幽霊の馳河くん


※ランガが幽霊
※夢主は暦の孫娘という前提


 喜屋武暦の孫娘、名前は怪奇現象に悩まされていた。
 朝は金縛りで起こされ、スケートボードで登校する時は憑依される。夕方はボードの製作工房や名前の部屋でポルターガイスト現象が発生し、様々な工具や家具などが動く。
 深夜になると、名前の部屋ではラップ音が頻発した。窓を殴打するような音から、床を歩き回っているかのような音まで、レパートリーが実に豊富だった。

「名前、一緒に滑ろう」

 無邪気な声だが、その声の持ち主は全身が半透明で膝から下が消失していた。いわゆる幽霊、ゴーストと呼ばれる類に入る。その幽霊は北米の血が入ったハーフ特有の美しい顔立ち、細身なようで筋肉質な身体を制服に包んでいる。彼の名前は馳河ランガ。享年17歳で、幽霊歴はそこそこ長いベテラン幽霊である。
 名前はこの半透明の同居人に向かって、苦情を訴えていく。まるで犬猫の悪戯を叱るような口調で。

「あのね、ランガ。……ポルターガイストはやめて。物が勝手に動くのはとても怖いからね!?」
「ごめん」
「あと窓を叩いたり、床を歩き回るような音も怖いからやめてね。わかった?」
「わかった」

 このお騒がせなやりとりは、毎度のことだった。ランガは霊体であるため、名前には直接触れられない。ゆえに構ってほしいがために、派手な怪奇現象で主張してしまうらしかった。
 名前はそんなランガの成仏を心から願っていた。今夜も彼の未練を果たすべく、支度を始めていく。

「ランガ、今から滑ろうか。明日は休みだし」
「本当?名前、ありがとう!」

 ランガは嬉々とした表情となり、そわそわとし始めた。その様子は、主人から散歩に誘われた犬科のそれである。耳や尻尾はなく、ついでに足もないが彼はまさに犬らしい性質があったといえた。ランガは心の奥からあふれるような喜びを、ラップ音で表現した。氷をアイスピックで削る時のような音や、窓を強く連打したような音を部屋中に響かせる。

「ちょっ……怖い怖い!ラップ音は本気でやめて!?」
「ごめん。名前と一緒に滑れるのが嬉しくて」
「ランガ。毎回謝るけど、ちゃんと反省してる?」
「してる。次はもっと控えめに音を出すように頑張る」
「違う、そうじゃない」

 がっくりと肩を落とす名前に、喜びを隠せず息を弾ませるランガ。この構図も毎度お馴染みだった。



 名前が半透明の同居人こと、馳河ランガと出会ったのは約一週間前に遡る。
 祖父である暦が亡くなった後、スケートボードの製作工房は故人の遺言により、孫娘である名前に託されることになった。
 暦は名前と同じく、スケートボードの製作が大好きだった。滑る人間のことを熱心に考え、生き生きとスケートボードを製作していく祖父を、名前は幼い頃から尊敬していた。

「……暦おじいちゃん」

 大好きな祖父が亡くなった後、名前は大いに落ち込んだ。工房に閉じこもり、一晩中涙を流していた。完成を待っている着色前のボードや、成形した削りたてのデッキ、置かれた様々な工具たちが寂しげに影を落としているように彼女には見えた。
 名前が涙を流しながらも工房内を歩いていると、埃をかなり被ったボードケースを発見した。好奇心のままにチャックを開くと、完成されたスケートボードが入っていた。デッキの図画は湖面を思わせる水色をベースに、イエティをデフォルメしたデザインが描かれていた。

「なんだろう、このボード……ケースに入ってるから、誰かに届けるつもりだったのかな?」

 名前がそのボードに触れた途端、不思議な現象が発生した。脳内に鮮明な映像が流れ始め、まるで自身がその出来事をリアルタイムで体験しているかのような錯覚を抱かせるものだった。

『暦、ごめん』

 癖のある赤毛の少年が、墓前で泣いている。その様子を背後から悲しげに見つめている。距離はかなり近いのに、声は届いていないらしい。映像は変わり、工房にあるボードケースが写された。スケートボードに触れる手つきは、この上なく優しかった。

『俺はここにいる。暦ならきっと、気づいてくれる』

 決意と期待を込めた声。深い悲しみと無念のなかで、小さな光に縋るような響きがあった。映像はそこで途切れ、名前は我に返った。

「今の、なに……?」

 反射的にスケートボードから手を離す。するとボードケースの横に誰かがいた。
 体全体が半透明で、氷雪のような肌をした美少年だ。北米系の血を色濃く感じさせる顔立ち、背はそれなりに高くモノトーンの制服姿だった。

「暦?……ねえ、君は暦なんだろ?」

 まるで迷子だったところを見つけてもらえた、大型犬のような反応だ。半透明の少年は、嬉しそうに名前へと距離を詰めた。

「わっ、お、おばけ!?」

 名前は祖父の暦に似て、幽霊といった類の者が大の苦手だった。必死に念仏を唱え始め、慌てる様子はリアクション芸人顔負けの反応である。
 するとハーフ顔の幽霊の少年は首を傾げた。完成された新品のスケートボードを隅々まで眺めるように、ゆっくり観察していく。

「反応は暦にそっくりだけど、違う……」
「あ、あの、暦おじいちゃんは私の祖父で、亡くなりました。私は孫です……!」
「そっか。……暦はもういないんだ」

 寂しそうに瞳を翳らせる半透明の人物に、名前は胸を打たれた。大切な人を喪失した、そんな深い悲しみが雰囲気から伝わってきたからだ。

「あの……あなたは……?」
「俺は馳河ランガ。君の名前は?」

 名前が名乗ると、ランガと名乗った幽霊の少年は自己について語り始めた。名前の祖父である暦とは親友だったこと。もう一度スケートボードがしたいという未練があること。それらを一通り語ると、最後に名前へと願いごとをした。それは彼女のこれからの生活環境を大きく変える、願いごとだった。

「お願いがあるんだ。成仏するまで、ここに居させてほしい」

 かくして不思議な同居生活がスタートし、名前はランガの引き起こす怪奇現象に悩まされることになったのである。



 ランガはいつも名前に憑き添った。おはようからおやすみ、揺りかごから墓場まで憑いてきそうな勢いだった。一緒にスケートボードをするのは毎日のルーティンとなり、もはや完全に生活の一部と化していた。
 ファーストフード店のA&Wの前を通りかかる時、ランガはいつも『スーパープーティン』という味付けポテトを食べたいと、名前にせがんだ。
 これは名前にとって最大の恐怖だった。ランガが憑依して食べた際、その大量のカロリーはすべて名前の体に行く。肉の旨みたっぷりのソースがふんだんにかかったプーティンというカロリーお化けが、ダイレクトに胃袋に入ってしまう。
 食べ盛りのランガと、油物は極力控えたい年頃の名前。必然的に戦争が勃発した。

「ランガ、絶対に駄目。お店には入らないからね」
「名前、お願い。今夜はラップ音を控えめにするから」
「店先で金縛りするのやめて!?そもそも音を出さない努力をしようね!」

 愛犬のリードを必死に引っ張る飼い主の心境になりながら、名前は息を切らした。まさに霊VS人の仁義なき闘いが繰り広げられたのである。
 闘いはこれだけではなかった。ある日、学校で名前は男子生徒に告白された。するとランガは即座に派手なポルターガイスト現象を起こして、男子生徒を恐怖に陥れた。おかげで名前は『悪霊に取り憑かれてる』『霊感のある奴』として、学校中から負の注目を浴びることとなった。切羽詰まった名前は、学校の屋上からついに叫んだ。

「ランガーー!!!」

 その悲痛な高音の絶叫は、奇しくも祖父の暦にそっくりである。ランガはしみじみと懐かしさを感じた。

「ランガ?ちょっと来て。最近、やってることが悪霊のそれだよね?」
「?……俺は名前を守っただけ」
「なに?ランガって私のこと好きなの?」
「好きだよ」

 名前は冗談のつもりで問いかけたが、半透明の同居人はあっさりと認めた。そのまなざしは真摯であり、美麗な面貌と相まって、名前は甘く緊張させられた。

「名前といつも一緒にいるのは、俺じゃないと嫌だ」
「それは暦おじいちゃんみたいな、親友として?」
「いや、きっと違うと思う。名前を見てると胸の深いところが熱くなるから」
「でも、ランガは幽霊だし……」
「本当は連れて逝きたいけど、そうすると暦に怒られる気がする」
「今さらっと怖いこと言わなかった?……聞かなかったことにするね」

 無垢な悪霊。そんな表現が名前の脳裏に浮かんだ。
 馳河ランガという男は雪のように無垢で純粋だ。降り積もる雪のように愛情を注ぎ、愛しい相手を甘く窒息させていく。生前のそんな気質が、死後さらに深化してしまった。名前はそんな風に感じられて仕方がなかった。

「名前は暦によく似てる。お人好しでユニークで、大切にしたいって思わせるから」
「……大切にしたいって思うなら、怖いことをやらないでほしいし、言わないでほしいかな」
「うん。努力する」

 恋する死者は成仏せずに、生者に寄り添う。どうやら一生憑き添って離れる気はないらしい。



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