虚飾症の女、華飾症の男


 この世界には『虚飾症』という世にも珍しい病が存在する。
 自らを着飾る意欲はあるのに、いざ着飾ろうとすると虚しくなって止めてしまう。例えば赤の優雅なカクテルドレスを着たいと願っても、着た瞬間に落ち着かなくなり、数分たりとも着ていられない。結果、虚飾症患者は心の安寧を保つために地味で目立たない格好を選ぶ。
 症状が悪化すると、服やメイク用品に明るい色がついているだけで不快だと感じてしまう。モノトーン調の服しか着れなくなり、メイクをして装うことを酷く虚しく感じるという恐ろしい病だった。
 名前は二週間前から、虚飾症に苦しんでいた。着たくても着れない服が増えていく。口紅やアイシャドウのパレットを目にする度に虚脱感に襲われた。
 
「……どうしたらいいんだろう」

 痛切なつぶやきが、唇からこぼれた。このまま放置すれば、日常生活に確実に支障が出てしまうだろう。
 悩んだ名前はネットで病院やクリニックを調べ、とうとう病の治療で名医とされる者を探し当てた。

「発症原因が未だにわからない病ですが、確実な治療方法がひとつだけ確立されています。それは、華飾症の方と恋愛関係になることです」
「恋愛関係ですか」
「はい。珍しい病なので、まず出会うことすら難しいですが、日本にも数例の完治報告があるんです」
「そうですか……」

 名医と評判の女性医師は、診察時に名前にそうアドバイスした。
 なぜか虚飾症を患った人間は、自らと対になるような症状である華飾症の人間と恋愛関係になると、症状が短い期間で快復に向かい、いずれは完治するのだという。特効薬のようなものだと医師は語るが、難易度の高い治療方法だった。

「この病は治療方法が特別なので、名字さんがご希望されるなら、華飾症の男性患者さんと実際に会ってお話することができます」
「本当ですか?」
「ええ。その際、お相手の方にも名字さんが虚飾症であるという情報を提示しなくてはなりませんが……どうされますか?」

 名前に躊躇いはなかった。この時点で好きな異性や恋人は幸いなことにいなかったため、病が治るならと希望した。

「ではご希望があったことを、相手方にお伝えします」
「先生、ありがとうございます」
「はい。お大事に」

 名前は礼を告げ、診察室を後にした。待合所の席に座って、料金の清算と薬の処方を待つ。小さなクリニックのため、彼女以外には背の高い男性が待合所にいた。
 名前は少し離れた場所から、失礼にならない程度に彼を観察した。深閑な湖のように青い髪。全体的な髪型は無造作に跳ねてはいるが、洗練された雰囲気を感じさせる。目元は濃いサングラスで覆われ、美術品のように完璧な鼻梁や整った口もとをしている。
 上質なワインを連想させる赤を基調とし、薔薇のモチーフを随所にあしらった服装。それはクリニックに来るにしては、いささか派手で華美にすぎた。
 秘密裏に来た芸能人か著名人。彼女はそう考えた。
 その男は名前がこれまで目にしてきた人物のなかで、最も華やかな男だったからだ。



 この世界には『華飾症』という世にも珍しい病が存在する。
 自らを着飾る欲が異様に強く、いかなる時でも華やかに装わなくては気が済まないという。派手な色や服装を好み、暗いトーンの地味な格好をするのは数分たりとも耐えらない。
 愛之介はこの病を生まれつき患っていた。しかし彼が病を自覚したのは、つい二年ほど前のことだった。
 その契機は葬儀である。彼は父親の葬儀で喪主を務めた時、慎ましい黒の喪服姿でいることに始終落ち着かなかった。
 葬儀後、彼は即座にクローゼットにある華やかな服装に着替えた。その時に胸に抱いた深い安心感を、愛之介は未だ明け方の夢に見るほどだった。
 華やかに装わずにはいられない。彼はまるで豪奢な飾り羽を持つオスの孔雀のように、常に美しく着飾った。
 潤沢な資産を持つ愛之介は、ハイブランドの服や靴を毎月大量に買い漁り、着飾ることを心から楽しんでいた。症状は緩やかだが確実に進行し、今では葬儀などで慎ましい服装をすることに強い嫌悪感を覚えるようになってしまった。
 彼は政治家として冠婚葬祭に関わる面も多く、このままでは仕事に支障をきたしてしまう。愛之介はこの時点で自らが病に侵されていると、ようやく自覚したのである。

「『華飾症』ですね。この治療は困難でして、その病の治療に精通した医師を紹介します」

 神道家に代々仕えている主治医はそう告げ、あるクリニックの医師を紹介した。
 愛之介は早速、クリニックへと赴いた。女性医師に相談した結果、唯一の治療方法は『虚飾症の方と恋愛関係になること』という驚くべきものだった。
 しかし虚飾症は珍しい病であり、加えて女性患者は皆無にひとしかった。愛之介は私財と権力を使って自ら探したこともあったが、苦労は報われず、とうとう見つからなかった。
 二年という歳月は無慈悲であり、症状は緩やかに悪化していった。彼が本格的に頭を悩ませていた頃、クリニックの医師から思わぬ朗報が舞い込んできた。

「神道さん。虚飾症の女性患者さんから、ぜひお会いしたいとのご希望がありました」

 愛之介が二つ返事で向かったのは言うまでもなかった。クリニックは神道邸から近かったため、すぐに車で到着した。自らの病を完治させてくれるかもしれない存在に期待する一方、恋愛感情を抱くのは難しいだろうと彼は冷静に考えていた。
 しかし、この予想は良い意味で裏切られることになる。
 愛之介が待合所で待っていると、やがて診察室からひとりの女性が出てきた。モノトーン調の服装にマスク姿。端整な体のラインを隠し、まるで着飾ることを徹底的に恐れているかのような雰囲気を醸していた。

「……惜しいな」

 そんなつぶやきが口からこぼれた。着飾ればきっと美しいはずだと、愛之介は惜しむような気持ちに駆られた。次第に初対面である彼女をプロデュースし、華やかに着飾ってあげたいという欲が情熱的にあふれてきてしまったのである。
 その後、医師から彼女が虚飾症の患者であり、名字名前という名前であることを知らされた。実際に話をすると彼女の言葉のセンスや落ち着いた柔らかな声に、容姿以上に愛之介は急速に惹かれていった。
 自身の病を完治させることが出来るのは名前だけ。名前もまた、愛之介がいなければ病を完治できない。
 この状況を彼はロマンチックに名付けた。『運命』であると。



 虚飾症と華飾症。お互いの病を緩和するための関係。治療するためだけの合理的な交流。しかし愛之介と名前は次第に病のことなど忘れるくらい、互いに夢中になっていった。穏やかに、しかし確実に燃え上がるように恋に落ち、愛を育んでいった。

「愛之介さんは、華やかな格好がとても良く似合いますね。赤や薔薇が瞳の色と合ってて、素敵です」

 名前は会う度にそう褒めた。心からの賛美に、愛之介は喜びと共にくすぐったいような心地になった。
 どんな装いや会話をすれば、もっと夢中になってくれるだろうか。彼は日々思案し、やがて外見の華やかさだけではなく、名前が持っているような内面の華やかさも磨こうと結論付けた。
 かくして愛之介は毎月狂ったようにしていた、ハイブランドの服や靴の大量購入を止めた。彼女にふさわしい男になろうと、上品かつ落ち着いた色合いを取り入れた装いをしていった。慈善事業にも積極的に取り組むなど、以前の彼からは考えられないほど変化していた。
 彼は自身の華やかさを控えめにする代わりに、愛する女を着飾っていった。名前を華やかに着飾るプランを常に考え、会話術や服飾のセンスを今以上に磨いていった。
 
「いつもありがとう、愛之介さん。あなたのおかげで最近、華やかな服を着るのが楽しくなってきました」
「それは良かった。僕も君がより一層、綺麗になるのを見るのが楽しいよ」

 名前は自ら装うこと以上に、愛之介からの愛ある施しに喜びを感じていた。上品で洗練されたオートクチュールを与えられ、愛する彼好みに着飾られる嬉しさ。次第に着飾らない日や華やかな彼のいない生活こそが、虚しく感じられてしまうほどだった。

「名前。今は愛する君を、誰よりも華やかに着飾ることが楽しい。これは症状が快復したのか、悪化したのか」
「私は愛之介さんに着飾られることが、一番の楽しみで生き甲斐になりました。きっとあなたがいなくなったら虚しく感じてしまいます。これは着飾ることに鋭敏になったのか、より鈍化したのか……わからないですね」

 虚飾症の女と華飾症の男。症状は快復したのか、悪化したのか。着飾ることに鋭敏になったのか、より鈍化したのか。いずれにしても彼らは幸せそうに恋人関係を築いていた。愛之介と名前は静かに手を繋ぎ、寄り添った。まるで恋愛という甘美な病が、いつまでもふたりにとって完治されないことを願うように。



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