:シャルル

 どうしよう、と思った。別に人の死体は珍しいものじゃない。戦場に行けば見たくなくても目に入る。けれどもこれは、これは違う。
 自分の息遣いが気持ち悪い。普段なら気にならない呼吸の音。耳の奥でうるさく鳴っているのは、多分、心臓の音。全てがうるさくて、気持ち悪い。
 きっかけは、なんだっけ。全然思い出せない。思い出したくないだけかもしれない。この手に残っている感覚を早く忘れたい。

「マスター」

 いつものように彼は声をかける。その声に不必要に肩が跳ねたことを、きっと彼は見て見ぬふりをした。
「どうしたい?」
 真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳は揺れない。それに耐えきれなくて心臓を潰してしまいたかった。ヤバいとか死にたいとかごめんとか喉が渇くとかそういうことを、口に出来なかった。
「どう、してくれるの」
 自分の保身だけを考えるような人間に、君は何をしてくれるの。いつだって君の笑顔はうつくしかった。
「とりあえず隠そっか」
 その、とりあえず、が軽くて重い。つらつらとそれのばらし方が君の口から出てくることが耐えられない。ねえ、君、シャルル、そんなのどこで覚えたの。
「ずうっと昔。マスターは知らなくていいよ」
 甘くてやさしい声で話しかける。君の言う昔ってどれくらい昔なんだろう。
 そこに転がっているそれを君はどう思っただろう。道を間違えた人間を、君は。
「大丈夫。大丈夫だよ、マスター」
 なんにも大丈夫なんかじゃないよ、君は確かに銃で人を撃つけれど、メディックは、ちがう。人だ。そう、人が人を撃つのは、間違ってる。
「そうかもね。本当は誰も死なない世界がいい。でもねマスター、そうなったら、俺は、」
 息を吸った。言いたいことを呑み込んだ音がした。シャルルの顔を見れば、確かに真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「ねえ、マスター。一緒に逃げようよ」
 誰も俺たちのことを知らないところまで。大丈夫、俺は逃げるの得意だし、君のことだってちゃんと守り抜くよ。
「俺は、君と一緒にありたいから」
 銃と人がどこまで一緒にいることができるか、ということをきっと彼はその身をもって知っている。君の誇りは祖国と共にあったことなのだから。





:カトラリー

 はあ、と息を吐いたことに対して、君の身体がびくりと固まった。別に怖がらせるつもりはなかったんだけど。でも、まあ、仕方ないか。
 僕たちの下に埋めたそれは、マスターにとってどんな人間だったのか。僕は知らない。知る必要はなかった。ただ、マスターは泣きそうな目で僕を見ていた。それだけで十分だった。
「……今度から、こういうことになりそうだったら僕に言ってね」
「こういう、こと」
「君がどうにかしてしまう前に僕がどうにかするから」
 何かを言いたげに口を閉じたり開いたりを繰り返していたけれど、そのうち完全に閉じてしまった。
 僕の手は既に汚れている。大丈夫、気にしなくていいよ。そう言ったところで、きっとマスターは気にするのだろう。この人は優しい。優しすぎる。そんなマスターの手を汚すなんて、許されない。君の手は誰かを救う手だ。僕みたいな汚れ仕事、似合わないよ。
「帰ろう、マスター」
 眠ってしまえば全てなかったことにしてくれる。明日起きたらまたいつもと同じ日常が君に訪れる。あの基地は僕たちの帰る場所だ。
 その方向に歩きだそうとすれば、くん、と後ろから袖口を引っ張られる。思わず振り返ればマスターがまた泣きそうな目で僕を見ていた。
「……いっしょ、に、いて」
 思いがけない言葉に一瞬息が詰まる。一人でいたくないという気持ちは、わかる。でも多分、君が思っていることと僕が思っていることは違うだろう。君のそれは、あまりにも心許ないものだった。
「あ、あの、嫌だったら、」
「まだ何も言ってないでしょ」
 黙ったままになってしまったことは悪いと思ってる。不安げに揺れる君の瞳が綺麗だなんて、この状況では口が裂けても言えないことだ。
「いいよ、僕なんかでよければ、だけど」
「この状況で、他のひとはやだ」
「、そう」
 やさしくて、よわくて、ずるい。もろいひと。どうか今日のことを忘れてくれますように。





:エンフィールド

「何やってるんですか?」

 いつもと同じ声が耳を通り抜ける。後ろから確かに呼ばれたはずなのに遠くのほうで音がする。そういえば、彼の声はよく通るから好きだった。
 座り込んだまま答えずにいれば、覗き込むようにそれを見られた。あ、やば、い。
「え、ん、」
「ああ……、と。どうしましょう、埋めましょうか?」
 まるで明日の天気でも聞くような軽さで問いかけられて、頭が真っ白になる。うめる。埋める? これを?
 言葉に詰まってただ呆然と彼を見上げると、いつもと変わらない様子で続ける。
「大丈夫です。僕にお任せください」
「な、に。なに、いって、」
 口が乾いて言葉が上手くでてこない。言い訳をしようと思っていたのに、なにも考えられなくなった。いや、言い訳ができるような状況なんかじゃないんだけど。
 本当、は。怒られると、非難されると、思っていたんだ。だってあなたは正しい存在だから。こんなことをした人間を、許しはしないでしょう、って思っていた。それなのに、そんな、手助けをするようなことをさらりと口にする。頭が痛い。倫理的にまずいでしょ、そんなの。ていうか、任せるってなに。任せたら全部してくれるの。意味がわからない。
「……マスターも、一人の人間ですから」
 その後に続くはずだった言葉を想像できるほど長い人生を送っていない。人間だから、いつか人を殺すと思っていた? メディックでありながら一人の人間だと、そう思っていたの、あなたは。
「さあ、マスターはどうかお気になさらず。僕が全て片付けますので」
 鮮やかな笑顔で言い切ったエンフィールドがひどく美しく見えた。






:スナイダー

 ずっとずっとこびりついていて、忘れられなかったのは土とそれの臭いだった。深く深く埋めないとだめだということはなんとなく分かっていたから、きちんと処理をして埋めた。それだけ、それだけのことだ。

「ひと、を、埋めたんだ」

 スナイダーは驚くことはなく、かといって動揺することもなく、ただ一言、そうか、とだけ呟いた。いつも通りの声音で、興味も関心も薄そうな態度で。そのことが救いのような気が、して、吐きそうになる。
「俺のことは埋めてくれるなよ」
「、は、無理でしょ、そんなの」
 冗談とか、言うの、きみ。初めて聞いた。笑えない。下手くそ。
 そんなことを言えるわけもなく、ただ黙って彼から顔を逸らす。
「それがどうした」
 淡々と言葉を投げる。会話が下手くそなのはどちらのせいか。多分、こんな感情を抱いたまま君と向き合おうとした人間のせいだ。人間は銃にかなわない。一生をかけても、君に届く日はこない。
「おまえが過去に何をしていようが俺には関係ない」
 大事なのは今ここにいて君を治療できること。あーあ、なんにも救えないな。メディックは人を、君たちを治療するためにいるはずなのに。
「……君、意外と言葉を選ぶの正確だよな」
「は?」
「その顔と声はめっちゃ怖いけど」
「好きでこうなってるわけじゃない」
「だろうね」
 君を君たらしめているもののなかには何があるだろう。きっとここにいるマスターは不必要な存在だったろう。だって君が実際に人々に扱われていた時を知らない。君が過去にどんな人に扱われ、どんな人を撃ち抜いたのか。そんなことを知ってどうする。ああそうだ、大事なのは、大切なのは。今ここで君が生きていることだ。
「ま、確かに過去に何してようとどうでもいいよな」
 こういう答えをほしがって君に話した人間のことなど忘れてくれよ、スナイダー。





:エカチェリーナ

 真っ赤に染まる服を見て、ああそうだ、彼は銃だった、と今更痛感した。
「ごきげんよう、ますたー」
 にこりと笑顔を浮かべる彼に対して薄ら寒さすら感じる。けれど、そう、それが、彼だった。女帝は確かにそこにいた。
「どうしましょう、これ」
「え、ええ……丸投げするつもりだったの……」
「いいえ? とりあえず、アレクにばれたらめんどうだなあ、くらいには思っていましたけれど」
 ますたーには、かくしたところでそのうちばれちゃいそうだなあ、とも思いましたよ。そんなことを言われたからといって、目の前の光景が嘘になるわけじゃない。真っ赤に染まる服も、彼の足元にあるそれも。すべて本当のことで本物だった。
「ますたーは、」
 ふ、と息を吐いてまっすぐにこちらを覗き込むように見上げる。その瞳はほんの少し、濡れていたような気がした。
「ますたーは、おともだちのひどい悪口を聞いてしまったら、ゆるせます?」
 どう答えるべきか、正直なところ迷った。きっと、許せないよと言ってあげればいいのだろうけれど、その一言がひどく重く胃のあたりに溜まっていた。
 言い淀んでいると彼が、ふ、と息を吐いて目を細める。
「まあ、べつにますたーがゆるせても、ぼくがゆるせなかったらそれだけのことです」
 ねえ、ますたー。ますたーはきっとぼくのそばにいてくださいね。
 その言葉があまりにも寂しそうに聞こえた。のは勝手な思い込みだろうか。そういう、そういうとこがずっるいんだよきみは。
「きみ、は。銃だ」
 ぴくりと肩が動いた。それを一瞬だけ見てから言葉を選ぶ。
「だから、きっと、人よりそういうことが簡単にできてしまうだけだよ」
「ぼくを造ったのはあなたたちですよ」
「そう、なんだけど」
 銃を造ったのは人間で、きみたちは人間に使われる物で。そのことをわかっていたつもりでいても、目の前に居る彼をひとのように思ってしまうマスターのことを知っているんだろう。
「……ふふ、ますたーはやさしいですねー」
「……嫌味?」
「いいえ? いやみならもっとわかりやすく言いますよー。知っているでしょ?」
 潔すぎではないでしょうかエカチェリーナさん。とりあえず、彼の足元で倒れているままの二度と動かないそれをどうにかしよう。いつまでも現実逃避をしている場合じゃないんだって。
「捨てるならバラした方がいいよね」
「意外とくわしいんですね?」
「知りたくはなかった知識かな」
「これ以上ふえないことを祈っておきますね」
「よろしく」
 銃が祈る神ってなんだよ。ていうか神様とか信じてるの。祈る姿は正直似合うと思います。はい。信仰心が彼の中にあるかどうかという話になっちゃうから横に置いておこう。