Vampire life


※愛之介が吸血鬼
※夫婦設定。ほんのりえっちです。



 美貌と高い知性を持つ夜の眷属、人血を欲する怪物、処女や美女の血を好む悪魔。弱点は太陽の光、ニンニク、銀、十字架に聖水。
 吸血鬼は一般的にこのようなイメージが根強い。彼らは決して伝承上の魔物ではなく、現代に実在する。

「名前、そろそろ飲みたいな。君の血を」

 愛之介は身を屈め、妻の喉頸に猫科を思わせる仕草ですり寄った。先天性白皮症やどの人種でもありえない、薔薇色の瞳。唇からこぼれるのは、真っ白で異様に鋭い二対の犬歯だ。柔らかな人肌に突き立てるために発達したそれは、あきらかに人科のものではない。
 甘美で妖艶な雰囲気をまとい、さらに愛之介は身を寄せていく。極上のご馳走を前にした歓喜のまま、妻の手をそっと取った。

「駄目です。あなた、一時間前に飲んだばかりでしょう?」

 しかし名前はその雰囲気を散らすように、さっと身を離した。まるでアルコールの過剰摂取を嗜めるような口調で、夫の口もとに指先を当てていく。
 愛之介は急に好物を取り上げられた男児のような表情となる。彼はつれない妻に甘えるように懇望した。

「ほんの一飲みだけでいい。駄目か?」
「前にもそんなこと言って、500mくらい飲んだでしょう?愛之介さんの言葉は、全然信用できません」
「わかった。必要最小限の0.5でいい」
「それ500mから変わってないですよね。騙されませんよ!?」

 まるでコントのようなやり取りだが、夫婦はそれぞれ真剣だった。血液戦争である。
 名前の夫である愛之介は、純血の吸血鬼だ。昼間は薬を飲んで人間に擬態し、国会議員として活動している。しかし夜はこのように本来の姿となり、人血を求める。彼の一族は愛する者の血液を嗜好するため、必然的に伴侶を得ることに関しては命懸けだ。
 愛之介は名前を妻として迎えてから、それはもう溺愛して、たっぷり血を頂いた。時に頂きすぎて、今回のようにお叱りを受けることもあった。
 
「名前の血が、極上のフォンダンショコラのように美味しいのが悪い。とてもまろやかで、芳醇かつラブリーな味がする。何時間でも舌上で味わいたいくらいだ」

 放埒に唇の端を舐め、うっとりと語る。吸血欲と妻への深い愛着に満ちた表情に、名前は思わず見惚れてしまいそうになる。

「吸うのが駄目な代わりに……今夜はこれで我慢してくださいませんか?」

 名前はまるでお詫びのように、愛之介の唇に軽くキスを落とした。妻からの愛情がたっぷり込もった優しい触れ方に、愛之介も唇が緩みきってしまう。

「……仕方ないな」

 軽やかな唇の触れ合いだけで簡単に絆されてしまうほど、彼は妻に甘かった。愛しい女の血で喉を満たしたい欲求を抑え、キスに応えていく。いつかお許しが出て、たっぷり吸わせてもらえる日を夢見ながら。



 昼夜逆転の生活を、英語では『live the vampire life』という。これは吸血鬼のように昼は寝ていて、夜になると活発に活動することから生まれた表現だ。
 愛之介は貴重な休日では昼夜逆転、つまりヴァンパイアライフまっしぐらだった。猫のように丸まり、妻をお気に入りの抱き枕のように腕に収めている。実に幸せそうな寝顔をしているため、朝にいつも目覚める名前はこっそりため息を吐いた。
 
「どうしよう……、」

 吸血鬼の腕力は人間よりも遥かに強い。寝ている時とはいえ、その逞しい腕力は遺憾なく発揮されている。名前は打開策を探るかたわら、愛之介の顔をこっそり観察した。
 品も華もある美貌は、まるで名高い美術館に寄贈された芸術品を思わせた。真紅のバスローブに包んだ逞しい肉体は成人男性らしい色香を放っていたが、寝顔は子どものような無邪気さがある。名前はゆっくりと愛之介の頬を撫でた。限りない愛しさを込めた手つきで。

「ん、……」

 寝惚けているような声と一緒に、腰に回った夫の腕にさらに拘束されてしまう。幸せな夢でも見ているのか、愛之介の口もとはずっと緩んだままだ。
 力を緩めてくれるどころか、逆に強く抱きしめられてしまっている。名前は事態がさらに悪くなってしまったことに、幸せに降参するような心地になった。

「愛之介さん、起きてます?」
「……」
「腕を離してくれたら、夜に……たくさん好きなだけ私の血を吸っていいですから」
  
 肉体的な反応はない。やはり寝てしまっているのだと名前が諦めた時、麗しい口唇がゆっくり開いた。

「それは本当かな?」

 喜悦を隠し切れない声に、名前は目を瞬かせた。ヴァンパイアライフを送っていたはずの夫が、実は起きていたらしい。瞼を閉じたまま、片手で名前の顔の輪郭を確かめ、唇の柔らかさを堪能するように何度も口づけをした。

「起きてたんですね。……もう、」
「最初は本当に寝惚けていたんだが、最高の取引の言葉が聞こえてきて目が覚めたよ」

 薔薇色の瞳孔を猫のように細め、愛之介は腕を名前から離す。取引はきっちり果たしたと言わんばかりの大げさな仕草に、名前はくすくすと微笑んだ。

「起こしてしまって、ごめんなさい。朝陽は当たらないようにしておくので、ゆっくり寝ててくださいね」
「ああ、そうさせてもらうよ。夜の楽しみが増えたからな」

 しなやかな獣のように、優雅な欠伸をする愛之介。無防備に鋭い犬歯を覗かせ、嬉しそうに瞼を再び閉じていく。ヴァンパイアライフのサイクルに戻った夫を、名前は優しいまなざしで見守った。同時に、今夜の我が身をこっそり案じながら。



「おはよう」

 吸血鬼は日没後に、目覚めの挨拶をするのがセオリーだ。実際に愛之介の先祖は棺桶から目覚めた時に、世話役のコウモリたちにそう挨拶していたという。
 主の目覚めに屋敷にいる使用人たちは一斉に頭を垂れ、恭しく挨拶をしていく。

「おはようございます、愛之介さま」
「お目覚めの血はいかがでしょうか。健康な人血を血液型ごとにお選びいただけます」

 ワインボトルに入っているのは葡萄から精製されたものではなく、新鮮な人間の血液だ。真紅から濃紅へ。日が経つにつれて色や味が熟成していく様は、まさにワインにひとしい。
 愛之介は自身の喉の渇きよりも、妻の名前の行方が気になっていた。貴重な休日は妻と身を絡め、心ゆくまで楽しむのが愛之介にとっての最高の娯楽だったからだ。つい急かすように使用人を問いつめてしまう。

「血は後でいい。それより名前はどこにいる?」
「奥さまは現在、庭園にいらっしゃいます」

 愛之介はすぐに庭園へと赴いた。名前はすぐに見つかった。傾いた陽に照らされている姿は、落日に咲く花のように彼には思えた。

「愛之介さん、起きたんですね。おはようございます」

 二輪の薔薇を手にしている名前は、口もとを緩めた。

「おはよう。花を摘んでいたのか」

 愛之介は近づかなかった。なぜなら純血の吸血鬼たる彼は、薔薇を枯らしてしまうからだ。
 『吸血鬼は薔薇に嫌われる』という古来の伝承どおり、彼はこの花を人間に擬態している時にしか触れない。愛之介は幼い頃に初めて薔薇の花弁に触れた時のことを、今でも鮮明に覚えていた。華やかに咲き誇っていた花弁が急速に色褪せ、枯れ落ちた時の感触。それは彼のなかで物悲しく苦々しい記憶として息づいていた。

「これは造花ですよ。本物の質感そっくりに作られた、薔薇の造花です。だから愛之介さんが触っても、絶対に枯れないんですよ」

 名前は二輪の薔薇の造花のうち、一輪を愛之介に渡した。庭園のテーブルには、造花を作るための材料や道具が置いてあった。部屋では作れないため、実際の薔薇を観察しながら作っていたことは明白だった。

「これなら、いつでも好きな時に薔薇に触れます。人間になった時も、本来のあなたでも」

 妻の微笑みは慈愛に満ちていた。愛之介は愛しさがこみ上げ、胸奥が暖かに満たされていくのを感じていた。人工的に作られた薔薇はミニチュアローズのごとく小さいが、深い充足をもたらした。

「ありがとう、名前。とても嬉しいよ」

 名前は人間で、長命たる吸血鬼の愛之介よりも遥かに短命だ。それなのにいつも驚かされ、教えられることばかりだと彼は感謝を込めて妻を抱きしめた。
 いつか名前は造花と違い、生きた花の宿命のように散ってしまう。咲き誇っているのは今だけで、やがて愛之介の手のなかで枯れ落ちてしまうだろう。
 彼はいつしか来るであろう、その時ことを考えたくないといわんばかりに腕に力を込めた。妻のことを美しい思い出として埋葬するには早すぎると、唇をきつく引き結びながら。



 愛之介にとって、最も甘美な食事の時がやってきた。それは名前から血を頂くことに他ならない。彼にとって最も愛する者の血は格別であり、最高のご馳走だ。
 名前は朝の取引を反故にはせず、喉頸を無防備にさらした。夫の『食事』のために、ペットボトルの水を飲み干し、告げていく。

「愛之介さん、どうぞ。今夜は好きなように召し上がってください」
「ああ。頂こうか」

 口端を唾液で濡らし、真珠色の異様なほどに鋭い犬歯を肌に添えた。弾力のある肌に歯先が突き立てられ、ぷつりと赤い粒がじわじわと浮く。
 吸血の際、獲物が気絶しないように吸血鬼の唾液には快楽を与える成分がある。名前は甘やかな心地良さを感じながらも、なんとか気を保った。
 美味しそうに血を啜られ、興奮した吐息で炙られていく。食べられている、と名前はいつも以上にそう感じていた。

「名前、とても美味しかったよ。ああ、……やはり君の血は最高だな」

 愛之介は真紅となった唇を動かし、口端にある粘液のごとき血を舐めとった。瞳孔には恍惚、その虹彩には妻への愛執があった。やがて彼は喉を愛しい女の血で潤わせた満足感のまま、名前をベッドへと運んだ。
 強い性感に疼いているであろう妻を、たっぷり愛して文字どおり味わうためだ。血肉を愛する、まさに吸血鬼らしい愛し方を、愛之介は体現していた。
 二輪の薔薇の造花だけが枯れずに、夫妻の蜜月を見守っていた。愛に満ちた吸血鬼と人の交わりを。



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