図書委員長:薙沢律の場合−4




「わりぃ、助かる」


弓弦はガタッ、と音を立てて椅子から立ち上がった。


「前からのことでしょ。気にしないで」


立ち上がったことでほとんど同じ高さになった目線。満田の王道的な綺麗な顔が先ほどよりも物理的に近くなる。
彼の温和な瞳が細まって、ふわりとした印象を与える笑みが向けられた。


「そうだったな、」


前から、というワードに弓弦は少しだけ困った風な顔をして自嘲的に笑った。



***



あの日昔の夢を見たせいか、最近幼少の頃のことを考える時間が相対的に増えた。
ああ、そういえばあの出来事はいつ頃のことだっただろうか、と今日も思考が過去へと飛ぶ。あれは、悪戯から始まった遊びが半分本気になってお互いむきになってやってやり返してを繰り返し、最終的に担任にこっぴどく怒られた日のこと。


『弓弦! お前もこっち来いって』


最初のきっかけは、当然いつもの如く彼の突発的なアイディアからだった。
あの日班目が、いつものふざけ調子で足場の悪い池周辺の石の上でケンケンパなんてしやがり始めたのだ。


『阿呆! 良いから戻って来いって』


どうも何かやらかしそうな雰囲気がむんむんと立ち込めていて、やめるように声を掛ける。しかし、お調子者の奴が聞くはずもなく「平気平気」と笑いながらその場でターンをして見せた。


『ほらな、って、うわっ』


得意満面な笑みのあと、すぐに崩れた表情。
案の定、調子に乗り過ぎてつるっと足を滑らせた。
そのすぐ後にバッシャァアアンと周囲に盛大な音と水しぶきを上げて池の中へと落ちる。


『ぁあああ、だから言ったじゃん!! 弘毅の馬鹿っ!』


この後も授業あるのに制服濡らしてどうすんだ、なんて言ったかもしれない。そこはちょっと曖昧だ。


『ぃてててっ』


池の中で尻餅をつき、びしょ濡れになった奴は呑気にそんなことを言った。いや、呑気ではなかったかもしれないが、きっと反省はしていなかったと思う。失敗くらいに思っていたに違いない。だって、班目だ。


『ほら手掴め、って、うわぁっ!!』


仕方なく奴を池から救出すべく伸ばした腕。班目も素直に手を伸ばして俺の腕を掴んだ。そこで引き上げようとした方向と真反対へ腕を引かれて、簡単に池の中へと落ちる。
バシャンっ!! とこちらも盛大な音を立てた。
水の冷たさが全身を襲って、服が水に侵食されるというなんとも言えぬ違和感が生じる。


『っ〜〜、おっまえ!』


びしょ濡れになった全身を見下ろしたあと、弓弦はケラケラと楽しげに笑っている男を睨みつけた。


『あっ、はははは、びしょ濡れっ』


しかし、そんなことも意に介さず奴は腹を抱えて大爆笑。涙まで浮かべていた。


『そういう弘毅だって同じだろっ、』


プルプルと怒りに拳を震わせて、「この野郎」と仕返しに池の中の水を引っ掻ける。


『うっわ、やったな。てめぇ』


それが合図で、お互いが全身本当のびしょ濡れになるまで掛け合ったというくだらない思い出。結局昼休み過ぎてもそんなことをしていたから担任が探しに来て、見つかった瞬間職員室行きが決定した。


「ぁ〜、…くっだらねぇ」


思わず弓弦は思った感想を呟いた。
今思えば、本当に毎日くだらないことしかしていなかったように思う。
特に悩むこともなく、ただただ繰り返される毎日をその日その日で駆け遊んで疲れて寝る。幸せだと振り返ることはなかったが、今ならきっとあの時が一番幸せだったのだろうと振り返れてしまう気がした。


「おいおい、溜め息なんて吐いてどうしたんだよ」


美化が管轄するガーデンに隣接された軽食が可能な飲食店(所謂カフェ)で一人紅茶を飲んでいたら、勝手に目の前の席に座った男が声を発した。


「俺は許可してないんだけどな」


自然と眉間に皺を寄せて弓弦はその相手を睨んだ。


「お堅いねえ〜」


しかし特に気にした様子を見せない相手にひらりと手を振られ、軽くあしらわれて終わる。


「で、何かお悩み事ですか? よろしければ会長様のお悩みを解決して差し上げますよ?」


勿体ぶった似合わない台詞に、弓弦の眉間の皺はさらに濃く刻まれた。それからふいっと視線を逸らしてぶっきらぼうに「お前に関係ないだろ」と呟く。現在、弓弦の頭を悩ませている元凶と言える男に解決してもらうことなど在る筈もない。


「お前に関係ない、ね」

「ん、だよ」


先ほどまでの考え事が引き摺って、少しばかり声に動揺が表れた。


「お前、あいつとヨリでも戻した? 最近やたらと満田といやがって、嫌味な奴だよな」


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