愛は離陸後に


 世にも奇妙な状況だと思う。同職の知り合いの男に飛行機の隣の席で、いつも惚気のようなトークを聞かされているなど。

「ランガ君……彼は最高でね。いつもモニターやスマホで見ているんだけど、素晴らしいよ。」
 
 隣で機関銃の乱射のごとく語る男は、神道愛之介。有権者にやたらと人気の若手政治家で、私と同じ現職の国家議員だ。端正なルックスと、民意に寄り添った政策の提案で地元では支持率が高い。幼い頃は家同士の付き合いで一緒にいて、よく遊んだ記憶がある。だから顔馴染みということもあって、口調はお互いにフランクだ。
 彼とは飛行機のファーストクラスでよく会う。羽田行きの便でしかも毎回、隣同士の席。さすがに偶然とは片付けられないので聞いてみることにした。

「神道君はいつも隣の席にいるよね。もしかして、私の秘書を買収でもしてるとか?」
「まさか。僕の秘書と君の秘書は仲良しのようでね。どの席を予約したか聞いたら、簡単に教えてくれたよ。」

 それは一種の職権乱用ではないか、と思ったけど胸の内に止めた。彼と話すのはそれなりに楽しいからだ。
 神道君は『ランガ君』という少年に焦がれているらしく、二言目には彼の名を呼んでいると言っても過言ではない。ランガ君は北米系の血が入ったハーフで、大層な美少年らしい。うっとりと情熱的にランガ君のことを語る様子は、まさに恋の絶頂にいる男のそれだ。
 神道君とランガ君は同じ趣味を持っていて、そこで出会ったという。馴れ初めや話を聞く限り、かなり一方的な片想いのように思えるけど。

「で、ランガ君とは今週お話できたの?」

 私は興味のままに聞いた。すると彼は晴れやかに答えた。

「もちろん。次はデートの約束まで取り付けたよ。」
「それはすごいね。」

 神道君は実に嬉しそうな表情だ。彼の今の状況はパパラッチが大変喜びそうだ。週刊誌で発覚すれば、間違いなく一面で載せるだろう。『人気の若手政治家、神道愛之介の熱愛発覚。相手は未成年の男子高校生(17)』という見出しがつくに違いない。これは非常にデリケートなプライベートの話だし、神道君は私を信頼して話してくれている。タレコミなどは絶対しないけど。

「次に会った時、サプライズで何かを贈りたいと考えていてね。どういう物が喜ばれるだろう?」
「花を贈るのはどう?真っ赤な薔薇。ロマンチックだし、花言葉は確か『情熱の愛』じゃなかったかな?」

 それは冗談だったけど、神道君は意外にも真面目に頷いた。

「いいアイディアだね。名字さんの案を採用するよ。」
「ふふ、冗談で言ったんだけどね。……神道君は面白いなぁ。」

 彼は輝度の高い笑顔を見せて、鼻歌を奏で始めている。恋をすると冗談が通じなくなるタイプらしい。既に薔薇の本数は何本にしようかと、楽しげに苦悩していた。神道君はその後も、相変わらず少年みたいに無邪気に語った。私はそのトークを羽田に着くまでの、ささやかな娯楽として聞いていた。



 飛行機で神道君の恋愛トークを聞くのは、もはや定例になりつつあった。まるで待ち合わせたように会い、隣の席に座る。羽田に着くまで心ゆくまで話をして、時に一緒に機内食を食べて、いわゆる恋バナに花を咲かせた。

「この前、お近づきのしるしにランガ君に赤い薔薇の花束をプレゼントしたよ。」
「え、本当に赤い薔薇を送ったの?」
「ああ。花言葉は『情熱の愛』だということも伝えたよ。」

 未成年に、なにやら深い感情を込めて赤い薔薇の花束を贈る国会議員がどこにいるだろうか。隣にいる。しかもこれからやるのではなく、事後報告だ。

「で、ランガ君はどんな感じだったの?」
「嬉しいことに受け取ってもらえてね。結局、その時は不測の事態で別れてしまったけれど……ああ、また会える日が待ち遠しいね。」

 神道君は実に嬉しそうだった。ランガ君は結構乗り気なのか、あるいは好意に鈍感で天然か。いずれにしても面白い展開になってきた。

「ランガ君は僕の薔薇を受け取った。つまり、これは脈があると考えていいかな?」
「その状況を見てないからわからないけど、嬉しそうだったなら脈はあるんじゃないかな。」

 希望に満ちた口調に微笑ましい気持ちになる。神道君は思い込みが激しいタイプだと思う。相手を過度に美化し、想いを暴走させるような行動に出ないか、ちょっと心配になる。

「彼と上手くいくといいね。神道君が週刊誌やネットニュースで話題にならないことを、祈っておくよ。」
「ありがとう。上手くやるよ。」
 
 機内食で運ばれてきたグラスを掲げ、ふたりで乾杯する。中身は赤ぶどうのソフトドリンクだ。仕事があるからワインは飲めないのが残念だと思う。神道君との、空の旅はその後も楽しく続いた。羽田に着くのが惜しいと思うくらいに。



 東京都千代田区永田町にある国会議事堂。トップたる総理から大臣、各県から参集した議員たちが行き交う、日本最大の意思決定機関だ。
 神道君とはここでも席が隣同士だ。彼の答弁は党内でも一目置かれていて、前回に引き続き、環境委員会で代表者答弁を務めるほどだ。鮮やかな舌鋒というか、彼は弁舌爽やかに疑問に答え、場をきれいにまとめ上げてしまう。神道君が議員として非常に優秀なのは確かだ。答弁終了後、私は心からの賛辞の言葉を彼にかけた。

「素晴らしい答弁だったよ。あの追及の嵐にも関わらず、すべて丁寧に答えてまとめ上げるなんて。」
「ほとんどが想定内の質問だったからね。今回も一人、熱心に追及してくる先生がいたぐらいかな。」
「ああ、……例の先生ね。」

 例の先生というのは、他県を選挙区とする議員のことだ。ここでは不思議な風習があって、目上の議員には『先生』とつけて呼ぶ。その年配の議員は、何故かやたらと神道君や私に突っかかってくる。そんなことを考えながら、神道君と廊下を歩いていると、例の先生が向かいから歩いてきた。

「やあ、神道君。先ほどの委員会ではどうも。言葉巧みに、上手く追及をかわす手腕は健在のようだねぇ。」

 年配の議員は、悪徳政治家のテンプレートみたいな容姿をしている。上品なスーツを身にまとっているけれど野卑な口調と雰囲気で、けっこう台無しになっていると思う。彼こそ、先ほどの委員会で神道君にねちっこく追及してきた議員であり、嫌味な論調で場を乱していた張本人だ。正直、苦手な部類に入る。
 神道君は柔らかに微笑んで応対する。年上を立てる言葉を選び、穏やかな好青年の風情は崩さない。

「先生の鋭い追及には肝が冷えました。お手柔らかにお願いしたいものです。」
「ふむ、午後も頼むよ。昼食は女房役の名字議員とご一緒かね?」

 女房役という響きには、揶揄がたっぷり込められていた。全身をねっとりと這うような視線を不快に思っていると、神道君が一歩前に踏み出した。庇ってくれたのだろう。その優しい気遣いを受けとり、ロイヤルブルーの背中を眺めた。

「女房役とは、先生も面白いことを仰いますね。名字議員とは、同郷のよしみで親しくさせていただいているだけですよ。」
「そうかね?いつも隣にいて、仲睦まじいじゃないか。巷では噂になってるよ。君たちが議員以上の仲だとね。それに神道君は男前だし、女が放っておかんだろ。夜遊びもかなりしてるんじゃないかね?」

 値踏みするような視線と下世話な詮索に、思わず眉をひそめた。年配の議員は気にもとめないようで、嫌味をたっぷり込めて吐き捨てていく。

「君たちがスキャンダルにでもなって、離島議員が仲良く"離党"するなんて羽目にならないでくれよ?」

 この言葉には、さすがに我慢がならなかった。離島議員とは、沖縄を選挙区としている神道君と私を揶揄する言葉に他ならない。離島と党を離れる離党を掛けているのだろう。私は沸騰するような心地で、神道君の前に一歩出た。口からは思わず、強い言葉が迸った。

「お言葉ですが、先生。彼には真剣に交際を考えていらっしゃる方がいるんです。私なんて足元にも及ばない、それはもう素敵な方ですよ。」
「ほぉ?」
「神道議員は非常に優秀な方です。彼ほど地元愛が深く、有権者の意見に耳を傾け、真摯に政務をこなしている政治家は見たことがありません。私は構いませんが、彼を離島議員などと言って侮辱するのは、やめてください。」

 一息で言い切り、発言の撤回を要求した。しばらく話をしたけれど、その年配の議員は謝罪も発言の撤回もしなかった。結局、言葉を濁して去ってしまった。
 神道君は私をずっと見ていた。ガーネットを連想させる瞳に、興味深そうな色を宿しているように見えた。

「どうしたの?」
「いや、感情的になるなんて珍しいと思ってね。完全に敵に回したら面倒な相手だというのは、君もわかってるだろう?」
「それでも腹が立ったの。くだらない嫉妬とはいえ、神道君が悪く言われる筋合いはないでしょう?」

 神道君が侮辱されたことに、自分でも不思議なくらい腹が立っていた。こんな義憤のような感情があったのかと、自分でも驚くほどに。

「……優しいね。僕のためにそこまで怒ってくれるなんて、愛を感じたよ。ありがとう。」

 愛を感じた、なんてロマンチックな言い方が実に彼らしい。なんだか気恥ずかしくなって、早口で答えてしまう。

「ふふ、お礼なんていいよ。思ってることを言っただけなんだから。それより、例の先生を午後の答弁で完封してやりたくなってきた。……神道君、昼は一緒に食べに行かない?意見を聞きながら、作戦を立てたい。」

 我ながら、なんとも強引な誘い方だと思う。でも神道君はすぐに乗ってきてくれた。嬉しそうに息を弾ませて。

「もちろん。名字議員、君の頼みなら喜んで。」



 羽田行きの便、ファーストクラスの指定席。今日は隣の神道君の様子が、なんか変だ。
 いつもなら意気揚々とランガ君の話を機関銃の乱射のごとくするのに、全くしない。週刊誌を熱心に読み、やたらと上機嫌な様子だった。時折、私の方をなんだか嬉しそうに見てくる。謎すぎるので聞いてみることにした。

「神道君、ランガ君とはどうなったの?」
「ああ。実は彼は、そういう対象ではないことに気付いてね。エロスよりアガペーだった感じかな。」
「そう、なんだ?」

 要はランガ君に対して深い思い入れはあるけれど、恋愛としての対象ではなかったらしい。あれほど熱心だったのに、と不思議な気持ちになった。
 一方でこれで良かったのかもしれない、と思い始めていた。週刊誌やネットニュースで未成年との熱愛など書かれた日には、政治家生命に大打撃なのだから。
 神道君はなぜか、ずっと私を見つめている。心から楽しそうな様子で。

「真に愛する存在は別にいたと気付いたんだ。最初から変わらず、僕の隣にね。」
「……隣?」

 神道君は笑顔で頷いて『週刊文秋』という週刊誌を広げてみせた。週刊文秋とは、著名人の様々なスキャンダルを一早くセンセーショナルに書き立てる。その手腕は確かで、各著名人からセンテンスオータムや文秋砲と言われて一躍有名になった雑誌だ。
 文秋には信じがたいことが、たくさん書かれていた。

「『人気の若手政治家、神道議員の熱愛発覚。お相手は同郷の美人議員』……『羽田行きのファーストクラスに仲睦まじく搭乗し、熱々のフライト』『結婚は秒読みか』?」

 週刊誌の一面には私と神道君が飛行機に搭乗する写真が載っており、恋人に見えそうな感じで撮られていた。まさかの事態だった。自分が神道君と熱愛だと報道されるなんて。

「どうやら例の先生が、週刊誌にタレコミをしたようでね。ネットニュースにも載っているよ。」
「……神道君、なんか楽しそうだね?」
「楽しいよ。名字さんと噂になるのはね。……議事堂の廊下でのあの時の言葉が、僕の胸に響いたよ。君こそが僕の愛する人だ。」

 蕩けるような熱を帯びたまなざし、恋の絶頂のまま告げられる想い。それがすべて自分に向けられるなんて、なんてことだろう。

「僕はこの週刊誌に書いてあることを、すべて事実にしたくてね。君はどうかな?」

 伺うようでいて、答えが決まりきったことを言う。まるで国会の答弁と同じだ。神道君はそう遠くない将来、真っ赤な薔薇の花束を持ってくるだろう。そんな確信に近い予感があった。花言葉に負けないくらいの、情熱的な愛を贈るために。



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