ラブ・ハッグ・デイ


※3話前という前提。(暦と愛抱夢がまだ直接出会ってない状況です)


 馳河ランガは今、名前にとって一番の関心の対象であった。彼はスノーボードを連想させるプレイスタイル、氷雪のような涼しげな容姿から、"S"ではスノーと呼ばれている。
 名前の恋人である神道は彼を「ランガくん」と親しげに呼び、一方的にご執心であった。彼は暇な時間さえあれば、スノーの"S"でのプレイ動画を熱心に観ている。大画面、無数のモニターを並列で観ながら恋に落ちた乙女のように嘆息している彼を見た時、それはもう名前は衝撃を覚えた。
 神道愛之介をそこまで夢中にさせる馳河ランガとは、何者なのか。名前の足は気付けば彼の元に向かっていた。

「初めまして、馳河ランガくん。」

 今の名前を突き動かしているのは、勢いと情熱、そしてとびっきりの好奇心だった。ランガは友達の暦と下校している最中であり、不思議そうに首を傾げた。

「ランガ、この綺麗なお姉さんって知り合い?」
「いや、知らない。」
「私は名字名前。えっと……私は愛抱夢の知り合いで、彼についての話や、スケートボードについて話したいと思うの。……ルールのこともあるから、こっそりね。そこのオープンカフェに寄らない?もちろんお友達も一緒で。」

 "S"は極秘のレースであり、鉱山を一度出たら他言無用である。しかし名前は愛抱夢の決闘(ビーフ)について秘密裏に語ってくれるという。彼女が話題を提示すると、男子高校生ふたりは予想以上に食いついてきた。興味津々といった様子で顔を突き合わせている。

「マジっすか!おい、ランガ。行こうぜ。」
「うん。興味ある。」
「良かった。じゃあ、早速行きましょう。」

 かくしてスケートボーダーたちによる、まったりとしたお茶会がスタートした。



 オープンカフェのテラス席は晴天に恵まれ、心地良い風が吹いている。純白のテーブルには、注文したサンドイッチや紅茶、パフェが並んでいる。三人は食事を楽しみながら和気藹々と過ごしていた。
 名前はランガたちとすっかり打ち解け、スケートボードについて熱心に語っていた。堅苦しい敬語はやめようという名前の提案により、まるで昔からの知り合いのように話に花を咲かせた。

「ランガくんのボードは暦くんが作っているのね。彼のプレイスタイルに合わせたカスタマイズといい、デッキのデザインといい、とてもセンスがいいと思うよ。」
「あざっす!このウィールのところ、回転椅子からヒントを得て作ったんだ。性能はもちろん抜群。なんたって、このボードで日本代表候補に勝っちまったからな!」
「暦、褒められるとすぐ調子に乗る。滑ったのは俺なんだけど。」
「うっせーな。ランガはもっと俺に感謝しろっての!」

 暦の賑やかなトークに、ランガがまったりとコメントを差し込む。彼はクリームがふんだんに盛られたチョコレートパフェを、口に運んでいた。美しく痩せた涼しげな容姿ゆえに少食に見えるが、食については男子高校生らしく貪欲によく食べる。ランガは名前を見つめ、切り出した。

「名前さん、愛抱夢の話が聞きたい。"S"の創設者で危険なスケーターだってことはわかってる。彼に勝ったスケーターは……、」
「愛抱夢は"S"において、私の記憶する限り負けたことはないよ。ひとつ言えるのは最高の技術を持った、最高に危険なスケーターということだけ。」

 名前は紅茶を飲みながら、愛抱夢がいかに強者で危険であるかをランガたちに語った。彼と決闘した者は例外なく大怪我を負い、引退を余儀なくされること。その一方で華麗にして凶暴、情熱的なプレーに強く魅せられている、ということも語ったのである。

「名前さんは、まるで愛抱夢のフォロワーみたいな感じだよな。」
「そう、かな?」
「でも信奉者っつーと、なんか違うんだよな。知り合いにしては、どこか大切に思ってる感じが伝わってくるから。」

 暦に指摘され、名前は目を瞬かせた。鈍感そうに見えて人の機微に敏感である彼は、興味深そうに突っつく。

「名前さん、もしかして愛抱夢の彼女とか?」
「……さあね。」
「暦、違う。この深く理解してる感じ、奥さんだと思う。」
「いや、違うから。まだそういう関係じゃないし!」
「『まだ』?」
「いつかそうなる関係ってことだろ。」

 男子高校生ふたりに抜群のコンビネーションでからかわれ、名前は言葉を詰まらせた。暦はサンドイッチを美味しそうに食べ、親しみを込めて名前をからかった。

「名前さん、可愛いとこあんじゃん。今度は恋バナ聞かせてよ。」
「う、うるさいなぁ……あ、ランガくん、口元にクリームがついてるよ。」
「ん、……ありがとう。」

 名前が身をすこし乗り出し、口元を優しく布巾で拭う。するとランガは照れくさそうに視線を逸らす。新鮮な反応に、名前は思わず頬が緩んだ。
 その仲睦まじい光景を、道路向かいの歩道から見つめる人物がいた。知性と思慮深さを伺わせるワインレッドの双眸。老舗であつらえた最高級のロイヤルブルーのスーツを隙なく、端正にまとっていた。今すぐにでもビジネス誌の表紙を飾れそうな美丈夫は、衆人の目を一際惹いている。

「神道議員、どうかなさいましたか?」

 神道と呼ばれた男は冷たく、翳りのある視線を注いでいた。穏やかに平静を装ってはいるが、見る者が凍えるような氷点下のごとき雰囲気となっている。現に声をかけた関係者は恐る恐る顔色を伺っていた。

「……いえ、何でもありませんよ。次の視察地へ行きましょうか。」

 彼はすぐに政治家の顔となり、有権者に向ける完璧な笑顔で応対した。私情を隠し、優雅に歩みを進めていく。市長から都市再生プランについて意見を求められ、神道は愛想良く答えていくが、胸中はすでに恐慌状態に近かった。



「今日、仕事中に名前を見かけたよ。随分と楽しそうだったね。」

 神道は革製の椅子に座り、名前を膝上に乗せてそう告げた。穏やかな口調だが、ワインレッドの双眸は不穏に据わっている。名前はあえて、煽るように言葉を選んでいく。

「ランガくんたちとのデート、楽しかったよ。新鮮だった。」
「それは妬けてしまうね。食事中に口元を拭ってもらうなんて、僕はしてもらったことがない。」
「だって、愛之介さんは口元にクリームをつけるようなタイプじゃないでしょう?」

 名前は愛しい恋人の唇の端を、優しく人差し指でなぞる。すると神道の悪戯めいた舌先に指を舐められてしまう。表皮を舌でいやらしく往復され、名前は気恥ずかしそうに不満をこぼした。

「もう……いやらしい雰囲気にするの、やめてよ。」
「君が先に始めたんだろう?」

 指で物足りなくなった神道は、名前の潤んだ唇を攫った。いつになく強い独占欲に駆られ、性急に舌を絡める激しいくちづけとなっていく。神道はキスに没頭しながら回想していく。あの時、ランガに対して明確な嫉妬を覚えたこと。そして名前が他の男に甘やかな媚態を見せていることに、一瞬で我慢ならなくなったことを。

「仕事中なのに気が狂いそうになったよ。今度から君が勝手に他の男とデートしないように、この部屋に繋いでおこうか。」

 神道が口にしたのは、いささか重度な束縛だ。名前に首輪をつけ、室内飼いの猫のように可愛がって蜜月を過ごすのもいい、と彼は思い描いていた。すると名前はキスの余韻に浸りながらも、主張していく。

「私も気が狂いそうだよ。愛之介さんはランガくんのモニターばかり観て、ずっと夢中な感じだったから。」
「まさか、それが理由で彼に会いに?」
「……そうだよ。愛之介さんが夢中になってるのはどんな子なのか、気になったから。今思えば、やきもちだったのかも。」

 名前はちいさく頷いて、視線を逸らした。なんのことはない、彼らはすれ違うように嫉妬していたのだ。すべては愛ゆえに。

「ああ、いいね。嫉妬というスパイスは美味しい。名前がより一層、愛しくなったよ。」
「う、うん……?ありがとう。」
「僕たちはもっと愛しあって、お互いを知るべきだ。そう思わないかな?」
「いや、待って。ここで感極まって脱がせないで!?」

 まるで寸劇のようなやり取りである。晴れやかな神道の表情には、もう暗い翳りはなかった。あるのは名前への深い愛。それだけであった。



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