※夫婦設定
初めて恋に落ちた時のエピソード。それは事実より美しく装飾されたり、恋した相手がより魅力的だったと補正がかかるという。
愛之介は妻である名前の初恋がどんなものだったのか、ふと気になった。彼女がフォンダンショコラを丁寧に取り皿に移し終えたところで、問いかけてみた。
「そうですね。とても素敵な初恋でしたよ」
名前は記憶をたどりながら、語り始めた。初めての恋は6歳のことで、相手は落とし物を探していた男の子。とても可愛らしい顔立ちで、育ちが良さそうな上品な格好をしていたという。
「初めて会った時、落とし物をしてかなり困っているような様子でした。なので、一緒に落とし物を探したんです」
「何を探していたんだ?」
「スケートボードのベアリングです。とても小さい部品だったので、探すのに苦労しました」
名前によると初恋の男の子と手分けして、一緒に探したという。
その時の情景が瞼の裏に蘇っているのか、アスファルトに手や膝をくっつけて必死に探していたので、すっかり汚れてしまったことも覚えていた。
そして日が暮れる頃、道路側溝の隙間に隠れるように挟まっていたところを発見したという。爪先を使って取り出し、名前は男の子に落とし物を渡してあげた。
すると男の子は名前と手を繋ぎ、国際通りにある店に寄った。彼はハンカチを購入し、感謝を込めて贈ってくれたという。
『お礼にこれあげる』
『いいの?』
『うん。貰ってほしいんだ。今日は一緒に探してくれてありがとう』
その晴れやかな笑顔を見た瞬間、恋に落ちたと名前は幸せそうに語った。愛しむような追想の表情をする妻を、愛之介は優しく見守った。
「実は今でもそのハンカチを持っているんです。顔はもう忘れてしまいましたけど、本当に素敵な男の子でした。……あの時、名前を聞かなかったことだけが悔やまれますね」
語り終えた名前はソーサーからカップを取る。琥珀色の液体にミルクポットを傾けて注ぎ、乳白色が加えられた美しい紅茶の海を堪能する。
愛之介は妻の作ったフォンダンショコラを口にした。表面は硬質で香ばしく、内面は蕩けるように甘いと彼は感じた。まるで今しがた語られた初恋のエピソードのように。
「愛之介さんの初恋は?」
「まったく同じだ」
「同じ?」
「君が今話したのと同じだよ」
冗談だと信じて疑わない。そんな表情の妻に対し、愛之介はハンカチの特徴を詳細に語っていく。
「僕が贈ったのは色は白、薔薇が右下に刺繍されているデザインのものだ」
「そんな……一緒です」
名前がポケットから取り出したのは、愛之介が告げた外見どおりのハンカチだった。愛之介もまたデスクへと赴き、引き出しから小さな部品を取り出した。
彼の指先が手にしていていたのは、スケートボードの部品。黒々とした小さな真円の形状。それは初恋の女の子が見つけてくれた、ベアリングだった。
「その部品、今も持っててくれたんですね」
「勿論だ。名前こそ、今も大切に持っているようで嬉しいよ。人に親切でいつも真摯に向き合ってくれる。君はあの頃と変わってないな」
初恋の相手がお揃いだった。そんな遠大にして不思議な巡り合わせに、揃って神道夫婦は微笑む。
恋は実り、今まさに大輪となって夫婦間に咲いていた。幸せに、そして穏やかに。