執着の血脈


※忠の家族について、捏造要素があります。




 その女は花を愛していた。華奢な指先で花弁や茎に触れ、柔らかさを慈しんでいた。
 丁寧に手入れされた清廉な庭で、健やかに咲く草花たち。ここは女の作った、ささやかな花園だった。幼い忠はその女を眺めていた。自分とよく似た面差しの、端麗な花のような女を。

「忠、綺麗でしょう。この庭では藤の花が一番綺麗なのよ」

 淑やかに咲く薄紫の花を、忠は眺めた。いや、母という女に見させられた。  
 白と薄紫の衣を着た花が群れを成し、頭を垂れたように咲いている。微風に揺れ、朝露に濡れておぼろげな光を反射させている様は、まるで花自体が生々しく息づいているかのようだった。花の先には蛇草色の蔓が絡みついていて、その繊細な威容に彩りを添えている。

「藤の木の蔓はね、一度絡みついたら決して離れないの」
「どうして?」
「自分にとって、必要なものが離れないようにするため。愛しいひとをずっと離さないようにするのと、同じことなのよ」

 その女は既に精神に変調をきたしていた。愛する庭師の夫が他界してから緩やかに、少しづつ狂っていった。まるで季節はとうに過ぎたのに盛り咲く、狂い咲きの花のように。
 彼女は屈み、我が子の両肩に手を添えた。その仕草はまるで花が根を張るようだと、忠は幼いながらに感じた。

「私のかわいい忠。あなたはね、いつか私に似た女の子に惚れるの。そしてこの庭にその子を連れてくる」

 それは我が子への朗らかな予言であるはずなのに、優しい不吉さを含んでいる。忠には少なくとも、そう聞こえた。母の声は耳を塞ぎたいと手を当てても、その隙間から聞かせるような蠱惑さがあった。

「お前はその子を独り占めして、種を植えつけたくて、たまらなくなるの。だから教えてあげる。この藤の花はね、『決して離れない』が花言葉なのよ」

 一陣の風が柔らかに花々を散らす。美しい呪詛を耳元で吹き込まれ、忠は暫し立ち尽くした。

「母さん、」

 それは優美で絢爛な悪夢のようだ。
 母は綺麗に微笑んでいる。傍らに咲く花々が頷くように揺れた。忠にとって母はまるで藤の花そのものだ。脳裏に深く絡みつき、決して離れてくれない。



 忠は名前に初めて会った時、狂おしいほどの情感を覚え、胸を締めつけられた。
 華奢な指先が母に似ていた。花を愛でるのに相応しい繊細さが目を惹いた。名前こそが自分の求めていた片割れだと、胸の奥が静かに猛った。やがて忠は交流を続けるうちに不埒な欲を抱いていった。
 邪魔な男たちをすべて剪定し、独り占めしたい。種を植えつけてしまいたい。
 己には母の血が脈々と流れている。忠はそんな血の因果を感じながらも、名前を誘った。

「名前。今度、私の母の実家に来てくれないか」

 名前をあの庭に連れて行きたい。忠の中でそんな願望が膨れ上がる。そうしてあの過日の予言を再現しようとしていた。
 母に会わせたい、という言葉は喉奥で優しく踏み躙った。淑やかな寡婦のような薄紫の花弁。懐かしいそれを彼は名前に見せたくてたまらなかった。
 忠は静かに微笑んだ。藤の木の蔓と同じ色をした瞳で。

「藤の花が綺麗なんだ」



 菊池家の庭には、藤の花が淑やかな寡婦のように咲いている。薄紫の花弁が瑞々しく、たおやかに垂れていた。柔らかで長い花房の下には忠がいた。その秀でた眉目には、静かな情緒を佇ませている。
 忠は藤の花がよく似合った。この花は古くより慎ましやかな女性を形容する花だといわれている。しかし控えめな儚さが漂う藤は、彼のために誂えたようだった。

「藤の花が綺麗だね」
「そうだな。この花を見ると、母を思い出す」

 憂いを帯びていた表情が、懐かしむように和らぐ。忠は花弁を手に攫い、名前の髪へと藤の花を戯れのように飾った。

「母が言っていた。藤の木の蔓は絡みついたら頑なに離れないと」
「忠さんの、お母さん?」
「ああ」

 忠の母。一度も会ったことはないのに、たおやかな藤のように端麗だと名前は予感した。憂い顔が白く美しい。そんな生き写しのような母子の面差しが、鮮やかに脳裏に思い描けたからだ。

「一度でも絡みついたら頑なに離れない。だから藤の花は『決して離れない』が花言葉だと言っていた」

 忠が花を飾った真意は、名前の想像以上に根深かった。濃密な藤の匂いが思考を侵蝕していく。名前は目を逸らすことも、声を紡ぐことも出来なかった。まるで繁茂する蔓に次々と這われ、絡みつかれてしまったかのように。
 庭師の血筋である男のそれは、花弁を愛でる仕草によく似ていた。優しく触れ、何もかも美しく剪定するように囁く。

「名前、この花を受け取ってくれないか」



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