律儀なダーリン


 "S"に突如現れた新星スケーター、馳河ランガ。氷雪を思わせる涼しげな美青年であり、スケートボーディングにおけるプレイはスノーボードの技術を応用したものが多い。彼はその容姿とトリックから『スノー』と呼ばれ、一躍有名人となった。
 名前がランガと初めて会ったのは"S"の開催地、閉鎖された鉱山である。きっかけは些細なことで、練習をしていたランガがミスで転んでしまい、それを偶然見た名前が助けたことによる。

「大丈夫?」

 名前はいわゆるお人好しで、親切なスケーターだった。ランガの指に擦り傷を認めると、ミネラルウォーターと消毒スプレーで消毒し、手際良く絆創膏を貼っていく。

「ありがとう。」
「どういたしまして。消毒スプレーや絆創膏は常備してるの。自分もよく失敗して転んじゃうし、気にしなくていいよ。」

 名前はランガを見てすぐに『スノー』と呼ばれている有名人のルーキーだと気づいた。彼女はさり気なく、ランガを観察していった。
 北米系の血が入った、ハーフ特有のきれいな顔立ち。痩身のようで美しく筋肉がついた精悍な身体つきといい、ストリートを滑ったら人目をかなり惹くだろう。名前はランガを初めて間近で見たが、心躍るような甘い緊張を覚えた。もっと話していたかったが、彼の練習の邪魔になってしまう。そう考えた彼女は名残惜しくも去る決意をした。

「お大事に。練習、頑張ってね。」
「ちょっと待って。」

 立ち上がろうとした名前の腕を、ランガが掴む。

「お礼するから。連絡先と名前を教えてほしい。」

 律儀にもスマホを取り出し、名前に聞いてきたのである。ランガの連絡先という対価。それだけでも名前にとっては実に魅力的だったが、彼女は首を振って遠慮した。

「そんな、お礼なんていいよ。」
「俺の気が済まないから。」

 名前は遠慮したが、ランガは礼をすると主張してまったく譲らなかった。話し合いは続いたが結局、名前がその熱意と親切を受け入れるかたちで名前を教え、連絡先を交換した。やがて彼らはラインで頻繁に話すようになり、すっかり友だちとして仲良くなったのである。

『名前、滑りに行こう。ご飯も一緒に食べたい。』

 そんな誘いのメッセージが頻繁にラインに入り、名前は頬を緩ませる。ランガとストリートを滑るのは、今や一番の楽しみになっていた。同時に、ランガへの恋心を強く自覚してしまい、彼女は頭を抱えた。

「嬉しいけど……ランガは絶対、私を友だちだと思ってるよね、」

 好意を伝えて今の関係を崩したくない一方で、恋心を暴露して心から好きだと伝えたい。名前は相反するような気持ちに苛まれ、葛藤しながらベッドに寝転がった。
 しかし答えは一向に見出せず、大好きなランガの嬉しそうな微笑を脳裏に描いて、悶えるだけだった。



 ランガの両親は父がカナダ人、母は日本人である。彼自身は生まれも育ちもカナダであるため、当然ながら恋愛の価値観や感覚も日本のそれとは違う、というのが名前の認識だった。彼女は今後の参考のために、スマホでカナダ人の恋愛について調べていった。

「『カナダは日本と違い、男女交際における告白という文化が存在しません。そして正式に交際するまでの期間が非常に長いです。』……そうなんだ。」

 名前が画面をスワイプしていくと、詳細な文章がずらりと並んでいく。それによるとカナダ人の恋愛は最初は友達感覚で、何度か一緒に出かけるという。おたがいに意気投合したら、今度はDatingという『付き合う前のお試し期間』に発展するのがセオリーと書かれていた。

「お試し期間。なるほど、そんな文化があるんだね。」

 日本ではあまり馴染みのない文化である。まるでカップルのように手を繋いだり、ふたりでデートするので日本人感覚では『付き合っている』と勘違いしやすいことも併記されていた。名前は興味のまま、続きを読み上げていった。

「『カナダ人は好きというワードを、日本人に比べてかなりカジュアルに言います。たとえば普段から好きだと言い合っていても、実は相手は友達程度の好意にすぎなかった、という悲劇的な認識のズレがあるケースもあります。』……カナダの人は好きがカジュアルってことなんだね。」

 名前はこの文面を読み、納得とともに苦悩した。実は最近、ランガから好意を頻繁に告げられていたからだ。事あるごとに好きだと嬉しそうに言い、パーソナルスペースを以前よりも詰めてくる。これが友達としてのカジュアル感覚の好きなのか、恋愛対象の異性としての好きなのか。彼女は真意を測りかねていた。

「どっちなんだろう……?でも、聞き出せないし。」

 当人にストレートに聞けば解決するが、名前はなかなか問いただせなかった。ランガに好きだと言われる度に、恥ずかしながらも好きだと名前は返していた。文章を読めば読むほど、おそらく友だち感覚なのだろう、と意見が傾いていった。

「名前、なに悩んでるの?」
「ラ、ランガ……!」

 隣に座ったのは、名前の苦悩の張本人にして意中の人物である。スノーブルーのやわらかな髪の下で、アイスグリーンの瞳が興味深そうに瞬いている。

「えっと、なんでもないの。」
「そう?カナダ人の恋愛とか、お試し期間みたいなのが聞こえてきたけど。」
「う、……ランガはカナダで生まれ育ったから、どういう文化だったのか興味があって。」

 ランガは隣に座ったまま、ゆっくり距離を詰めた。まるで名前に寄り添い、甘えたいかのような挙動だ。

「確かにカナダでは告白みたいな文化はない。いつも一緒にいて、楽しければ好きだって伝える。」
「それは友だち感覚なんでしょ?」
「名前に対しては違う。名前のことを友だちとしてなんて、一度も見れなかった。初めて会った時から。」

 熱を帯びたまなざしは、愛しいひとを見るそれだった。視線はまっすぐ名前だけに注がれている。彼は氷雪のような容姿に反して、蕩けるような真摯な情熱を胸に秘めていた。

「好き。名前とずっと一緒にいたいし、キスもしたい。」
「……っ、」

 ストレートな好意の吐露は、名前の心臓を甘く緊張させるのに充分であった。照れるまま沈黙を守る様子にランガは更にとどめをさしていく。

「もし心の準備ができてないなら、お試し期間を開催する。好きになってもらえるよう、頑張るから。」
「待って、ランガ。その、色々キャパオーバーなんだけど……、」

 沸騰したような頬と気持ちに冷却期間が欲しい名前は、ランガから距離を取る。最初こそ顔をすっかり背けていたが、やがて向き直って返事をした。

「あのね、私も……その、ランガが好きだよ。男の子として。」
「本当に?」
「本当だよ。」
「そっか……嬉しい。」

 ランガは雪解けした春の陽射しのような微笑みのまま、名前の右手を取る。そして人差し指の爪から少し先に、軽くキスを落としていった。それはファーストコンタクトの時、彼が初めて名前に絆創膏を巻いて貰った部位である。

「あの時の絆創膏のお礼。まだ返してなかったから。」
「今、このタイミングでする……?」
「うん。初めて会った時、とても嬉しかったから……お返し。」

 律儀な返礼と嬉しそうな笑顔。名前は再び沸騰するような心地になった。触れられた指先がたちまち熱を持ったように、名前には感じられた。

「ランガ、顔が真っ赤だよ。」
「名前だって、人のこと言えないだろ。」

 おたがいに火照った頬を眺めて、ランガと名前は微笑みあった。カナダ特有の付き合う前のお試し期間は、彼らにはもう必要ないらしい。恋人として甘やかな蜜月を迎えて、幸せに蕩けるばかりだった。



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