ラブゾンビ


※コメディ
※愛之介が付きで喋る
※全員のIQが8くらいです



 常夏の楽園、沖縄では人々のゾンビ化が流行していた。その名も『ラブゾンビ』。
 感染ルートは経口接触(キス)のみだが、感染率は100パーセントという恐るべき数値を誇っている。感染すると理性が飛び、最も愛する人に求愛し続けるゾンビと化す。感染者は瞳孔にハートマークが常時浮かぶため、一目で見分けがつくという。
 沖縄ではこのピンクなバイオハザードに対し、緊急事態宣言が即座に出された。街中はラブゾンビであふれているが、好意を強く持たれない限りは襲われない。市政では経口接触(キス)防止のための、強固なマスク対策が加速していった。

「愛之介さん、遅いですね……」

 名前はそわそわと、自宅で夫である愛之介の帰りを待っていた。テレビでは連日、『ラブゾンビ』対策について放送されていた。
 【感染対策としては経口接触を避けること、襲われたら即座に逃げ、とにかく経口接触を受け入れないことが大事です】
 ニュースキャスターが掲げたパネルを名前が見つめていると、階下から悲鳴が上がった。事件の第一発見者のような心底怯えたような声は、使用人のものらしい。
 名前は慌ててテレビを消し、階下の様子を伺う。玄関先には、変わり果てた姿の夫がいた。

「名前 僕の可愛い名前はどこにいるのかな?」
「あ、愛之介さま……!」
「大変だ、感染されているぞ!」
「ああ、名前……ラブ……ラブ……ラブリー

 愛之介は瞳孔にハートマークを浮かべ、恍惚とした様子で徘徊していた。語尾のすべてにハートマークがたっぷり付くような甘やかな声色、彼は恐るべきラブゾンビと化していた。一緒に行動していた叔母たちから感染したらしく、頬にはくっきりとルージュの唇の形が残っていた。
 まさにエマージェンシーコールが常時鳴り響いているような緊急事態だった。名前は慌てて屈み、姿を隠した。しかし、愛之介は目敏くすぐ見つけたらしい。嬉々として、階段の先に熱っぽく視線を向けた。

「そこにいたのか
「あ、愛之介さん……、」

 愛之介はまるでスペイン舞踏におけるフラメンコのステップを刻むように、階段を華麗に登った。愛に飢えたゾンビらしく情熱的な所作で、妻との距離を詰めていく。名前の口からは思わずツッコミがこぼれた。

「あれ……愛之介さんは、なんかラブゾンビになる前とあまり変わっていないような!?」
「名前、驚いた顔もなんてラブリーなんだ さあ、僕と踊ろう

 すぐにダンスを誘う情緒が、愛抱夢そのものであった。ここで情熱的なフラメンコやランバダを踊ろうものなら、愛に狂ったゾンビに堕とされてしまう。そう判断した名前は即座に逃げ、映画のスタントマンよろしく窓から屋上へと上がった。
 青空は瑞々しく名前を迎えた。地上に常軌を逸したゾンビがあふれていなければ、素晴らしい晴天日和としてうっとりと目を細めていただろう。

「どうして……こんなことに、」

 名前が神道邸の屋根から正門を見下ろすと、信じられない光景が広がっていた。
 ラブゾンビ(有権者)の群れがいた。数名ではなく、大規模なデモ活動ぐらいの人数が庭にまであふれていた。

「あんなにたくさん……、」
「あれは僕を愛し、支援してくれている方達だ

 真後ろからうっとりと囁かれ、名前は反射的に距離を取った。愛之介は品や華があり、美しかった。ピーコックブルーの美しく整えられた髪に、薔薇の花弁を連想させる瞳。全身からねっとりとあふれるような、情愛の雰囲気。ラブゾンビの本能に従い、最も愛する妻へと想いを語っていく。

「この世は愛し愛される、素晴らしい世界と化した。まさに楽園だ 名前、君も僕と同じ存在になり、俗世のことなどすべて忘れて愛し合おう 僕の対になる運命の伴侶、イブとして

 すると神道邸の庭先に集ったラブゾンビ(有権者)たちが『愛抱夢!愛抱夢!』と宗教的な熱狂コールを始めた。その民衆のなかには神道邸の使用人たちや、政治家秘書の忠の姿もある。最早、今の沖縄でラブゾンビと化していないのは名前だけであった。
 名前は恐怖で竦み、動けなくなってしまう。やがて彼女は愛之介に腰を抱かれ、情熱的なステップを一緒にさせられ、スペイン舞踏のポーズを取らされた。指先から熱っぽい情念を、迫る唇からは狂おしいほどの甘美な愛を伝えられてしまう。

「愛しているよ、名前 さあ、僕の愛をその唇で受け入れてくれ



 名前は暗闇で目を覚ました。やたらピンクなバイオハザードの夢を見たせいか、寝汗が湧くようにあふれてしまっていた。

「ラブゾンビ……良かった、夢だった……、」

 やけにリアルな夢だったと名前は振り返る。唇どうしが触れあう暖かな感触や、ぬるりと糖蜜を舐めるように差し込まれた舌の動き。鮮明で官能的なキスの感触に、自分は欲求不満だったのかもしれないと名前は恥じらった。
 彼女が安心して再び瞼を閉じようとした、その時。
弾んだ伴侶の声が、平穏を甘やかに壊した。

「おはよう、名前 嬉しいことにこれは現実だ



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