籠もり唄


 ─── 坊やよ、なぜにお目々が赤い
 真っ赤な木の実をおとうさまとおたあさまが食べた
 それでお目々が赤うござる ───

 それは愛之介が幼少の頃、離れの部屋でひっそりと咲いているような母が聞かせてくれた子守唄だった。
 穏やかで優しげな歌声、可愛らしい歌詞がいつまでも愛之介の耳に甘く残った。

「愛之介。あなたもいつか、誰かと真っ赤な木の実を食べることになるのよ。」

 幸せな未来図を語られ、愛之介はいつも心躍った。いつか自分だけの愛する子と一緒に木の実を食べる。それはどんなに楽しいことだろうと、唇に子どもらしい微笑を乗せる。
 愛之介は自身の目が真っ赤なのは、父と母が仲良く木の実を食べたからだとすっかり信じ込んでいた。母は世界で一番慈愛に満ちた聖母さまであり、優しさの象徴のようにいつも微笑んでいる。

「母さま、また歌ってください。」

 すると慈母の顔で、彼女は我が子の要望に応えた。

 ─── 坊やよ、なぜにお目々が赤い
 真っ赤な木の実をおとうさまとおたあさまが食べた
 それでお目々が赤うござる ───

 蝋のように白い指先、花のような吐息。そのふたつに撫ぜられ、愛之介は嬉しそうに身を捩った。

「ああ、私のかわいい愛之介。……ずっと純粋で、誰かを愛せる子でいてね。」

 身体はどこも悪くなさそうなのに、美しい母がいつも離れの部屋にいた理由。健やかなようで病んでおり、正常なようで既に精神に変調をきたしていた微笑み。
 それらを、愛之介は歳を重ねてから知ることになる。純真で愛らしい子守唄の、暗い真相も。



 子守唄は我が子への慈愛で歌われるものと、陰惨な悲劇を伝えるために歌われるものがある。
 母の子守唄は果たしてどちらなのか。成長した愛之介は亡き母の面影を懐かしく描きながら、ふと考えた。
 赤目の男児。彼の目が赤い理由は、両親が真っ赤な木の実を食べたから、というのが主な内容だ。

「知恵の実、ではなさそうだな。」

 アダムとイブ、西洋の旧約聖書になぞらえたものかと愛之介は最初に考えた。しかし、どうにも腑に落ちなかった。彼は調べていくうちに、いくつか興味深い点を発見した。
 まず、この子守唄は神道家に代々伝わるオリジナルのものであること。家系図を見ると子守唄を生み出したという13代前から、歴代当主の名前に『愛』の字が付き始めていることに愛之介は気付いた。
 愛之烝、愛史朗、愛一郎......この奇妙な符号に彼はますます魅せられた。普段なら忠に命じて探らせるところだが、これは自身が徹底的に調べて知らなくてはいけない。そんな使命感に愛之介は駆られていた。

「あなた、どうしたの?古い家系図なんて、引っ張り出してきて。」

 熱心に調べ物をする夫に声をかけたのは、妻の名前だった。古い書物の砦に驚き、同時に興味津々な様子で眺めている。
 愛之介が経緯を説明すると、名前は手伝うと申し出た。可愛らしい子守唄の真相追求と家系図の謎、それらは実に魅力的だったらしい。嬉々として書物を手に取った。
 しかし夫婦で手分けして古文書を漁っても、解決に至るものは見つからなかった。全体の三分の二ほどを読んだところで、彼らは捜索を打ち切ることにした。

「名前、調べるのはまた明日にしようか。」

 愛之介がそう告げると、欠伸をした名前が頷く。このペースなら、明日中に古文書は読み終わるだろうという目測もある。こうして夫婦は揃って書物を片付けた。



 愛之介はその晩、不思議な夢を見た。夢のなかの自身は容姿こそとても似ているが、別の男だとわかる。
 月夜の美しい晩だ。灯火がなくとも、顔かたちがよく分かる。断末魔の悲鳴は、不吉な獣の咆哮に似ていた。樹木には刷毛で勢いよく塗ったように血飛沫が飛んだ。
 愛之介は夢のなかで、傍らの妻と一緒に政敵の男を殺めた。

「許さぬ、……おぬしら決して赦さぬぞ、」

 男は血反吐を散らしながら、呪詛を吐いていく。壮絶な怨恨、凄絶な無念の表情で。

「罪人ども……男はみな色狂い、女は気ちがいになる。我が血の色をした子が産まれてくるだろう……殺しはせん、生かして末代まで……苦しめようぞ、」

 血脈を呪う言葉を最期に、男は事切れた。頸元は太刀で引き裂かれ、まるで笑っているかのように開いている。
 樹木は男の血を浴び、艶々と濡れていた。月夜では黒の色彩でしかないが、赤々としているにちがいなかった。
 愛之介はそれを眺めた途端、異様な興奮に駆られ、妻を樹木に押しつけてまぐわった。気が触れたように妻は悦び、樹木に爪を深く立てながら昂りを受け入れる。衣擦れの音に紛れて、再び不吉な獣の咆哮が上がった。しかしそれは他ならぬ愛之介自身の喉から、嬉々として迸ったものだった。
 そうして産まれたのは男児で、血のような赤目をしていた。やがて家系では、当主と妻以外の者の不審死が相次いだ。恨み血で染まった樹木でまぐわったからだと、家系の者たちは恐れた。高名なまじない師を呼び、助言を乞うた。

「……これほどの恨みは祓えない。神仏に祈り、和らげる他ないでしょう。愛染明王から一字頂き、歴代当主は『愛』で始まる名としなさい。そして、この出来事を後世にまで語り継ぎなさい。書物では散逸するため、子守唄にするのがよろしかろう。」

 こうして歴代当主はみな『愛』で始まる名前を名乗った。当主と妻を生贄に捧げ、代々、家を繁栄させた。子守唄を作り、因果を子々孫々に語り継いだ。

 ─── 坊やよ、なぜにお目々が赤い
 真っ赤な木の実をおとうさまとおたあさまが食べた
 それでお目々が赤うござる ───

 それは決して可愛らしい子守唄ではなく、淫猥な呪いの籠もり唄であった。



 醜悪にして淫猥な悪夢。夢から覚めた愛之介は、子守唄の真相を知り、熱を出した。
 三日三晩、高熱に苦しんだ。そして再びあの夢に苛まれた。色事に狂ったように、名前によく似た女を何度も抱く。妻はやがて気ちがいになる。罪科を忘れぬようにと、血色の目の男児が産まれる。
 愛を名乗る男たちは永劫償わなくてはならない。その妻も、決してその業苦や因果からは逃れられない。
 そうして熱が引いた頃、床に名前が見舞いにやって来た。

「愛之介さん、大丈夫?酷い熱だったから、心配しました。」
「ああ、もう大丈夫だ。ありがとう。」

 熱心で献身的な看病をしてくれた妻を、愛之介は心から慈しんだ。夫婦間の穏やかな雰囲気に、口もとをほころばせる。
 しかし次に続いた妻の言葉に、彼は息を呑んだ。
 
「あなた。私、懐妊したんです。このお腹に赤ちゃんがいるんですよ。」

 愛之介は確信した。妻の胎にいる我が子は男児で真っ赤な目をしている。朱や紅よりも赤く、血のように濃い色をしているのだと。
 名前は自らの腹をゆっくり撫でながら、愛しむように歌った。暗い怨嗟と因果にまみれた、あの唄を。

 ─── 坊やよ、なぜにお目々が赤い
 真っ赤な木の実をおとうさまとおたあさまが食べた
 それでお目々が赤うござる ───



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