賭けの商品は愛しの君


 愛抱夢とスノーが決闘(ビーフ)をすることになった。"S"の創設者にして伝説のスケーター、無敗のチャンピオンたる愛抱夢が再び降臨すると話題になり、ギャラリーは過去最多の大盛況である。
 愛抱夢は顔の上身を隠したべネチアンマスクに、スペインの花形たる闘牛士(マタドール)を意識した、赤を基調とする衣装をまとっている。彼は闘牛の角をモチーフにした装飾が特徴的な、華美なスケートボードに乗って登場した。その雰囲気は圧倒的な存在感があった。
 名前は暦たちと一緒に来ていて、レース前のランガに声かけをした。

「ランガ、頑張ってね。暦も言ってたけど、無茶しないようにね。」

 応援と心配をしてくれる名前に、ランガは頬を緩ませた。

「名前、ありがとう。」

 険しい表情と張り詰めていた雰囲気が、和らぐ。ランガのどこか照れくさそうな様子は、誰が見ても名前に特別な情を抱いていると丸わかりだった。
 その甘やかな雰囲気にギャラリーは煽るように騒いだ。「彼女からの熱い応援」や「負けられないな」と。実際のところランガと名前は付き合っていないが、その歓声にお互いに恥ずかしそうに視線をさまよわせた。
 愛抱夢はそんなメロドラマを静観していたが、やがてボードに乗ったまま名前へと近づいていった。

「賭けの商品は君にしよう。」
「え?」
「僕が勝ったら君を貰う。その方がランガ君も気合いが入るだろう?」

 『 "S"で決闘(ビーフ)をするスケーターは、必ず何かを賭けなくてはならない 』というのが絶対的なルールである。賭けの商品として、愛抱夢は名前を指定してきた。
 彼はボードに乗ったまま、名前の周囲をゆっくりと回っている。もし視線に生物という概念があるなら、愛抱夢のそれは軟体生物を至る所にゆっくり這わせているようなものだった。ねっとりと仔細に観察し、背後から興奮したような吐息で名前を炙った。

「名前さん、といったかな?いい、……いいね。君はまるで新雪のようだ。可憐で、まだ誰にも踏み荒らされていないのが伝わってくるよ。」
「あ、あの……っ、」

 愛抱夢からとっさに離れようとして、名前の足はもつれてしまう。転びそうになったが腰と手を引き寄せられ、まるでスペイン舞踏のワンシーンのようになってしまった。

「おっと、大丈夫かな?」
「は、はい……、」

 大人の男が醸す妖艶な色気というものを、至近でたっぷりと匂わされ、名前は一気に羞恥してしまう。その初々しい反応に、愛抱夢は唇の弧をさらにつり上げた。
 まるで見せつけるようなラブシーンに、ランガのアイスグリーンの瞳は氷点下のように凍えていった。奪い返すように名前の腕を引き寄せ、片手で抱えて堂々と宣言する。

「わかった。俺が勝ったら、名前は俺が貰う。」
「ちょっと……、ランガ!?」

 ギャラリーから再び歓声が上がった。名前は瞬く間に賭けの商品に仕立て上げられ、大いに動揺していた。ランガの腕の中で目を瞬かせる愛らしい少女と、本気になった期待のルーキー。目論見以上の構図に、愛抱夢は恍惚と喜びをしめした。

「契約成立だね。彼女をこの手で愛でるのが楽しみだよ。」
「そんなことはさせない。」
「あの、勝手に賭けの商品にしないでください!せめて、なにか別のものにしてください。」

 名前が抗議すると、愛抱夢は顎に指先を当てて再検討の表情となる。

「では、一日デートできる権利にしよう。勝った方が一日、彼女と好きに過ごせる。どうかな?」
「それでいい。やろう。」
「待って?さっきとあまり変わってない気がするんですが!?」

 名前を挟み、火花が衝突する幻視さえ見えてくるようである。やがて彼女の制止の声も虚しく、レースは開幕した。
 愛抱夢はスタートのコールが響いても、動こうとはしなかった。一服すべく、気密性の高いシガーケースから煙草を取り出して唇に咥える。これは彼なりのハンデであり、対戦者より遅くスタートしても必ず追いつくという、絶対的な自信があるからである。

「おい……あのルーキー、何考えてるんだ?」
「スタートしないぞ、」

 ギャラリーから疑問が噴出し、愛抱夢は隣を見た。ランガはスタートしていなかった。凛然と立ち、横目で愛抱夢を見据えていた。

「……失礼したね、スノー。」

 咥えていた煙草を唇から外し、愛抱夢は微笑んだ。スケーターとしてのプライド、そして愛する女を賭けた勝負。対等なスタートを求める意志が、ランガのアイスグリーンの瞳に静かに宿っていたからだ。

「さあ、始めようか。」

 リスタートのコールがかかる。名前を賭けた、一世一代の勝負が始まろうとしていた。



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