私は怪談作家として出させていただいたある本に、前世の記憶の話を書いた。これは作中では触れていないが、私の実体験になる。
 輪廻転生、前世と呼ばれるものは確実に存在する。本日の夜中にその時の夢を見て飛び起きたので、ここに書いておこうと思う。



 私には前世の記憶がある。特に死んだ時の記憶が根強くある。前世での死因は刃物による刺殺。首をナイフで切られ、即死だった。犯人は当時付き合っていた恋人でいつも涼しげな顔をした、大人しい男だ。輪郭が美しい、繊細な手指が好きだったことも覚えている。
 あいつ。あの男は涼しげな顔のまま、私の喉を本のページでもめくるかのように開いた。切り裂いた。皮膚に刃が差し込まれ、深々と切れる生々しい感触をよく覚えている。私はあっさり死んだ。
 その時の出来事が原因なのか、私は刃物全般が苦手だ。特にカッターや包丁は見ただけでなんだか背筋が凍るような嫌な思いをする。だから料理を作る時は、最初から部材がカットされた食材を使っていた。
 前世の記憶については、特に幼少の頃にかなり悩まされた。大人になった今はだいぶ記憶が薄れてきたものの、未だに明け方の夢に見る。まるで忘れるなと言わんばかりに。



 出生の頃から順を追って話をしようと思う。私は死後にすぐ生まれ変わり、同じ市内に住む若い夫婦の子どもとして生まれた。両親は各地に土地を多数持っている資産家一族の出身であり、不動産収入だけで充分に食べていけるくらい裕福だった。私は両親が大好きだったし、共働きで二人がいない時は家にいるお手伝いさんが代わりに遊んでくれた。
 6歳か7歳になる頃だったと思う。父が今度水道工事をしてもらうにあたり、水道の給水台帳を取りにいくということで連れていってもらった記憶がある。区役所は広くて清潔で、窓口は三つほどあったのも覚えている。
 父が給水台帳の交付をすべく、窓口に向かう。するとその時に対応した職員に私は戦慄した。
 その職員は前世で恋人だった男だ。涼しげな顔と繊細な手指は、人を殺めても何ひとつ変わっていなかった。役所にいて刑務所に入っていないということは、前世の私が殺されたことは世間に明るみにはされていない。死体や具体的な事件性がなければ警察は動かない。この男は恋人を何らかの方法で世間から完全に消し、いわゆる完全犯罪を成し遂げていた。
 私は心から怯えて、父の背中にとっさに隠れた。スーツを握りしめて顔を背中に押しつけていると、父は不思議そうな声を上げた。

「どうしたんだ。……いや、すみません。普段は人懐っこい子なんですが」
「いえ、大丈夫ですよ。可愛らしいお嬢さんですね」

 愛想に満ちた優しい声だった。私はその声を聞いた途端に泣き出した。とにかく父に縋って、帰りたい旨を泣き喚きながら伝えた。
 その後のことはよく覚えていない。ただその時の怖がり方や泣き方はかなり異様だったようで、父は私が大人になった今もそのことについてたまに触れる。

「あの時の怯え方というか、泣き方は尋常じゃなかった」

 前世で恋人だった男は、おそらく今も区役所で働いている。涼しげな顔で窓口に立ち、人を殺めても変わらない繊細な指先で台帳を出力している。犯した罪は白日の元に晒されることなく、冴え冴えとして美しいまま歳を取っているのだろう。
 結局、あの男が私の喉を切り裂いた動機は未だにわからない。恋人としての仲は良好で、喧嘩など一度もしたことがなかった。もしかしたら私自身がそう思っているだけで、あの男にとっては命を奪いたいほど私が憎らしかったのだろうか。
 それとも愛も憎しみも何もなく、ただ喉を切り裂きたかっただけなのか。涼しげな顔をしながら書類に判子を押すような感覚で。

 私は供養と一種の復讐のためにこの話を本にした。奇妙な表現だが、前世の想念みたいなものに取り憑かれたままの状況だ。この想念を祓い、悪夢を二度と見なくなる方法を私は未だに知らない。

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