糸車の針


※イベント『歪んだおとぎの世界であなたと』設定
※上記イベントのIFルートで細かな場所に差異あり




 ここは『いばら姫』という童話に似た世界だ。
 王様から祝宴の席に呼ばれなかった13番目の魔法使いは、姫へ呪いをかけた。そして傲慢かつ無慈悲な物言いでこう言い放った。

「姫は16歳の誕生日の日没までに、糸車の針に刺されて死ぬ」

 すると12番目の魔法使いは慌てて「姫は糸車の針に刺されて100年の眠りにつく」と発言したが、結局は呪いは消せず、呪いの効果を和らげることしか出来なかった。それほどまでに強力な呪いであった。
 王様は憤慨し、13番目の魔法使いを捕らえようとしたが、誰にも彼は捕まえられなかった。彼は傲岸で嗜虐的な笑みを口端に刻み、嘲笑うように宣言した。

「可愛らしゅうお姫様を、そん時まで大事に育てるがええわ」

 この13番目の魔法使いの名は、ジュードという。悪虐の象徴として恐れられ、この王国で最も強力な魔法使いは傲然たる足取りで堂々と正門から城を去った。
 このことから王国では大騒ぎになった。王様の勅令により、国中の糸車の針が回収された。まだ幼い姫君であるアリス姫に対して、針など尖った物は徹底的に避けられ、高い塔に軟禁される生活が続いた。中には「糸車の針は男性器のことで破瓜を示している。つまり姫様の処女は16で奪われ、眠りにつくのではないか」という淫猥な意見も飛び出た。
 そのせいでアリス姫は男装させられ、『全世代の男性全般の接触を禁ず』という内規まで決められてしまった。

「……お父様は心配性すぎる。呪いのためとはいえ、こんなに窮屈な生活をずっと強いるなんて」

 アリス姫はため息を吐いた。城には父と再婚した継母、その間に産まれた義弟が幸せそうに暮らしている。自分だけが呪いのために、ずっと幽閉され、まるで囚人のように日々を消費していた。

「よし。家出しよう」

 ある時、アリス姫はついに決意した。父である王様に『呪いを解くため、13番目の魔法使いさんを説得しに行きます』という書き置きを残し、男装をせずに城を出奔した。
 彼女にとっては一世一代の冒険にして、博打だった。かくして濃密な霧に覆われた茨の森。その奥へと、足を踏み入れていった。



 茨の森は美しいが、侵入者を威嚇するように刺々しい。その森の古城に棲む13番目の魔法使いもまた、実に性質がそっくりだった。

「初めまして、13番目の魔法使いさん。私はアリスと申します」
「はー……初めましてやないし、覚えてないんか……で?世間知らずのお姫様が何の用や?取って食われに来たんか」

 13番目の魔法使いことジュードはわざとらしく秀でた眉目を歪め、ため息を吐く。不遜な雰囲気に、不敬極まる物言い。紫煙の微かな匂いに整った長い指先。それはアリス姫が今まで生きてきた中で、遭遇したことのない不穏な色香を感じさせる『男』だった。
 古城には13番目の魔法使いのジュード、そして茨そのものが擬人化したエリスという従者がいた。アリスは緊張しながらも胸の高鳴りを抑え、自身の願いを告げた。

「いいえ。あなたに呪いを解いてほしくて、お願いに来たんです」
「さよか。……なら、まずは茶でも飲んでいき」
「あれ?ジュードが来客者にお茶を率先して、淹れるなんて……珍しいね」
「放っとけ、ただの気まぐれや」

 エリスの柔らかな微笑みに対し、ジュードはつれなく返答した。その茨のごとく刺々しい態度に反して、来客者にお茶を出す紳士的な一面があった。湯気に乗って甘やかで上品香りが、アリス姫の鼻先にやさしく触れる。

「ありがとうございます。頂きます」
「どうぞ。熱いから、せいぜい気をつけたらええんちゃいます?それに毒入りかもしれんで?」

 挑発的で試すような口調である。しかしアリス姫は臆したりせず、胸を張って答えた。

「だって、次の誕生日に糸車の針で死ぬ予定の人を毒で殺す訳ないじゃないですか。つまり誕生日を迎えるまではある意味で無敵、生きていられるってことですよね?」

 するとジュードはまるで生徒の及第点に、渋々正解だと丸を付ける教師のように肩をすくめてみせた。

「チッ……能天気なお姫様と思っとったら、中途半端に回る頭と度胸は持ち合わせておるみたいやな」
「ありがとうございます」
「褒めとらんわ。……まぁ、奴隷としてこの城でこき使われるんなら、呪いの件は考えてやらんでもない。それは約束したるわ」
「構いません。精一杯やらせてもらいますね」

 アリス姫は嬉しそうに承諾し、紅茶を口に含んだ。奴隷の意味を、召使と同じ意味だとでも思っているらしい。ジュードは毒気をことごとく抜かれていく感触に、再度深いため息を吐いた。

「はー……能天気なお姫様には調子狂うわ。奴隷契約も成立したことやし、使う部屋を今から案内したる」
「はい!」

 アリス姫の足取りは、愛らしい子犬のように尻尾を振ってついてくる様を連想させた。肩が少し震えているのを見たジュードは自身の上着を脱ぎ、アリス姫の肩に羽織らせた。古城は常に凍てつくような気温のため、風邪を引かれては困る、そう考えた故の行動だった。

「おい、それ羽織っとき。奴隷に初日から風邪引かれたら、たまらんわ」
「……ふふ、とても暖かいです。ジュードさんは優しいですね」
「あァ?頭イカレてるんか。奴隷扱いされて、なんでそんな発想になんねん」
「何となくですけど、悪い人ではないと思うんです。ところどころ、気遣ってくれますし」
「……」
「ジュードさんみたいな方、私は好きです。会ったばかりの私に、こんなにも良くしてくださって……本当にありがとうございます」
「そら、おおきに」

 世間知らずで純真無垢な女。そんな女は悪い男にすぐ騙されて弄ばれるで、とジュードは内心で吐き捨てる。奴隷という言葉に物怖じせず、真面目に働けば相手が呪いを解いてくれる、と考えている善良さ。そして悪名高く忌み嫌われる魔法使いである自身のことを、肩書きをまったく気にせず、堂々と好きだと言える純粋さ。
 その総てが悪辣に生き、悪虐に手を汚してきたジュードの心の裡を引っ掻き回した。

「……悪趣味な女」

 悪口を吐き捨てたはずの口元には、自然と笑みがこぼれていた。自身が何百年ぶりに打算も計略もなく、純粋に楽しんで会話できているという事実に、ジュードは目を逸らした。
 かくして古城にて、奇妙な同居生活が幕を開けた。



 アリス姫は身も心も削るような厳しい生活を覚悟していたが、現実の奴隷ライフは違っていた。
 三食昼寝付き、毎日2時間ほどの書類整理や雑務をする以外は、基本的に自由時間。読書やお茶も自由。城の外には茨が巡らされていて出られないことや、ジュードの部屋には絶対入室しないことという制約があるくらいで、のびのびと暮らせていた。

「ジュードさん、エリスくん。お茶の時間ですよ」

 アリス姫はすっかり慣れた仕草で紅茶に珈琲、スコーンを手際良く用意していく。好きな茶葉や珈琲豆の種類、飲みやすい温度を熟知しているそれらは、二人の胃袋を完璧に掴んでいた。

「うん、いつもながら美味しいよ。さすがアリスさんだね」
「ありがとう、エリスくん」
「お姫様なのに立派に奴隷根性が身に沁みてきて、ええんちゃいます?知らんけど。……ん、」
「ジュードさん、おかわりですね。今淹れますから」

 純粋に賛辞するエリスと、悪態を吐きながらもおかわりを要求するジュード。正反対の反応だが、このティータイムを大切に思っているのは誰の目にも明白だった。
 アリス姫は胸の奥からゆっくりと沁みるような温かなものを感じ、それを幸せだと感じていた。穏やかで平和で優しい日々。そして悪態を吐きながらも優しいジュードへ感じる、淡い想い。きっと書物で読んだ『恋』というものだろうと甘く夢想してみる。

「こんな日がずっと続いたら……、」

 途中まで言いかけて、アリス姫は強い眠気を感じた。最近は体が気怠く、強い睡眠衝動に襲われるようになった。これはジュードにかけられた呪いのせいではないと、彼女は薄々感じていた。紅茶を淹れた杯をテーブルに置いたところで、身体はぐらりとソファへもつれ込んだ。

「アリスさん!」
「おい、聞こえるか。……チッ、返事しろ。アリス、」

 心配と焦燥に満ちた二人の声が彼女の鼓膜に響く。眠ってはいけないのに、衝動に抗えない。やがてアリス姫の意識は呼びかけも虚しく、深く闇に没していった。

「……ジュード、」
「ああ、わかっとるわ。症状が悪化しとる。起きてる時間がいよいよ短くなってきとるな」

 13番目の魔法使いは眠ってしまったアリス姫を抱き上げ、彼女の部屋のベッドにそっと運んだ。普段の傲慢で不遜な態度からは想像もつかないほど、その仕草は優しい。
 アリス姫は、この時代の医療魔法では不治の病とされる病魔に侵されている。ジュードがそれを知ったのは彼女が幼少の頃だった。
 病を治すには膨大な知識と時間をかけなくてはならないこと。現在では有効な治療方法は仮死状態にするか、ずっと眠った状態にするしか打つ手がないこと。
 さらに王様は継母との間に出来た息子に王位を継がせるべく、他国への和平という理由でアリス姫を嫁がせようとしていたことも。ジュード・ジャザという男は全てを知りながら、知らないふりをして、アリス姫を安全に自身の古城に匿った。

「……今更、あの城に可哀想なお姫様を帰せるわけないやろ」

 絞り出したような主人の声に、従者のエリスは痛感する。アリスという一人の女性を心から大切に想っていなければ、出てこない言葉だと。エリスはこれ以上は野暮だと感じ、部屋を退室した。

「約束したやろ、アリス。お前は忘れても、俺は忘れん。……俺は絶対に約束は破らん」

 掌に膨大な魔力が集中し、光が収束する。そして複雑な組印のもと高度な魔法が紡がれていく。やがて瞼がぴくりと動き、姫君が目覚めた。

「ん、……ジュードさん、?」
「起きたか、お姫様。奴隷の仕事を放棄して居眠りするなんざ、ええ度胸しとるわ」
「……ごめんなさい」
「貸し一つやな。何で返済してもらうか、今から考えたるわ」

 悪辣という言葉がもし具現化するなら、今のジュードの笑みをいうのだろう。髪の一房を手に取って弄び、実に愉しそうに提案を紡いでいく。まるで糸車を回すように軽やかに。

「返済方法、考えついたわ。お前は16歳の誕生日に糸車の針で刺されて、眠りにつく。その未来は変わらんし、呪いは解いてやれん」
「ジュードさん、」

 交わした視線には、潤むような期待が込められていた。好きだと愚直なまでに伝えてくるアリス姫のまなざしに、ジュードは呪いのような愛で応えた。

「『針』は好きな方を選んでええで、お姫様。もう逃さへんから」

 



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