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ゲ千解釈小説


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 メンタリストと名乗るだけあって、いい意味でも悪い意味でも人間の感情に過敏になったと思う。それは世界が一変した後でも同じで、生業にしている手前、もう慣れたと思っていたのだけれど。
 ゲンが「それ」に気づいた時に、最初に思ったのはただひとつ。

「……死んでも隠し通さなきゃ……」

 これだけだった。


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 嘘をつくのは簡単で、人なんてあっさり騙せてしまう。自分の実力にはそれほどの自信があったし、事実それで上手くやってきたのだから、ペラペラの蝙蝠男は性に合っているのだ。
 ただ目の前にいる男にだけは、ほんの少しだけ、嘘で取り繕った仮面が剥がれ落ちてしまう。目敏い彼はそれに気づいているのかもしれないし、気にしていないのかもしれない。

「……どうした、手が止まってんぞ」
「メンゴ〜。昨日遅くまで仕込みかかっちゃってちょっと眠かっただけ」

 まあこれももちろん嘘なのだが、それにしたっていつもの俺ならもう少しまともな嘘をつけるはず。最近どうも上手くいかないな。口から滑り降ちる嘘の質が悪い。
 彼、石神千空はそこまで気にした素振りもないまま、「そうかよ」と一言口にしただけでまた書き物の作業に戻った。
 司を眠らせたあの日から、かなりの時間が経ったと思う。千空達は石化の原因を突き止めるべく海の向こうに行くために、大型船を作っているところだった。
 ラボの隙間から乾いた風が入ってくる。季節はもうすぐ秋になる。秋になったら冬なんてもう一瞬だ。この世界は随分と変わってしまって、夏の余韻も感じない。ゲンが小さく肌寒さに震えたら千空も同じだったようで、軽く自分を抱くようにして腕をさすっていた。

「そろそろ冬服、出さなくちゃね」
「あ゛ぁ、人数も増えたしな。あ゛ー、そっちにも人員割かなきゃダメだな……本格的に寒くなる前にキリのいいところまでいきてえんだが」

 二人は向かいあってラボのテーブルにつき、作業を進めていた。千空は造船の作業リストを見直していて、またブツブツと独り言を言いながら書き物を進めていく。ゲンはというと、またよく分からない部品をよく分からないままに作っていた。手先が器用でよかったのか悪かったのか考えて、大樹達のような体力仕事と天秤にかけてはドイヒー作業の方がマシか……なんて思い直す。これも何度目なんだろうな。ちらりともう一度千空を一瞥してから、こちらのことを気にしない素振りの彼に安心して、作業に戻る。

 ──彼は3つ歳下の男の子で、科学が何より好きな恋愛不感症。

 これは俺のおまじない。脳内で3回唱えて、目を閉じる。人の思い込みは恐ろしいってことを知っているから、言い聞かせるように唱えては自分を押し殺す。こういうの慣れてるから大丈夫、ヨユーヨユー。
 あの日、科学の光に灼かれてしまったゲンは、確かに石神千空の持つ知識量と科学技術に惚れ、自分のために司帝国を裏切った。そう、惚れたのは彼にではなく、彼の持つ能力と、彼が創りあげるであろう新世界に、だ。3700年、暗闇の中で秒数を数え続けた男。普段から人を相手にするゲンでなくても、その所業に惹かれないわけがない。
 ──そう、思ってたんだけどなぁ。
 どうやらそれも、彼との付き合いの中で形を微妙に変えてしまったらしい。千空は恋愛感情を非合理だと切り捨て、その身をすべて世界の復興のための科学に捧げている。そんな彼に、己の愛だの欲だのを告白するのはどうしてもできなかった。それだけ、彼の創る未来に夢を見ているし、周りもきっとそう。まあ、俺がその気になれば彼の目を自分に向けることだってできるんだろうけど。それをしないのはどうにも歯がゆかった。

「……し、とりあえずこれで行くか。問題が出たらそん時はそん時だな」

 考えがまとまったらしい千空は、ひと息つく間もなく立ち上がって、リストや計画書をまとめ始める。

「杠に冬服の指示を出すから、それ終わったらテメーもそっちに回れ。今日の作業分はそのまま置いておいてくれればいい」
「オッケーわかったよ〜」

 ゲンが笑顔を貼り付けて指でオーケーのポーズをすると、考えがまとまってご機嫌らしい千空は「ん」と言いながらゲンの頭をわしゃわしゃと雑に撫でて、足早にラボを出て行った。いやほんと、そういうところ!!! 俺こう見えても歳上なんですけど!? というセリフよりも先に恋愛脳が邪魔をして、叫びたくなった。



 あさぎりゲンは、いつだって欺いている。
 それが奴の矜恃で、特性であることは科学王国民なら誰しもが知っていた。彼の話術やカウンセリングに救われた人は少なくないはずだ。人心掌握のプロ。ただの嘘つきなんかではなく、人をいい方向にも悪い方向にも動かせる能力の持ち主。ただ、皆が彼の善性を知っているから、彼は信頼されていた。
 そして基本的に、あさぎりゲンは人の前で自分の本性を表さない。その人に合わせて話すのが癖づいているようで、それがどうにも心地いいと評判ですらある。千空に対してもそうで、千空だって別に気にしていなかった。ゲンが嘘をついていようが、何かを隠していようが関係なく、千空もゲンのことを信頼していたから、それだけで良かったのだ。
 ……うっかり、ゲンの寝言を聞くまでは。

 ──冬服に衣替えをして少し経った頃。千空デパートは杠たちのおかげで繁盛しているようだ。千空は早々に自分の仕事を切り上げて、ゲンのところに石油とドラコの相談をしに行くところだった。

「メンタリスト、いるか……っと」

 ゲンの寝泊まりする一室を覗けば、彼はマジックの仕込みをしている途中で寝落ちたらしく、壁に凭れながら胡座をかいて、船を漕いでいた。手元には花や小さな袋が散乱している。

「……すげーな」

 よくまあこんな世界でこれだけ仕込んでいるものだ。千空が振った仕事をドイヒーと泣きながらこなしている傍らで、しっかりと自分の本職の努力をしている。こんな人間が、今更裏切るわけないんだって、みんなもうわかってる。

「さすがに仕込み覗くのは悪ぃと思うんだが、この気温じゃちょっとな……」

 もうすぐ日が沈む。日が沈めば気温は一気に氷点下に近づく。いくら厚着しているからといって、こんな寝方をしてしまえば風邪をひいてしまうだろう。仕方ない、起こしてやるか。そう決めて、千空はゲンに近づいた。

「おい、おいゲン。起きろ風邪ひくぞ」

 千空がゲンの肩を揺すると、彼はうぅん、と小さく呻いた。

「あれ、千空ちゃん…?」
「寝るならちゃんと布団にいけメンタリスト。テメーに風邪ひかれたら困んだよ」
「……ふ、千空ちゃんがでれてる」
「あ゛?」
「好きだよ千空ちゃん」
「は!?」
「ずっと言ってみたかったんだよねえ……」
「お、おいゲン……おい」

 時間にしては僅か数秒。その間にゲンは特大の爆弾を千空に落として、満足したみたいにもう一度寝息を立て始めた。千空は意味がわからないまま、しばらくフリーズしていた。

「だから布団で寝ろって言ってんだろ……」

 ゲンに起きる気配はなく、仕方が無いのでそばにあった毛布を彼の肩にかけてやってから部屋を出た。

「好きだ」と言ったあの顔が、忘れられなかった。
 あれが多分、あさぎりゲンの本当の顔だ。



 あれから何日経っても、何も無い。何も無いのはいいことだと理解しているのだが、やけにずっと気になってしまう。
 うっかりゲンの告白を聞いてしまった千空は、もちろんゲンの発言を信じていなかった。ゲンの告白が本心であれ嘘であれ、人間違いをしていた可能性も、そもそも恋愛的な「好き」じゃない可能性もある。あのシチュエーションだけで全てを信じ切って疑わないというわけにはいかなかった。
 じゃあなぜ、千空はこんなにもゲンのことが気になるのかと言うと、もちろん、あの時の表情である。
 ──あいつのあんな顔、初めて見た。
 完全に気を許したような、優しくて全く緊張感のない表情だった。それを知ってしまったから、あいつはいつもいつも何かしら仮面を貼り付けてるんだってことに気づいてしまった。きっと本人も自覚はない。そして、千空には千空専用の仮面を被って接してくる。そんなの今に始まったことじゃないのだが、あの時からずっとモヤモヤする。今まで何も思わなかったのに。

「……なんだこれ」

 今だって、ゲンは人当たりのいい顔でカセキとクロムと話していた。ラボに部品や鉱石を運びにきたところのようだった。

「あ、千空ちゃん! ちょうど良かった。ここに頼まれてたもの置いておいたから」
「あ、ああ助かった。お、仕分けまでしてくれてんのか、おありがてえ」
「そっちの方が使いやすいと思ってね〜無駄にならなくてよかった」

 ゲンは自然な笑顔で俺を見る。でもきっとそれは本当の笑顔であって、そうじゃない。こいつのよく動く表情筋は、心を隠すためにあるんじゃない。
 あの時の告白のことを、ゲンに言うべきか迷って、まだ言えないでいる。あれは本意じゃなかったのだろうし、言ってどうなる? って話だ。もしあの告白が本当だったとして、俺はこいつの気持ちに答えられるのかわからない。

「じゃあ、俺はまた現場に行ってくるかな。必要なものがあったら帰りに持ってくるから言って」
「ああ、じゃあ……」

 これとこれとこれと……そう言っておもむろにリストを指さす千空のことを、ゲンは一瞬、熱を持って見つめた。これが嘘なわけないとわかりそうなものだが、千空は気づかなかった。

 ──いつから、あいつはああなったんだ?
 違和感を感じ始めたのは最近だ。それでも最初の頃は気にはならなかった。それがあさぎりゲンという男だと思っていたし、あいつはあいつのテリトリーで自由にやればいい。ただ、どうやらそれだけの問題ではなさそうだと気づいたのは、やっぱりあの告白を聞いてしまってからだった。

「やっぱアレ、だよな……」

 聞くんじゃなかった。ゲンにも申し訳ないし、何よりも普通でいられない自分に一番困惑している。何度も「テメー、俺に隠していることあるだろ」って聞こうとしたけど、喉まで出かかった言葉をその度に飲み込んだ。簡単に人を欺けるあいつに、どうやったって本音を引き出せる人間なんかいない。あいつが、自分から言ってくれるのを待つしかない。
 こんなに一人のことを考えるのは初めてだった。考えて考えて、さらに何日か経ったある日突然、千空はこれが自身から最も遠い場所にあるはずの恋愛脳であることを、唐突に理解した。



 俺はゲンのことが好き。受け入れてしまえばあとは早かった。千空は爆速でロードマップを組み立てる。ゲンから言葉を引き出すには、言える環境、もしくは言わざるを得ない環境を作ること。あの告白が俺に対して隠していることなら話は早いのだが、問題はあれとゲンの被る仮面の関係がない場合だ。その時はもう一度計画を練り直すしかない。
 行動は至ってシンプル。単純明快な道筋だったが、千空が1番苦手としている事だった。だいたいこういうのは適材適所、いつだってゲンが担当していた。人の心や行動は、制御出来なくたって誘導はできるということ。車を動かすのではなく、道路を動かすということ。俺に出来るだろうか? あのメンタリスト相手に。

「まあいつも通り、トライアンドエラーでやるしかねえな」

 千空は自分を叱咤して、布団に入る。明日からどうすればゲンを「言える環境」に追い込めるのか。
 目標が「ゲンに告白させる」ことにすり代わっている気がしないでもないが、それが答えだと仮定している。そもそも千空がゲンに告白したところで、彼はおそらく信じないし、彼の隠しているものはもっと根深いものだと思う。そうでなければ、あの手腕で今頃とっくに俺の口から言わされてるに決まってる。ゲンが自分から、千空がゲンに恋しているんだってことに気付かなければ意味が無いのだ。

「……きっちーな……色々と……」

 色々とする前に、俺のメンタルはもつのだろうか?



 本格的に寒くなってきて、造船作業もようやくキリのいいところまで仕上がった。あとの大まかな作業は春以降に回して、それまでの間は細かな部品を作ったり、必要資材を確保したり、スケジュールを見直したりするようだ。とはいえ、長く作業していたものが一旦落ち着いた時のみんなの安堵感は相当なものだったらしく、今夜は豪勢に宴が開かれることとなった。龍水とコハクなんかは、もうすでにウィンタースポーツの計画を立てていた。元気だよねえ、本当に。
 もう陽が傾き始めている。初冬の日の短さには毎年驚いていたっけ。多忙なスケジュールを送っていたため、いつの間にか冬が来ていて、いつの間にか夏になっていて。季節を楽しむ余裕なんてなかったことを考えれば、今はだいぶ情緒的になったなあとしみじみ思う。
 大多数の人はもう、今日の仕事を切り上げていて、宴の準備を始める者もいれば、帰って夜まで休む者もいた。ゲンは後者だ。造船作業中、色々なトラブルを未然に防ぐために走り回った。誰かに褒められたいからというわけでもなく、これが自分の仕事だと思っているから、自分からやった。いつだって、ゲンは自分の仕事に誇りを持っている。

「でもさすがに、ちょっと疲れたな」

 やっと休める、と思えば疲れが一気に来た。うーんと背伸びすれば、肩がバキバキと音を立てるので苦笑する。ちょっとだけメンタリストを休業して、夜の宴までに回復させよう。そう思って自室に入ろうとしたところだった。

「よ、メンタリスト」
「っ!? せ、千空ちゃん!?」

 間借りしているはずの自分の部屋には、ゲンの想い人が堂々と中央に、胡座をかいて座っていた。

「なんでここに……!?」
「あ? テメーを待ってたに決まってんだろ」
「え……? あ、ああ、冬の間の作業の話かな? さっきの龍水ちゃんとの会議聞いてたけど……何か問題あった?」

 まさかまさか千空が自室にいるなんて予想外。ゲンは外しかけたメンタリストの看板を急いでつけ直し、千空にいつもの笑顔で接してみせた。正直、せっかく休めると思ったのに! と言いたいところだったが、千空に頼られるのは嬉しかったので、彼の参謀を続けることにした。

「ちげーよ。テメー、今日まで色々してくれたって聞いた。喧嘩の仲裁とか現場の人員の再配置とか……正直、俺はラボにいることが多かったから、助かった」
「ああなんだ、それは別に気にしないでよ、俺の仕事なんだしさ。こういうの得意なんだから大丈夫よ」

 つまりは、労いに来てくれた……と。嬉しすぎて涙が出そうだ。俺頑張ってよかった。
 でも千空はただ単純にゲンを労わってくれるわけじゃないようで、そこから続く言葉を探していた。いつもズバズバと物事を言う千空が珍しい。不思議に思ったゲンは彼が話すまで待つことにした。

「あ゛ー……、おいメンタリスト。テメーを労ってやる。そんで春からの士気を上げるために、俺がテメーに唆るモンやるよ」
「うぇ? 士気……?」
「あ゛ぁ、何か欲しいモンでもしてほしいことでもなんでもいい。造船中の礼に、テメーの望み、千空先生がなんでもひとつ聞いてやる。まあ俺ができる範囲でのことになるが……どうだ」
「え!? ジーマーで!?」

 突然降ってきたまさかの提案に、ゲンの疲れは一気に吹っ飛んだ。千空ちゃんが、俺の望みをなんでもひとつ叶えてくれる!? ただ、脈絡が無さすぎてどうにも腑に落ちない。千空は普段こういうことは言わないので、本当に労いのつもりの提案なのか疑ってしまう。
 ゲンの望み。欲しいもの。してほしいこと。千空にしか叶えられないけど、それを求めるのは無理だ。ここまで我慢している意味がなくなってしまうし彼も困るだろう。でも、千空が自分のために何かしてくれるなんて嬉しくないわけがない。コーラ一本だって十分。だから疑ってしまっても、この誘惑はゲンにとってとても魅力的だった。

「望み、何もねえなら別に構わねえが」
「あるある全然ある! やったージーマーで嬉しい! 俺張り切っちゃうよ!」
「待て、タダでやるわけねえだろ。俺とのゲームに勝ったらなんでも言うこと聞いてやる」
「えっ……ゲーム?」

 ──ああ、なるほどこっちが本命か。

「まあテメーなら楽勝だと思うがな。ウミガメのスープ、知ってんだろ」
「ウミガメのスープ? そりゃ知ってるけど……ていうか千空ちゃんが知ってる方が意外なんだけど。ウミガメのスープをやるの? 俺もう内容知っちゃってるよ?」
「クラスで一時期流行ってた時があったんだよ。当てんのは男がウミガメのスープを飲んで死んだ理由じゃねえ。俺が今考えてること当ててみろ」

 そう言って彼は自身の膝に頬杖をつき、ニィと不敵に笑った。なんというかすごく……欲を掻き立てられるお顔をしているんだけど。そういうことは考えないように努めて、ゲンも彼の前に座り込んだ。
 ──ウミガメのスープ。いわゆる水平思考クイズ。男がレストランでウミガメのスープを頼んだ後、帰宅してから自殺する。その理由を当てるゲームだ。回答者は出題者にイエスかノーで答えられる質問のみできる。

「千空ちゃんが今考えてること……」
「例に倣ってイエスかノーで答えられる質問のみに限定する。質問上限は20まで。20個目の質問で当ててみろ」
「待って待って。これ、当てられなかったらどうなるの? 俺は罰ゲーム?」
「いや? 勝手に付き合わせてるのは俺だしな、テメーが負けたらこの話はナシ。それだけだな」
「えってっきり作業量倍にするとか言い出すのかと」
「倍にしたかったらゲームなんかしねえで勝手に倍にするわ」
「相変わらずドイヒー……」

 まあつまり、千空に何もメリットがない。これでゲンへの労いとか士気とかは関係なく、このゲームに意味があるってことが読み取れた。千空ちゃんの考えてることが、おそらく俺に伝えたいことなんだろう。そして、きっと彼はゲンが勝つことを想定している。ウミガメのスープみたいな話術と推理のゲームにゲンを誘うなんてそういうことだ。ゲンは千空にしては合理的ではないなと思いつつ、余計にヴェールに隠された答えが気になってしまう。もちろん、受けない手はない。

「俺、こういうの得意なんだけど? サービス問題ってことね」
「おーおー、そういうことにしといてやる。じゃあさっさと始めんぞ」
「えっもう!? ジャンルとかはナシ!? なんかヒントとかは」
「テメーメンタリストだろ、そんくらい自分で考えろ」
「メンタリストはそんな便利な職業じゃないよ!」

 千空はそれ以上話す気は無いようで、口を噤んでしまった。ゲンは仕方ないと割り切って、今出ているヒントを整理する。ヒントは「千空が非合理的な手段を取ってまで俺に伝えたいこと」暫定これだけだろう。つまり、「石神千空らしくないこと」だと仮定する。

「オーケーわかったよ、じゃあ始めよう」

 ゲンも姿勢を正して彼に向き合った。千空は依然として不敵な笑みを浮かべていて、いつでもどうぞと言わんばかりにゲンを見る。夕陽が彼を照らして、その真っ赤な瞳がとても綺麗だった。

「じゃあまず……それは千空ちゃんにとって大事なものですか」
「イエス」
「それは今千空ちゃんの問題になっている?」
「イエス」

 ゲンはとりあえず確認として質問をしてみる。やっぱり千空ちゃんは、自身が抱えている問題を俺に投げかけようとしている。ゲームに負けて答えが聞けなかったとしても、その後に相談されるだけなのかもしれない。

「それは造船に関わっている?」
「……ノー、だな」
「なるほど」

 ……でも今千空達が行っている作業についての話ではない。

「それは石化現象に関わっている?」
「ノー」

 そして、多分今後のロードマップの話でもない。
 科学一辺倒の千空ちゃんのことだから、例えばこれからのことへの弱音だったり、相談だったりするかと思っていた。まあそれこそ千空ちゃんはわざわざゲームを通してまで俺にそんなことを伝えはしないか。
 今後の科学の話でなくて、千空らしくない問題となると、彼自身の話になりそうだ。

「うーん。じゃあ、それは千空ちゃんの過去の話かな?」
「ノー」

 彼の大事なもので彼自身の話となれば、一番最初に思いついたのは千空の父親のことだった。でも、それも違う。

「じゃあ人間関係」
「イエス」
「!」

 石神千空が人間関係で悩んでいる。確かに意外だし、千空ちゃんらしくない。回りくどい言い方で相談するのも頷ける。となれば……あまり考えたくはないけど。

「千空ちゃん、あの……一応ないかなと思うけど、興味本位ってのもあって……」
「なんだよ早く言え」
「……それは恋愛関係?」
「……イエス」
「!!!」

 確認したくなかった!!! ジーマーで!!! こんなさらっと千空ちゃんが恋愛で悩んでいるなんて知りたくなかった!!!
 いやもしかしたら大樹ちゃんと杠ちゃんの話かもしれない。気を強く持てメンタリスト。プロだろう。そう、プロなので、表情に動揺は出さない。それがとても虚しい。今俺が綺麗に動揺出来たなら、千空ちゃんは俺のことを気にかけてくれたのだろうか。

「……えっと、じゃあ、それは千空ちゃんの好きな人?」
「……イ、エス」

 ──なんだそれ。
 なんだそれなんだそれ! そんな表情初めて見た。こんなに長く一緒にいたのに、そんな、返答に詰まって頬を少しだけ赤らめる千空ちゃんなんて知らない! 誰かがそうさせていると思うと、嫉妬と憎悪がふくらんで一瞬でぐちゃぐちゃになる。ゲンはさっきから急速に地獄に落とされ続けているというのに、当の本人は耳を弄りながらなんでもない事のように目の前の白黒男を見ていた。ゲンは今大失恋をしたばかりでそれどころではない。
 そっか……。俺が結局何したって千空ちゃんには好きな人がいるのか。

「おい続きは」
「……ちょっと待ってショックが大きい」
「なんだそれ」

 こうなったらヤケだ。相手を特定してやる。特定した後どうするかは、秘密ということで。

「はぁ、メンゴメンゴ。それは、科学王国の人?」
「イエス」

 千空ちゃんが、科学王国の共通の知り合いに恋をしていて、悩んでいて、遠回しに俺に相談を持ちかけている。
 つまりは、千空ちゃんはその人の名前を当ててもらいたくて、俺はその人との関係の発展の仕方を、このゲームが終わったあとに相談されるのだ。最悪の事態。千空ちゃんは科学にしか興味がないって思ってたから油断した。こうなるんだったら我慢せずに告白しちゃえばよかった。でもゲンが外堀から埋めて、自分以外の選択肢が無いようにすることだってできたのにそれをしなかったのは、やっぱり千空のことが好きだからだった。

「……今質問いくつ目だっけ」
「次でちょうど10個目だな」
「折り返しかぁ」

 正確には20個目の質問で『それは○○ですか』と回答しなければならないので、残りの質問は次を含めて10個となる。
 ──もう負けたって良くない? 俺、これに勝ったら好きな人から恋愛相談受けなきゃならない。そんなドイヒーなことってある? 願いを叶えてもらっても労わられてる気がしないよ。

「おい、放り投げんなよ。やっと折り返しなんだからな」
「折り返し、折り返しねぇ……」

 そうは言ったって……と心が折れそうになって項垂れて、ふと思い至る。折り返し。なにか引っかかる。
 千空ちゃんの方を見ると、彼は開けた窓の外を眺めていた。何を見ているのかわからないけど、改めて整った顔立ちをしているなと思う。やっぱり彼に想い人がいようがいなかろうが、俺はずっと片思いをするんだろう。

「……さて、続きだ。暇じゃねえんだ、すぐ夜になるからな。さっさと進めんぞ」
「うぅ、はいはい。えっとじゃあ、その人は千空ちゃんより歳下?」
「ノー」

 石神村には年齢不詳も多い。つまり、千空がノーと即答できるのは、その人の個人情報を知っているか、年齢が分かる石化復活者か、もしくはスイカやカセキのように、その人の見た目から簡単に推察できるか、ということになる。

「あっこれ聞けば絞り込めそう! その人は司帝国にいた?」
「イエス」

 ということは、石化復活者で間違いない。
 しかし、ここまできて絞り方がわからない。司帝国にいた女の子は、ニッキーちゃん、南ちゃん、ほむらちゃん……。

「……千空ちゃんは、その人にプレゼントをして、その場に俺はいた?」
「お。イエスだな。近づいてきたか」

 ……カメラだ。
 なるほど〜! 千空ちゃんの好きな人は南ちゃんか! そっかそっか〜! 確かに南ちゃん、しっかりしてるしかわいいし綺麗だし、記者ってだけあって話も上手だし、好きになってもおかしくないな。千空ちゃんがカメラを渡すシーンは感動したもんね。

「……どうしたメンタリスト。近づいてきたんだから喜べよ」
「いやね、メンゴね、なんでもないよ……」

 プロだろう、あさぎりゲン。俺は今、ちゃんと取り繕わなきゃならないんだから。

「なんか、もうわかっちゃった気がして」
「まだあと7個あんぞ」
「……じゃあ、そうだな……千空ちゃんがその人にあげたのは、カメラ?」

 あーあ。自分で追い討ちかけちゃって。もう俺のメンタルはボロボロだよ、メンタリストが聞いて呆れるよね。

「? ……、! ぷっ、クククク、あはははは! ヒィ、てめー、まさかそっちいくか、ククク!」
「え、っと、千空ちゃん? 違うの?」
「あ゛ぁ、ノーだ。テメーならいけると思ったんだが、買いかぶりすぎたか?」

 待って待って待って。そうしたら話が変わってくる。俺がプレゼントの現場に立ち会った、元司帝国側の女の子? リリアンの歌がプレゼントに入るなら、ニッキーちゃん?

「なんかたどり着けなさそうだからしょうがねえ、ヒントをやる。そいつは男だ」
「!?!?!?」

 ──いや。
 いや待ってよ。まだ南ちゃんやニッキーちゃんならよかった。女の子なら、俺は勝てないから引き下がることはできた。それが、まさか、男。
 でもそれなら本当に心当たりがない……あとは、もう、自分の願望しか残ってなくて、でもそれは死んでも隠さなければいけないもので。

「わかってんだろ、メンタリスト。逃げるな」
「……」

 千空ちゃんが俺を見る。俺を真っ直ぐに見つめる、その真っ赤な瞳に写った夕陽が、いつの間にかもう沈んでいく。吸い込まれていくみたいに動けなくて、やっぱり俺は、この子を前にするとうまく偽れない。
 折り返し。折り返しだったんだ。ロードマップの中間地点。俺たちの。

「千空ちゃんは、その人のこと、信頼してる?」
「イエス」
「その人は、……千空ちゃんの作った電気の光を見た」
「イエス」
「その人は、千空ちゃんの作った自動車を運転した」
「イエス」
「その人は、千空ちゃんに天文台を贈った」
「イエス」
「その人が……その人が、千空ちゃんから受け取ったプレゼントは、コーラ?」
「イエスだ」

 息を呑んで、吐く。嘘で固めたゲンの、祈りみたいな声が出た。寒くもないのに指先がかじかむみたいに小さく震えていた。いや、寒いのかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。声を出そうとして、乾いた息が出るのがおかしくてどうにも笑いそうになる。

「……メンゴ、最後にひとつ。その人も、その人も……千空ちゃんのこと、好きだと思う?」
「……それは、わかんねえ。だから、知りたい」

 千空は、睫毛を少し震わせて、一瞬だけ目を伏せた。そして、射抜くようにゲンを見る。流れるように緩慢なその動きが、とにかく神聖なものに見えて仕方がなかった。

「さぁ、答えは?」
「……その人は、浅霧幻」

 ゲンも、千空を見つめ返す。嘘が剥がれたこの身一つが心許なくて震えそうになったけれど、ゲンの答えに、彼は待ってましたと言うかのように目を細めた。それだけで、それだけでもう、俺はやっと、この子の前で俺でいてもいいのだと思った。

「ククク、正解だ。百億万点やるよ!」

 勝手に流れそうになった涙を隠すように、ゲンは千空に抱きついた。

「重てえよ」
「……」

 普段あれだけ簡単に出てくる言葉の数々が、喉奥で渋滞している。大切な場面で、俺は何も言えない。抱きつかれたままの千空は子供をあやす様にゲンの背中をポンポンと叩いた。

「ほら、テメーの勝ちだ。約束通り言うことひとつ、なんでも聞いてやる」

 千空はなんでもだぞ、と念を押すように言った。それで、俺はまんまと千空ちゃんの作戦に乗っかっていたんだと知る。ゲンは千空の表情が気になって、がばりと勢いよく顔を上げた。千空ちゃんは得意気に笑っているけど、多分俺はかなり酷い顔をしている。

「〜ッかっこよすぎでしょ千空ちゃん〜〜!! なんで!? いつからこんなことしようと思ってたの!?」
「あ゛ー、テメーが寝言で俺に告白したときがあってな……衣替えした直後くらいだな……そんで……」
「え!? まって告白!? 俺が!? 千空ちゃんに!? なんにも覚えてないんだけど!?」
「うるせえうるせえ! テメーが勝手に言ったんだろ! テメーはその後何も無かったようにスヤスヤ寝てやがったから腹が立ったんだよ。慣れねえことはするもんじゃねえな」

 ゲンは絶句する。何があるかわからないから千空の前では寝なかったし、酒も飲まなかった。絶対に隙を見せないように気を遣っていた。それなのに……。

「……あ。あの……毛布が肩にかかってたとき……」
「思い出したか。アレかけたのは俺だ」
「あぁぁあ〜〜〜〜〜〜嘘でしょ…………」

 ──じゃあ俺が必死になって隠していたのは無駄だったってこと……? いや、嘘だと言ってくれ。
 千空は頭を抱えるゲンを見下ろしながら、やっと胸のつかえが取れたような心地になっていた。ゲンが自分のことで一喜一憂するのは気分がよかった。

「ほら、ゲン」

 千空ちゃんが俺の名前を呼ぶ。それが願いの催促なんて聞くまでもなかった。俺はもう一度彼の瞳を見つめ返す。ペラペラの蝙蝠男のよく回る舌は、今はもう使いものにならない。

「……好き、きみが好きです、千空ちゃん。俺と付き合って。俺の恋人になって、好きって言って」
「それがお前の望みでいいのか?」
「うん。俺はずっとこれだけが欲しい」

 その時のゲンの表情こそ、千空がもう一度見たくてたまらないものだった。愛しいものを見つめるような、優しくて温かい表情。千空はにっと勝気に笑って、ゲンを見る。恋愛脳も一目惚れも、永遠に理解できないものなんじゃないかって思ってた。けれどこれは、確かに俺の感情だ。
 ゲンは真剣な顔で、千空の言葉を待っている。千空は彼の綺麗な右手を両手で包んでから答えた。言葉足らずな自分の気持ちが、正確に伝わるように祈りを込めて。

「……よく聞けメンタリスト。俺もテメーが好きだ。なってやるよ、恋人に」

 瞬間、包んだ手をそのまま勢いよく引かれ、千空はもう一度ゲンに抱きしめられる。
 陽はすっかり暮れてしまっていて、窓の外から賑やかな音が聞こえてくる。薄暗い部屋の中で、ゲンはやっと仮面を外し、大好きと囁いた。

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