例えばただのレジスタンスでメディックならば、ここまで彼らと接する機会はなかっただろう。きっと、なんてことはない人生でそのまま死んでいくと思っていた。それが許されないのだろうなと思ったのは、彼にその銃を突きつけられた時だった。 あのまま殺されてみたかった、という最低な思いは誰にも伝えたことはない。一生ないだろう。死にたいの四文字は胸に秘めたまま、今日も私はそこにある命を救う。別に、人間相手にするなら私じゃなくてもいいのに。そんなほの暗い感情を知られているだろうか。知っていて、私を此処に置いてくれるのだろうか。 「マスター? どうしたの?」 ぼんやりと外を眺めていれば柔らかい声がする。その声に振り向けば扉のところでシャスポーが不思議そうに首を傾げていた。ああ、そういえば開けっぱなしにしていた。衛生室には私以外誰もいなかったから、別にいいんだけど。 「ううん、最近寒くなったなあって思っただけ」 「ああ、確かに。暖かくしなくちゃね」 一歩だけ、足を進めようとして止めた。それに対して口を開く前に彼が優しく微笑んだ。 「ねえ、なにか手伝うことはない?」 ぱっと思い浮かばなくて言葉に詰まる。それを察したシャスポーは少しだけ視線を逸らした。 「えっと、ないなら別にいいんだけど」 「や、ええ、と……、あ、あそこの棚から瓶を取ってもらいたい、かな」 その言葉を聞いて、わかった、と言う。嬉しそう。棚の方に向かう君から目を逸らす。その思いは私には少し、荷が重い。言ってしまったら、きっと君は捨てられた迷子のような感情に殺される。私が君を殺してしまう。ひとの命を預かるのに向いてないね、メディック。 「どの瓶? 空のでいいの?」 「あ、うん、そう。ありがとう、シャスポー」 はっとして顔を上げれば、彼が軽々と高い棚に手を伸ばしていた。身長高いなあ。私がその棚の中を物色しようと思ったら確実に踏み台が必要なのに。羨ましい、というよりは不便がなさそう。偏見だけど。 「この部屋も掃除しなきゃなあ」 「十分綺麗だと思うけど」 「見た目だけはね」 「そうなの?」 「そりゃあ、怪我人の治療するとこだし、多少はちゃんとやってるけど」 見えないところを適当にやり過ごしてしまう。私の悪い癖。そうやって、大事なはずのものまでいつの間にか過ぎ去ってしまう。空の瓶を私に差し出すシャスポーにもう一度礼を言う。 「どういたしまして」 ふと見上げれば彼はうん? と首を傾げる。私を見るその目は優しげだった。きっと、他の貴銃士に見せるものとこれは違うのだろう。どうして、と言葉にしかけた。どうして、そこまで私のことを。 「なんでもない」 なんでもなくは、ないけれど。こう言ってしまえば彼が深く突っ込まないことを知っている。ずるいな、と思う。いつだって私は彼と向き合うときに、許しを乞う。二挺目のシャスポー。貴方と話をするだけなのにこんなにも言葉を選ぶ。例えば貴方が私を憎んでくれたなら、また違った結末になっただろう。私じゃなく、自分を責めるような貴方だからこそ、この結末だった。ただそれだけの事実。 渡された空の瓶が重く感じた。この瓶の中に逃げ込んだら、貴方は私を追うのだろうか。笑えない空想を頭から振り払う。そもそも、逃げ込めるわけがない。私に逃げ場なんて、ない。 「この瓶、ね」 乾いた唇で上手く言葉が音にならない。それでも彼はその音を拾ってくれる。やさしい、やさしいそのひと。そんな彼の手が血にまみれているだなんて、誰が言ったの。 「薬が入ってたの。鎮痛剤、なくなっちゃったから入れ直そうと、思って」 「そう、やさしいね、マスター」 「……、……」 そんなことないよ、と否定をしたかった。けれども、そう言ったところで彼は訂正をしないだろう。訂正をしてほしかった。やさしさなんてない。みんな、私のことをなんだと思ってるんだろう。ひどい。ひどいのはどちらだ。 彼が私の手をとったあの日、本当は泣きたかった。ごめんなさい、と言葉にできたかどうかはかなり怪しい。いきなり謝られたところで、彼にはなにも伝わらない。そのことに心臓が音を立てて壊れていく。ああ、私に銃口を向けたあの彼は、もういない。 本当に神様がこの世にいるのなら、私は此処にはいない。私は神様じゃないよ、シャスポー。私は貴方のことを救えないし、貴方は勝手に救われる。歩いていける。貴方は強い。私よりずっと。傷だらけで立ち上がる強さをもったひと。私にはない強さをもっている。そのことに、どうか気づいてほしい。貴方は私がいなくても生きていけるけれど、きっと私は貴方がいなくなったら死んでしまうのだろうな。 「ねえ、シャスポー」 「どうしたの、マスター」 「シャスポーはこの戦いが終わったら、なにがしたい?」 戦いが終わった後に彼らがここにいることができるか、というのは難しいところだし正直わからない。それでも、夢をみることくらいは許してほしい。 彼はぱちぱちと瞬きをして、ううんと小さく唸った。なにがしたいと言うのだろう。平和な世界で、貴方のしたいこと。 「……マスターと、パリに行きたいな」 「……、行った、でしょう、前」 「そうだけど……、あの時は戦いの最中で、あまり観光はできなかったし……もっと美しい景色を君に見てもらいたいなって思ったんだ」 ふわりと微笑む。あの日見た月は綺麗だったよ。きっと忘れない。それを伝えずにそっか、と頷いた。 「……マスター、は」 ぽつりと言葉を落とされる。なんとなく、何を言われるのかが分かってしまった。 「マスターは、なにがしたいの?」 息が詰まったのを、気づかれただろうか。彼がそれに関して何か言う前に、私が答えなくては。でも私は、なにがしたいんだろう。平和な世界で、私がしたいこと。 「……ゆっくりしたい、かなあ」 「そっか、」 彼はきっと私の意思を尊重してくれるのだろう。そんなふうにしなくたっていいのに。私だってただの人間なのに。 ねえ、シャスポー。私をただの人間に戻して。そうすれば、私は案外簡単に死んでいける。私が簡単に死ぬことを知らないとは言わせない。だって貴方は、あの日のパリに立っていたのだろう。 そんなことが言えるような人間ならよかったのに。そんな人間なら、もっと上手に彼と会話ができたのかもしれない。初めて人の感情を得た彼らの相手は、私にはきっと荷が重かったのだ。選択を誤った。たったそれだけ、されどそれだけ。生きていくことはこんなにも難しい。 あの日に信仰を忘れたまま、私たちは生きていく。貴方は前を向いて歩いていける。そう、信じている。 |