那由他悦子様より三万打記念リクエスト | ナノ




夢見るボーダーライン



 嫌なこと(恐らく会長関連だろう)があったらしい店長は、やけにハイペースで酒を飲んだ。「付き合え、村上」と、妙に明るく、かつ威圧的に告げてみせる店長が妙に痛々しくて不憫で、こんなことを言ったらそこら辺のドブ川に簀巻きにされて流されそうだけど、可愛くて、俺は元気良く「勿論ですよ」と笑顔で言った。これが、約三時間前の出来事だ。

「……っ……うえ……気持ち悪い……」
「て、店長しっかりしてください!あと、もう少しなんで!」

 そして、現在。見るからに泥酔状態の店長が100%こっちに体重を預けながら呻く。「今日は飲むぞ!」と威勢のいい発言をした店長は、確実に医者が推奨しない、脳までシェイクされそうな飲み方で、グビグビとグラスを空けていった。そうして、帰るときには殆どはっきりしなくなってしまった意識で「今日、泊めろ」と辛うじてそれだけ言った。

*


「汚い所ですけど……あの、お水とか要りますか?」


 狭い部屋はこの所帰ってなかった所為で荒れていた。床に散らばるガラクタを足で寄せて、とりあえず店長をソファーに寝かせると、店長が「はやく、水」と小さな声で呟く。その声で弾かれたように台所に飛び込んだが、ミネラルウォーターなんて洒落たものは無かったので、適当に掴んだコップに水道水を勢いよく注ぎこんだ。跳ねた水の冷たさでようやく気が付いたのだが、俺は大分動揺していた。


 フィールドの問題が状況を左右するのはサッカーだけだと思っていたのに。二人きりになることは初めてじゃない。そう、場所の問題だ。ここがいつもの非日常で彩られたカジノの控え室じゃなくて、いかにも独身の男らしい生活感の溢れる俺の部屋だというその一点しか違いはないのに。うっかりすると、コップを割ってしまいそうだ。

 大股でソファーにとんぼ返りすると、店長は小さなソファーに横になっていた。悲しいことに控え室にあるものよりずっと小さいそのソファーは、華奢な店長にも小さいらしい。足が思いっ切りはみ出している。無防備に投げ出された足を見て、「ベッド使います?」と言いそうになって、奥歯の辺りで飲み込んだ。いや、言っても良かったのだが。


「店長、起きてください、お水持ってきましたよ」
「……ん」


 少し白目を赤く縁取らせた店長がぼんやりしながらコップを受け取る。「ありがとう」もなしに店長がコップの中の液体を一口、飲み下した。そして、一言。

「……美味しくない」

「え、あ、すいません!お口に合いませんでした?」
「合うわけないだろ……くそ、ミネラルウォーターくらい用意しとけよ」
「そんなに不味いですかね?」

 水のこだわりの無い自分には、水道水はミネラルウォーターと同じ寛容さで以ってコップの中に収まっているように見える。店長は駄々をこねるように「まずいじゃねえかよ、ばか」とブツブツ呟いている。そしてそれきりコップに口をつけようとしない。なんか子供をあやしてるみたいだ、と思いながらどうにか店長を宥める。

「すいません。それしかないんで、飲んでください」

 後で買ってきますから、ね?と言うと、店長は眉を潜めて憮然とした態度で「……うるさい」と言う。そして一瞬だけ泣きそうになってから一気に残ったミネラルウォーターを口に含むと、俺の胸倉を掴む。


 そこから先は良く分からない展開だった。


「…………っ!!」


 五感が総動員されて巡っていく。後頭部に当てられた手は、いつぞやみたいにやっぱり細いけど骨ばっていた。かかる息は熱かった。必死な息遣いの音が聞こえる。さっきまで飲んでいたお酒の匂い。店長の目は所在無く揺れながら俺を見て、俺の目は半分役割を放棄しつつ、その一対を見つめ返していた。唇から、口の奥へたどり着けなかった水が溢れる。唇が重なることによって味わう圧倒的な息苦しさと、お互いの唇の乾いた感触が、―――キス、されていた。


 その事実に気づくや否や、思わず店長を突き飛ばしてしまう。反動で俺もフローリングに尻餅をついた。ソファーの軋む音で我に返って「……あ、……すいませ」と、謝罪の言葉を口にしかけた所で、店長の低い笑い声が聞こえた。

「……店長……?」
「ほら、美味しくなかっただろ」


 味なんか、わかるもんか。そういえば五感が総動員されていた筈なのに、唯一味覚だけは置いてけぼりを食らっていたようだ。味なんか、わかるわけないですよ、と辛うじてそれだけ言って立ち上がろうとすると、さっき後頭部に回されていた手に阻まれた。


「ああ、ならもう一度やってやろうか」


 さっき店長が大量に空けていた安い赤ワインと同じくらい不健康に赤い舌がべろりと口から覗く。熟れ過ぎた果実のようなそれが今にも零れ落ちてしまいそうで、さっきよりも大きく心臓が跳ねた。本当に心拍数によって人間の寿命が決まるというなら、今夜だけで二日程無駄にしたような気さえする。本当に無駄なのかは、決めかねているけど。

 さっきの教訓を踏まえてその細い手を出来る限り紳士的に掴むと、過呼吸気味な呼吸のリズムで目の前の店長に言った。

「て、店長あんた酔ってるでしょう……!お、落ち着いてください!ミネラルウォーターなら今から走って買ってきますから!」

 自分が落ち着いてない癖に、そんなことを言う。
店長はそれを聞いて「……あっそう」とそっけなく答えると、随分あっさりと手を放した。
ああ、ミネラルウォーター程度の濃度の執着で良かった。と、胸を撫で下ろしながらまた、宥めるように店長に笑いかけると、その笑顔の応酬に思いっ切り側頭部を蹴られた。

 不意打ちの割に綺麗に決まったその攻撃は、俺を簡単に「いっだああ!」という奇声とともにフローリングへ叩きつけた。冷たいフローリングの感触と、その一瞬の隙をついて俺を押さえつける店長の感触が交差する。


「ちょ、どいて、どいてください!店長?店長ってば!」
「良いから黙ってろ」

 気道を確保する為にしては扇情的に、店長のネクタイが外される。さっき後頭部にあった手が、そのままシャツの襟にかかって、左右に割開かれた。無理矢理加えられる負荷に耐え切れなかったボタンが一つずつ落ちていく。同年代の男がぶちぶちと乱雑にボタンを外していく姿なんて微塵の色気も感じない筈なのに、その認識が覆されて、ごくりと喉が鳴った。肌蹴たシャツから覗く肌に、有りがちな感覚描写の様に背筋が粟立つ。

「やってみるか、俺と」
「な、何が、何を」
「セックス」

 ぼやかされずに、あまりにも普通に言われた言葉に思考が追い付かない。非現実的な言葉の様で極めて現実的なその言葉が脳髄を刺激する。セックスって、何だっけ?下世話なのかはたまた高尚なものなのか、自分の価値観まで揺らいでいきそうだ。
 そんな事を考えている間に、店長がいきなり俺の首筋に唇を押し付けてきた。べろり、とそのまま一舐めしてから、思い切り吸いついてくる唇。あの熟れた果実の様な舌に舐められているのだということを想像した瞬間に、首筋がカーッと熱くなる。まるで、首筋、そこの所から熟れて腐っていきそうな感覚に心臓が跳ねた。理性が、崩壊しそうになる。

「ま、待って、待ってください、あの、本当に店長……っ!」

 ぱぁん。最後の抵抗を試みようとすると、渾身の力で頬を張られた。じんじんと熱を持った頬が、黙ってその理不尽な痛みに耐えていた。どうも、今日はバイオレンスな感情の捌け口になる日らしい。何だかもう、今日のこの人は情緒不安定なのかもしれない。だってほら、その証拠にこの人は――泣いていた。

「っ、え、ぐ……っ!どうしてぇ、どうしてだよ村上ぃ……っ」

 口調は鬼気迫っていたのに、何故かその顔は諦めたような薄い笑顔で、瞳からはさっき所望していたミネラルウォーターの様な大粒の涙をばたばたと零して、口からは俺への疑問をはらはらと溢れさせていた。

「なぁ……っ……必要としろよ、村上……。俺のこと……っ」

 馬鹿な人だ。

 俺は叩かれた所為で熱い頬に冷たい雫を受けながらそんなことを思った。その雫が頬を通って耳の辺りまで到達してから、俺は意を決して店長の肩を掴んだ。不意を突かれて揺れる体を倒さないように気を付けながら、さっき店長が俺にしたみたいに首筋に舌を這わせた。現れる赤い痕は俺のと似ているんだろうか。となると、感覚は?

「……んっ……!!」

 店長が目をつぶる音が聞こえてきそうなほど、強く目を閉じる。白い肌にじわりと赤い痕が滲み出るのと同じ速度でゆっくりと困惑の表情を湛えた目がこちらを見つめ返してきた。切なげに寄せられた眉に何故か胸が締め付けられた。


「村、上?」
「十分、俺は店長のこと、必要としてますよ」
「…………俺も、凄い必要としてる。村上も、そう、だろ?」
「そうですね」
「そうか、」
「あと、俺はずっと、あんたのことが、好きだったんですよ」
「……そう、なのか」
「だから、こういうことされるとやっぱり期待しちゃったり、なんか誘うようなことされると勘違いしちゃうし、あんたが酔ったら誰にでもこういうことするのかなー、と思うと、不安にもなります」


 だから、えっと、上手い言葉が出てこない。これが良くできた小説とかだったのなら、こういう時に、口が勝手に動いて、ハッピーエンドまで連れて行ってくれる筈なのに。だから、から進まない関係なんて俺はもう耐えられない筈なのに。
 店長の顔を見る俺はきっと情けない顔をしているんだろう。縋りつく犬みたいな、情けない目を。店長が口を開いた。

「誰にでもじゃない」

 さっきとはうって変わって澄んだ声。ああ、膠着状態の俺に助け舟を出すのはいつもこの人だ。

「村上、お前だけだよ、こんな時じゃなきゃ、言ってやらない、言わない、けど」

 さっきの行動よりなにより今の言葉に頭が掻き乱される。さっきの混乱、頭の中の騒乱とは違う溢れ出す何かが脳内を染めた。それも、見るからに幸せな色に。店長を組み敷いた腕から力が抜けて、震えた。

「……店長、それって」
「俺も、お前のことが、」


 「  」、店長がその続きを俺に投げて寄越して屈託なく暢気に笑う。


 酔った勢いでもその場の雰囲気でも、構わないくらいの事実がよりによってこの人の口から伝えられるなんて思わなかった。組み敷くんじゃなく、店長の手に絡ませた指は冷たかった。肌蹴て見える肌も同じくらい冷たいんだろうか。


 その肌に触れようと手を伸ばした瞬間に、店長が、不意にまた顔を歪めた。唇が震えている。顔面は青いを通り越して最早真っ白だった。さっきのに続いて動揺しっぱなしの俺に、店長が鮮やかな追い打ちをかけた。


「あ、あの、店長?」
「き、もちわる……っ!うぇ」
「ちょっ、あの、10秒待ってください、10秒!」


 動揺する隙も与えないで唇を噛み締める店長を慌てて抱え上げ、トイレに投げ込んでドアを閉める。這うようにそこから出てきた、あれだけ嫌がっていた水道水をガブガブと飲み干して、店長は廊下であっさりと眠りについた。午前4時の事だ。

「…………何も、こんなオチ付けなくても……」

 廊下にスヤスヤと眠る店長を見て、溜息をつく。肩からすらずり落ちたシャツは最早衣服としての機能すら果たしていない。その体が、さっきまであんなに近かったのだなぁと思うと、妙な気持ちになる。残念だったと言えば嘘になるが、何故か「まあいいか」と思っているのも事実だ。きっと、今までとは少しばかり違う。
せめて、良い夢を。そう願って俺も廊下に倒れ伏した。


*


 モーニングコールの代役は痛覚だった。

 店長が真っ赤な顔をして俺への打撃を加える。何回も何回も骨を砕かんとばかりに蹴りを入れて来る店長。その右手は昨日引きちぎったボタンの代わりとしてシャツを掴んでいる。なるほど、この状況じゃ何かあったと勘違いするのも無理はないだろう。

「お、おま、お前、俺に何したっ……っ!」
「な、何もしてませんよ!そのシャツだって店長が自分でぶちぶち……」
「んなわけねーだろこの性犯罪者っ……!死ね!今すぐ死ね!」

 店長が真っ赤になりながらまだまだ蹴る。昨日に引き続き容赦のない打撃は寝不足の身には大分キツい。朦朧とした頭で、店長に向かって恋人然と出来るのはまだ大分先の事になりそうだ、と思うとさらにクラッと来た。見えた道のりは案外遠い。それでも、素面であのセリフを聞ける、そんな夢みたいな出来事は、そう与太話じゃないのかもしれない。ちらりと見えた首筋を見て思った。

「店長」
「あぁ?」
「大っ好きです」


 二人揃って首に残る赤い痕が夢じゃないと主張するように。










那由他様より素敵な村一村頂いてしまいました!
積極的な村一村っということでリクエストをさせてもらったのですが、見事に二人とも積極的で
さらに襲い受けな店長にとってもはぁはぁしちゃいました!!
なんといってもオチがすごいほほえましくてキュニキュニしました////
那由他様本当にありがとうございました!


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