こんな子じゃなかったのに、と言われたことはない。でも、そういうことを思ったんだろうなっていう顔をされたことはある。は? ふざけてんのか? お前が思っていたような子供じゃなかったらなんか不満でもあったの? 目の前にいるお前の子供が本当に、心の底から「いい子」だったことが一度でもあったか?
 「いい子」に見せかけるくらいなら誰だってできる、と思う。心の中でどんなことを考えようが感じようがそれは誰かに咎められることではない。思うだけなら自由だ。どんな思いをしながら「いい子」を演じていたか知らないくせに。「いい子」であるだけでそれ以上でもそれ以下でもなかった。なんにもなかった。腹が立つ。
 そう。だから、そういう顔をされたときに俺がとった行動は曖昧に流すだけだった。



 彼は母親が泣いていたところを見たらしい。泣かせてしまったことを負い目に「優等生」になろうとしている。優等生は入学早々に退学騒動起こしたりしない、や、あれに関してあいつはただの巻き込まれですけど。まぁそれは置いといて。制服を着崩すことなく、真面目に授業を受ける姿は確かに「優等生」のツラだった。

「そんで、こことここが一緒だからこうなる」
「あ、あー……? なる、ほど?」
「だからさっきの公式が使える」
「お、おお……」
「他人事みてえな反応すんな、次からお前がやるんだよ」

 眉間のしわが深くなるのを見て思わず笑ってしまう。魔法が使えないから実技はできないけど座学は覚えればいいだけ。俺はこっちの方が気楽だったけど彼にとっては多分逆なのだろう。なんだっていいけど、違う世界から来た俺にこっちの勉強を教わるってどういう心境なんだろう。本人がいいって言うなら言うことはないんだけど。

「それにしても、お前、勉強得意なんだな」
「……そうでもないでしょ」

 要領が悪いからとりあえず覚えるしかなかった。だって余計に目立ちたくない。入学式やらシャンデリアやらの時点でどうしようもなく目立っていたのに、それで勉強までできませんはあまりにも嫌だった。せめて平均くらいの点数をとっていたい。そうしたら、そこまで目立つようなことはないだろうと思っていた。グリムの点数を合わせたら平均より下になるけど、そのくらいでいい。魔法が使えない人間は所詮その程度という話。

「でも、ちゃんと授業聞いてるじゃないか」
「それは普通のことでしょうが」

 居眠りしないことと勉強が得意なことは一致しない。居眠りをしなくても授業を聞いているとは限らないのだから。俺の前にいるこいつが居眠りをしないように頑張っていることは知っているけれど、それは全部「優等生」のため、なんだろうなあ。
 別にこいつが「優等生」になろうとしていることに文句はないし、それはきっと正しいことなんだと思う。母親を泣かせてしまったから、心配をかけてしまったから、安心させたいから。親孝行ってこういうことを言うんだろうな。とてもまっすぐで素直で真面目。そんなだからすぐ騙される。騙されるのはお互い様か。まぁいいや。とにかく、彼は「優等生」かどうかはともかく、真面目な人間だと思う。勉強だって頑張っているみたいだし。頑張ったからって成果があるとは限らないけれど。

「……僕もお前みたいに頑張らないと」
「……はぁ?」
「え、」
「いや、えぇ? なんて?」
「お前みたいに頑張らないとって」
「おま、はぁ? なん、……あー、や、いい。ごめん、気にしないで」
「お、おう? わかった」

 マジかよこいつ。頭を抱えたくなる。なんかあったら言えよ、じゃねえんだよお前。なんで俺みたいに、ってなるんだよ。俺は、別になにも頑張ってなんか。

「……俺、別にお前の思うような優等生なんかじゃないよ」
「? あぁ、それはそうかもしれないが、勉強を頑張ってるのは事実だろ?」
「その顔腹立つー……」
「は? なんでいきなり喧嘩売ってきたんだ?」
「ごめん」

 今のはさすがにない。ほんとごめん。事実だけど。言っていいことと悪いことは世の中にたくさんある。デュースはむすっとした表情だったけどしばらくすると手元のノートと教科書に視線を落とした。
 別に、本当に頑張ってなんかない。要領が悪いから覚えなきゃいけなかっただけで、それ以上でもそれ以下でもない。お前の方が頑張ってるよって言っていいのかわからなかった。ただ当たり前の事実を言うような顔。あぁ、なるほど、お前に俺はそういうふうに見えてるんだな。
 染みついた習慣が中々抜けないということは自覚してる。他人にどう返事をすればより「いい子」に見えるのか、どんな態度でどんな言葉づかいで接すればいいのか。無意識だった。何もかも、全部。いままでずっと演じていたからといって、すぐに止められるものでもない。図星、っていうと語弊がある気がする。デュースの言葉はいつもいつも俺が見ないふりをしていた部分に突き刺さる。親のことも優等生のこともそう。本当にあの時5秒くらい固まったんだけど、その後の卵で彼の俺に対する違和感は全部流れたので卵万歳って感じ。それは今はどうでもいいですね。

 あの時、真っ先に思ったことが「無理して優等生になる必要がどこにあるんだよ」だった。確かに母親に心配をかけたくない気持ちはわかる。泣かれるのは嫌だ。心配をかけるのも嫌だ。それでも、そうだとしても。やりたいようにやればいいのに、と、思ってしまった。最悪、最悪だよ。自分がそんなふうにできなかったからってこいつにそれを思うのは違う。俺の人生とこいつの人生は違う。こいつは自分が悪いって思ってる。そして多分、彼の母親も彼と同じように自分が悪いって思ってる。育て方、何一つ間違ってないと思いますよ。だって彼はこんなにも頑張ってる。会ったことないけど、デュースの母親はきっといい人なんだろうな。けれど俺は親が思っていたような子供じゃなかった。俺は俺が間違ってるとは思ってなかったけど、親は俺が間違ってると、思ってる。やっぱりおんなじ目線で比べちゃいけない。
 だって俺はずっと勝手に望んでたのはあっちだと恨み言をもってる。なんで俺があんな顔されなきゃいけないの。あんな、裏切られた、みたいな顔。俺はこの人たちが望んだような「いい子」じゃなかったんだな、とわかる顔。だるいな、とか、やだな、とか思うような子供だと思っていなかったんだろう。俺が自分で望んでそうなっていたと、本気で思っていた気さえする。あの顔を見た時、所詮は演じていただけで俺自身にはなんにもなかったことを思い知らされた。
 そうだ、自分になんにもないことくらい知っていた。中身空っぽ人間。笑えない。それに見て見ぬふりをしてそのまま「いい子」をしていようとしたのは、俺だ。だってその方が楽だから。今更他人の前で被っていたものを取り払う気は起きなかった。全部全部ぜーんぶ、今更すぎた。たとえ親が望んだ「いい子」じゃなくても俺は死ななかったし呼吸ができた。次の日に親とご飯を食べることもできた。多分こういう話をこいつにしても首を傾げるんだろう。俺だって別に、あんな顔をさせるつもりはなかったし申し訳ないなという気持ちくらいある。ただ、それ以上に何勝手に期待してんだと思うだけで。勝手に期待して勝手に失望しただけじゃん、俺はそんなに。

「な、なぁ、監督生」
「んぇ、なに?」
「ここってどうしたらいいんだ?」
「それさっきの応用だよ」
「お、う……」

 小さく唸りながら首をひねる。とりあえずは自分で考えてみようという心意気は嫌いじゃない。少ししたらまた声がかかることまでを含めて。