振り返らずに雪の中に溶け込んでいった。

情報なんて所詮はただの言葉だね。実際はこうも違う。

口元に笑みを浮かべながら、彼は携帯を取り出した。


*


「どういうことだ?」


構えは解かずに、エヴァライトは低く言い放った。
しかし、彼女は臆することなく笑みを浮かべながら返す。


「お家に戻るの嫌だって」

「本人が否定してもこちらとしては来てもらわなくては困る」


それが命令なのだから。
そう付け足しながら一歩を踏み出す。

最初から強引に向かい、引きずり出すのだった。
僅かな後悔を底に無理やり沈め、那智を見詰める。


「軍人は人を守るのが仕事でしょ?」

「そうだ」

「守るけど、幸せは奪っちゃうの?」


空を仰ぎながら、那智は言った。
まだ灰色の雲が覆っている。雪は小降りになってきていた。
傘を閉じながら、再びエヴァライトへと視線を向ける。

流石軍人さん。威圧感すごいなぁ。

自分でも暢気な事を考える余裕があったのが驚きだった。
相手は世界一の軍の人。
こっちは一般人の女。


「我々はただ大元帥の命令に従っているだけだ」

「じゃあその大元帥がいけないんだ。……メルトは渡さないよ」


笑みを消し、那智は眼光を鋭くさせた。
友を渡したくはない。
何より彼女は今が幸せだと言っている。
軍人だろうがなんだろうが、誰が人の幸せを奪っていい権利はない。

彼女の言葉に、僅かに眉を寄せる。
彼にとって、大元帥を侮辱する奴は死ぬ覚悟がある者と捉えている。
眼光を更に鋭くさせ、手を前に突き出す。


「やめなよ。子供達が遊んでるんだよ?」

「周りに被害を出すようなことはしない」


那智は盛大な溜め息を零した。


「違うよ。怖がっちゃうでしょって話」


どうしてこんなに軍人は頭が固いんだろう、と頭の隅で考えながら那智は周囲で遊んでいる子供達へと視線を向けた。
無邪気に走り回り、楽しそうに遊んでいる。
そんな光景に微笑を浮かべた。
しかし、すぐに笑みを消してエヴァライトへと向き合う。

只ならぬ緊張感が漂う。
エヴァライトは今にも那智へと攻撃をしかけていきそうだ。
しかし、一つの声が空気を破った。


「やめなよ、エヴァ大佐」


声がしたほうへと振り向くと、蒼髪を揺らす男性の姿があった。


「クラヴィン……!」

「そっちの女性の言うとおりだ。それに、ディーラ大元帥も本気でこの命令を下したとは考えにくい」


那智の傍に歩みながら、クラヴィンはエヴァライトへと視線を向ける。
思ってもいなかった闖入者に面を喰らう那智。
そんな彼女にニコリと微笑みながら続ける。


「そうでしょ?ディーラ大元帥」

『……ばれているのか』


ノイズを纏いながら、ここにはいない一人の女性の声が響く。
それに真っ先に反応を示したのはエヴァライトだった。


「大元帥!」

『エヴァ、お前にこの任務を与えたのは、少しでも"普通の世界"を知ってもらいたかったからだ』


軍人、となればいつでも戦場に赴き、自らを強化する。
そのためか、周りのことに疎くなることもしばしばある。
"情報"で知っていても、"肉体"が知らない。
そんな矛盾をなくすために、ディーラは彼を赴かせた。

彼は長く軍に居過ぎていた。
ディーラよりも長く、しかし驚きの若さで大佐という地位まで上り詰めた。
だから、情勢に疎くなってしまったのだろう。


「……なぁーんだ。大元帥もわかってるんじゃん」

『メルトは戻りたくないと言ってるのだろう?』

「そうだよ。ぼくも帰らす気はないけどね」


背伸びをしながら、那智は笑みを浮かべる。


「大元帥……」

『すまなかった。騙すような真似をしてしまって』

「いえ……私が未熟でした……これから本部へ帰還します」


那智とクラヴィンの二人に背を向ける。
振り返らずに、彼はこう言った。


「すまなかった」


消えていく黒い影を、二人は見詰めていた。
そのうち、那智がクラヴィンの方へと向き返る。


「ありがと」

「僕は何もしてないよ。……メルトお嬢さんによろしくね」


再び笑みを浮かべると、クラヴィンも歩き出す。

様々な情報。
それはただの言葉でしかない。

本当の世界はここまで暖かく、優しいもの。



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