ほしょく


 補色は対照的な色のことであり、隣に在ることで色を引き立てる。美術の教科書では赤と緑、黒と白などがよく知られている。
 忠は産まれた時、まず蛇草色の瞳を祝福された。暗いトーンの緑のまなこを眺め、大人たちは喜んだ。

「縁起がいい。愛之介さまを支える色だ。」

 アイノスケサマは特別な存在なのだと、産湯のなかで忠は感じた。両親のような使用人たちにとっては天上人のように特別であり、生涯支えて仕えるにふさわしい方だと。
 そうして初めて会った愛之介は、優秀で無邪気で愛らしい主人の風格があった。彼の瞳は紅や朱よりも赤く、生まれながらに戴いた輝きを持っていた。

「忠。僕とこれからも一緒にいてくれる?」
「もちろんです。愛之介さま。」

 赤と緑は補色。対照的な色。緑は赤の輝度を際立たせるためにある。忠は自身が蛇草色の瞳を持って生まれてきたのは、誇るべき宿命なのだと感じた。一使用人の立場でいながら、引き立てられ、誰よりも主人の近くで仕えることができるのは幸せなことだった。
 月日は経ち、無邪気だった愛らしい少年は賢しさと狡さを備えた大人へと成長していく。やがて忙しい日々のなか、主人たる愛之介が友人として連れてきたのが名前だった。

「初めまして、菊池さん。」

 その女性を色で例えるなら、上品な白だった。確固たる考えを持ちながら、気を許した相手の色には簡単に染まってしまいそうな無防備さがある。
 友人だと紹介されたものの、実際にはもっと親密そうな雰囲気があった。名前が愛之介からスケートボードを教わっていると微笑んだ時、胸底から黒く暗い泥のような感情が噴き出すのを忠は感じた。

「名前は覚えが早くて、僕としても教えるのが楽しいな。」
「そうですか?嬉しいです。また教えてくださいね。」

 敬愛する主人と名前は楽しそうに談笑している。このふたりが交われば、美しい薄紅や桜花の色になるだろう。揃えば華やかで上品な色合いだった。
 黒髪に喪に服したような墨色のスーツ。忠は気付けば黒を纏うことが多くなっていた。
 『黒は色を食ってしまう』と色彩の世界では忌まれることがある。名前の持つ清廉な白さを汚してしまう、と忠は黒い感情を鉄面皮の下に隠した。
 黒は白を補色するのではなく、捕食してしまう。澱んだ灰色、遂には暗い色へと食ってしまうだろうと。

「菊池さんはスケートボードがとても上手だと、お聞きしました。今度、よろしければ一緒に滑りませんか?」

 名前は沈黙を守る政治家秘書へと微笑んだ。白い頬に清白な言葉、名前のなにもかもが美しく白いように忠には感じられた。
 尊びながら汚したい。気高いと賛美しながら穢したい。そんな欲を抱く己は誰よりも黒いと、唇を引き締めた。

「もったいないお言葉です。機会がありましたら、是非よろしくお願いします。」



 忠と名前の穏やかな交流は続いた。仕える主人のご友人、その立ち位置は親密になるにつれて甘く崩れていった。
 とうとう黒は白を補うのではなく、捕えた。敬愛する主人の友人を抱くのは、うしろ暗い恍惚感を忠にもたらした。なめらかな白い陶器のごとき肌に痕跡を残し、自身の色に染める。絵具を筆先で交わらせ、塗りつぶすように。忠は黒々とした愛情と欲のままに、名前と交わった。
 互いにない色を補うように、補色し、捕食し合った。

「後悔してるか?」
「いいえ。あなたのものになれて、嬉しい。」

 汚したのに恋しく、穢したのに愛しい。交わり、混ざった喜びと悦びのままに唇を重ねた。
 その後、忠は律儀にも仕える主人へと報告した。大切な友人たる名前と恋仲になったのだと、処罰を覚悟した上で。

「お前はいつしか黒しか纏わなくなって、つまらなかった。だが今は他の色と交わって、良い色になったな。」

 愛之介は思惑通りだと、不遜に笑ってみせた。
 いつからこの主人に計られ、謀られていたのか。忠には己の想像もつかない主人の計画に、ただ踊らされ、翻弄されていた。高貴な薔薇のそれよりも、なお赤い瞳を持つ愛之介。彼はどこまでも忠とは対照的だった。

「愛する存在が出来たからには、これまで以上に働いてもらうぞ。」
「はい、愛之介さま。」

 赤と緑の瞳が交差し、主従は改めて補う関係を確認した。赤と緑、黒と白。それぞれが互いになくてはならない唯一の色なのだった。



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