スリープ・タイムリープ


※軽微ですが、虫(ダンゴムシ)の描写があります。
※公式のチルアウト(幼少期の忠)ネタです。


 神道邸の庭園の片隅には、大きな新緑樹がある。幹周りは人ひとりが体全体を預けられるほどに大きい。
 微風に揺れる木々のざわめきは穏やかで、瑞々しい緑の葉や硬質な枝たちはいつも美しい影を落としていた。
 名前はこの樹で休憩することを、毎日のルーティンとしている。晴天の日には樹に身体を預けて本を読んだり、調和された美しい庭園を眺め、穏やかなひとときを過ごしていた。
 彼女はいつものように木陰で休んでいると、ふと二匹の虫が自身の足もとにいることに気づいた。
 ダンゴムシである。暗灰色の丸々としたフォルムに、指の爪ほどの小さなサイズ感。歩く姿はどことなく愛嬌がある。
 名前の足が、ちょうど彼らの進行方向を妨げていたらしい。ダンゴムシたちはうろうろとして、困っているようだった。

「ああ、ごめんね。どうぞ」

 名前はこの小さな歩行者たちのために、足を引っ込めた。すると彼らは安堵したように、仲良く進み始めた。兄弟か親子か、あるいは恋人か。いずれにしても隣を片時も離れずに二匹が歩いていく姿は、名前に可愛らしさを感じさせた。
 しばらくするとダンゴムシたちは一度、名前の方に頭部を向けて静止した。数秒後にはまたすぐに歩行していったが、名前にはその仕草がお礼を告げられているように感じられ、くすぐったいような心地になった。

「かわいい。どこに行くのかな?」

 口もとを緩めた名前は仲睦まじい散歩を見守る。どこに行くのかと目で追っていたが、やがて緩やかな眠気に襲われた。穏やかに眠りを促してくるような感覚に、樹木に背を深く預けてしまう。
 瞼の重ささえ心地良く、起きていようと抗う気もないらしい。やがて名前は甘美な眠気に誘われるまま、身を委ねていった。



 名前は瞼をゆっくりと開いた。広がる青の景色はルイス・キャロルが描いた不思議な国ではなく、澄みきった沖縄の空だ。

「すみません。大旦那さまのお客さまでしょうか?」

 声をかけてきたのは、丁寧な言葉遣いをする少年だった。若草のような緑色の愛らしい瞳。生まれついての憂い顔に、右目の涙袋の下に黒子があるのが特徴的だ。そして後ろに回した手に薄灰色のスケートボードを持っている。
 その容姿は、まさに名前の恋人である忠に非常によく似ていた。親戚筋どころか幼少期の生き写しだと、名前は驚きのあまり目を見開く。
 大いに彼女は混乱していたが、とりあえず話を合わせようと少年の問いに頷いた。

「ええと……私は使用人の菊池と申します。よろしければ大旦那さまのところに、ご案内いたしますが」
「私は名字名前。お気遣いありがとう。……あと、あなたの下のお名前を聞いても?」
「私ですか?忠と申します」

 少年は忠と礼儀正しく名乗り、名前を再び驚かせた。菊池忠。歳はどう見ても小学校の高学年くらいであり、過日の姿が現実として成立している。
 タイムリープ。そんな現象が起きたとしか思えない状況だった。名前は周辺を観察していく。よく見ると庭園の樹々は若々しく、配置や様相もやや異なっていた。庭園にある純白のベンチは経年により塗装が剥がれかけていたはずだが、新品のように美しかった。
 事態を把握した名前は、考えた末にこの不思議な状況を楽しむことにした。目の前にいる愛らしい少年に提案していく。

「もし時間があるなら、私と一緒に遊んでくれないかな」
「私と、ですか?」
「そう。いつもどんな遊びをしているの?」

 すると忠はしばらく考え込み、遊びを提案した。

「『なりきりだんごむし』ですね。ダンゴムシを捕まえてきて、指先で突きます。すると虫が丸まるので、その真似をします」
「それは君が考えたの?」
「はい」

 少年らしい、自然の生き物相手の遊びだった。状況を想像すると中々シュールな絵面になるが、名前は興味が大いに湧いた。そして少女のように無邪気に、この遊びをしようと誘っていく。

「じゃあ、それをやりましょうか」
「しかし、せっかくのお召し物が汚れてしまいますので……」
「大丈夫だよ」

 忠は心根が優しく、初対面の人間に対しても気遣いが出来る少年だった。名前はそれを心地良く感じながらも『なりきりだんごむし』の遊びに興じていった。忠は樹木の前を歩いている二匹のダンゴムシを見つけて、指先で軽く小突いた。驚いた彼らは敵から身を守るべく、丸まっていく。

「丸くなったので、私たちも真似しましょう」

 忠はいわゆる体育座りをした後、ころんと地面に転がった。名前もそれに倣って、同じポーズをしていく。しばらく膠着状態が続いた。やがてダンゴムシたちが身の安全を感じたのか、丸まったポーズを解除していく。すると忠も同じように腕を解いて、立った。

「このように遊びます」
「なるほど……?新鮮で面白いね」
「そうですか?ありがとうございます」

 忠は嬉しそうに口もとを緩ませた。まるで主人の投げたフリスビーを取ってきた子犬のような微笑に、名前もつられてくすくすと笑う。
 その後、すっかり打ち解けたふたりは他にも様々な遊びをした。一緒にスケートボードをしたり、石を磨いて、どちらがより光沢感を出せるか競ったりもした。

「かくれんぼをしようか。私が鬼をするから、忠くんは隠れてね」
「わかりました」

 忠はスケートボードを持ったまま、隠れるために移動を始めた。名前は三十秒待ってスタートしたが、忠はすぐに見つかった。
 庭の生垣に上手く隠れているが、スケートボードを後ろ手に持っているため、その部分ですぐにわかってしまう。薄灰色のボードが隠しきれていない尻尾のように見え、名前は口もとを緩ませた。

「忠くん、見つけた」

 すると忠は悔しさと驚嘆をブレンドしたような、降参の表情になる。生垣から立ち上がり、名前に子どもらしい素直な疑問を投げかけていく。

「こんなに簡単に見つかってしまうなんて……なにか、すぐ見つける秘訣でもあるんですか?」
「それは内緒だよ。忠くんは可愛いね」

 忠は後ろに回した手を動かし、スケートボードをぱたぱたと軽く揺らした。その仕草が名前にとっては、ますます犬科のそれに見えて仕方がなかった。健気で素直な忠に愛しさを感じながら、好奇心ゆえに質問していく。

「忠くんは今、好きな子とかいるの?」
「い、言えません」

 忠はわかりやすく動揺し、顔を逸らしてしまう。柔らかな頬に桜色が差し、恋する者がいることを愛らしく示していた。

「名前さんはいらっしゃるんですか?」
「いるよ」
「そう、ですか。その方がとても羨ましいです」

 忠は自分のことだとは、まったく考えていないらしい。羨望と落胆に満ちた表情、幼い彼が誰に心を奪われているのかは最早明白だった。名前は好意ゆえに本当のことを告げようとする。

「忠くん。私の好きな人は、」

 そう口を開いたタイミングで、名前は緩やかな眠気に襲われた。近くにあった大きな樹に寄りかかり、体重を預けてしまう。安定感があって座り心地が良いこの樹は、いつも名前が休憩している樹だった。

「あの、大丈夫ですか?」
「うん。ちょっと眠いから、少しだけ寝かせてほしい……、起きたらまた話そうね」
「わかりました。では、おやすみなさい」

 名前は忠の弾んだ声に申し訳ないと思いながらも、瞼をゆっくり閉じていく。
 完全に瞼を落とす寸前、名前はある生き物たちを視界の片隅にとらえた。
 暗灰色の丸々としたフォルムに、指の爪ほどの小さなサイズ感。先ほど遊んだ二匹のダンゴムシである。彼らは常に隣に寄り添い、名前に頭部を向けて静かに佇んでいた。その姿に強い既視感を覚えながらも、名前は瞼を完全に閉じた。穏やかな眠りを促され、再び意識を心地良い暗闇に預けていく。



「名前」

 物静かな美声に呼ばれ、名前はそっと瞼を開いた。視界には沖縄の瑞々しい空と、恋人の姿があった。

「こんなところで寝ていると風邪を引く。起きてくれ」

 第一声は相手を気遣うものだったことに、名前は口もとを緩めた。忠はスケートボードを後ろ手に持っている。その癖は幼い頃から、ちっとも変わっていないらしい。まるで犬の尻尾のように揺れているように、名前には強く感じられた。

「おはよう、忠くん」
「おはよう。随分と幸せそうに寝ていたな」
「そう?」
「ああ。それに名前がそうして樹で寝ているのを見ると、大旦那さまの客人を思い出す」

 忠が語り始めた内容に、名前は心底驚いた。幼い頃の忠は客人を名乗る、不思議な女性と出会ったという。かくれんぼがとても上手で、いつもすぐに見つけられてしまったこと。樹で休憩していて、目を離した隙に音もなく去ってしまったということ。
 今しがた自分が見た夢と奇妙なほど符合する内容に、名前はただ目を瞬かせていた。

「もしかして、そのお姉さんが忠くんの初恋の人?」
「ああ、そうだ。名前は思い出せないが……背格好や雰囲気は、今の名前にとてもよく似ている気がする」

 大切に追懐するかのような表情である。幼い忠が初めて恋に落ちた女性は、未来の名前だった。
 その事実に名前は、心からの喜びのままに提案する。

「忠くん。今からかくれんぼしよう。私が鬼をするから、忠くんは隠れてね」
「? ああ、わかった」

 過去が美しく再現される予感を、名前ははっきりと感じた。忠はスケートボードを後ろ手に持ったまま、隠れるだろう。自分の姿は完璧に隠すのに、スケートボードが犬科の尻尾みたいに覗いてしまっている。そして誰よりも早く、愛しい恋人を名前は見つける。あの時と同じように。

「忠くん、見つけた」

 幸せに遊びに興じるふたりを、見つめる者たちがいた。大きな新緑樹の前にいる、二匹のダンゴムシである。彼らは寄り添うようにくっつき、いつまでも名前たちを見守っていた。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -