料理と贅沢について


 料理とは食材を愛でる技術。その愛でる技術は女性への扱いに通ずる。それが南城虎次郎の見解だ。
 淑女に接するように優しく丁寧に扱い、食材本来のうつくしさや美味しさを引き出す。『腕の良い料理人は女好きである』というイタリアでは定番の思想について、彼もそれに両手を挙げて全面的に賛成していた。
 食材と女性は愛でるもの。それも、とびっきり優しく丁寧に。虎次郎の本業であるイタリア料理専門のシェフは、彼にとってまさしく天職だといえた。

「虎次郎の料理は、最高に美味しいね。」

 最大の賛辞を述べたのは虎次郎の恋人、名前だった。彼女は実に料理を美味しそうに食べる。初めて出会った頃から全く変わらないその長所について、虎次郎はとても好ましく思っている。名前がどうしたらもっと喜んで、自分の料理を食べてくれるだろうか。そう必死に模索した段階で恋に落ちていたのだろう、と彼は結論付けている。
 フォークで小さく丸めたパスタを幸せそうに口に運ぶ名前を見て、虎次郎は頬が緩んでしまう。本当に可愛いやつだと、胸中で褒めそやしながら。

「おまえって、なんでも美味しそうに食べるよな。本当に作り甲斐があるよ。」
「そうかな?そういう虎次郎は、さっきからあまり食べてないね。」
「俺か?名前が幸せそうに食べてくれるから、それだけで腹一杯だな。」

 すべて本心からの言葉だった。愛しくてたまらない女が自分の作った料理を絶賛し、幸せそうに食べてくれる。それだけで胸があたたかな多幸感でいっぱいになり、食欲以上に満たされてしまう。そんな虎次郎の心境とは逆に、名前はそれなりに深刻な表情となった。食べていた手を止め、フォークを皿の縁にそっと置く。

「どうした?」
「うーん……作ってくれた料理が相変わらず美味しいし、今日もたくさん食べちゃったと思って。」
「でもお腹空いてたんだろ?たくさん食べるのはいいことだと思うけどな。」
「まあ、そうなんだけど……カロリーがやっぱり気になるからね。」
 
 名前はカロリー摂取による体重の増加をとても気にしていた。世の若い女性の大半が気にするであろう、永久の宿敵だ。
 虎次郎の作るイタリア料理はカロリーが高いが、とても魅力的で栄養価も高い。だからその美味しさのあまり食べすぎてしまう、と名前は嘆いていた。彼女がダイエットの計画を脳内で懸命に組み立てていると、虎次郎がフォローするように呟いた。

「その点は大丈夫だろ。実は今日の料理はカロリー控えめの構成で作ったんだ。」
「え?そうなの?」
「ああ。いつもカロリーの心配をしてたからな。店に出すメニューの試作も兼ねて、そうしたんだよ。」

 虎次郎は名前のことを考え、家の食材を使ってヘルシーかつ舌を満足させる料理を考案し、作っていた。名前が改めて食卓に並んでいる料理を見ると野菜が中心であり、中には野菜を巧みに調理して肉の食感を再現している料理もあった。その洗練された彩りや舌を飽きさせない工夫は、確かな努力と優しさに満ちたものだった。
 多忙の中、凝った料理を手間とあらゆる労力をかけて作ってくれた。その心遣いに名前は改めてこみ上げてくるものを感じた。

「虎次郎。いつも美味しい料理を作ってくれて、本当にありがとう。」
「どういたしまして。俺も名前が幸せそうに食べてくれるのが嬉しいからな。身に余るような言葉だよ。ありがとう。」

 感謝の意をたっぷり込めた言葉が交わされ、お互いに微笑する。虎次郎は自分がシェフであることに、改めて誇らしい気分になった。料理を幸せそうに食べてくれる、愛する女の笑顔。それはどんなチップにも勝る、格別の報酬だと実感しながら。


 
 『腕の良い料理人は女好きである』というのはイタリア独自の思想だ。食材と女性はよく似ていて、仕込みをしくじると、途端に不機嫌になってしまう。だから腕の良い料理人とは女性の扱いにすぐれていて、女好きだと言われている。
 虎次郎の場合はそもそも根本的に女性が好きなのだろう、というのが名前の見解だ。
 彼は若い女の子から年季の入った淑女まで、丁寧に声をかけて接する。陽気な軽快さはあっても、軽薄さはない。兄貴分のような男らしい人柄の良さと人懐っこさで、彼と接した女性は容姿以上に魅せられて夢中になる。
 名前も虎次郎に夢中になったうちのひとりだ。その容姿や人柄も含めて惚れ込んでいる。しかし、恋人が女性が好きな性質だとわかっていても、妬いてしまう出来事がそれなりにあった。

「昨日は店に、とても可愛い子が来たんだよな。」

 虎次郎は悪意なく、恋人以外の女性を褒める。彼は人の長所を見つけて賞賛するのが、とても上手かった。それも女にモテる理由のひとつなのだろうと、名前は隣にいる恋人を盗み見た。
 虎次郎は美形というよりは、男前や色男という言葉が似合うような、男らしく整った容姿をしている。鍛え上げられた肉体はジョーとして活動する時に惜しみなく曝け出し、色気を醸している。名前は見とれながらも、こっそり追及していった。

「ふーん……好みだった?」
「まあ、それなりに。名前には負けるけどな。」
「声はかけたの?」
「残念なことに仕事中だったからな。そのまま、何事もなくそれっきりだ。また来店してくれるとありがたいんだけどな。」

 言葉とは裏腹に、口調はあっさりしたものだった。特別な感情はなく、目の保養になった程度なのだろう。それは名前にもわかったが、やはり他の女を褒める点でやきもちは焼いてしまう。
 彼女は無言で寄り添い、虎次郎の手を自身のそれと絡めていく。あたたかな体温を感じながら、少し強めに名前は力を込めた。

「……またお店に来るといいね。そのかわいい子。」
 
 拗ねた幼女のような表情である。名前はやきもちを焼く時、決して相手の悪口は言わずに褒める。そして必ずといっていいほど、虎次郎に寄り添う。可愛らしい嫉妬だと、彼はありったけの愛しさを込めてからかう。

「あー……おまえのやきもちって分かりやすいし、かわいいんだよなぁ。」
「……っ、」

 背をすこし屈めて、虎次郎は名前の頬にキスしていく。驚いた名前が離れようとすると繋いだ手を引き寄せて、腕の中にすっかり閉じ込めてしまった。

「う、……離して?」
「先にくっついてきたのは名前だろ?そのお願いは聞けないな。それに今日はもう名前を離さないって決めた。」

 拗ねた童女みたいな名前も虎次郎にとっては、可愛らしく感じられて仕方なかった。元より名前を家に帰すつもりなどない彼は、そのまま唇へとキスを施していく。まるで料理の下拵えをするかのように、優しく丁寧に。
 食材と女性は愛でるもの。その精神に則って、虎次郎は名前を愛でていった。大切に、そのうつくしさと美味しさを引き出すように。

「名前。カロリーを気にしない満腹感って、興味あるだろ。今から一緒に味わうのはどうだ?」

 少年のように無邪気な口調で、ウィットに富んだ陽気な誘い文句を口にしてみせる。甘ったるい食後の運動を誘われた名前はゆっくりと頷いた。その表情に嫉妬の気配は既になく、ひたすら恋人に対する愛しさに満ちていた。

「いいよ。優しくしてくれるなら、喜んで。」
「大切にする。それは任せてくれよ。」

 料理と愛しい女はよく似ている。時間をかけて愛せば、最高に美味しくなってくれるのだと虎次郎は名前を抱きしめた。ふたりにしか味わえないことを、たっぷりと時間をかけて行う。それは彼らにとって、最高の贅沢に他ならなかった。



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