006




トンファーを構えた雲雀さんがじりっ とこちらに近付いてくる。私は恐怖で足が地面に縫い付けられたように動かない。逃げなきゃって分かってるのに。

というか、今まで私が一方的に危険人物に認定していただけで、ほとんど関わってなかったのに。なんで校則違反をした時に遭遇してしまったのだろう。もう運がないとしか言いようがない。

「きょ、今日はたまたま遅くなっただけで……」

人生最大の恐怖を前に、珍しく頭が回った。友達の家のお手伝いをしていましたと言ったら山本まで巻き込むと判断し、口に出さずに済んだのだ。私は女だから手加減してもらえるかもしれないけど、男の山本は私の比じゃないだろう。しかも、友達の家のお手伝いなんて、「群れ」ていると言われてしまう可能性がある。聞いた話、雲雀さんの目の前で群れたら問答無用で病院送りだ。それだけはなんとしても避けたかった。

「そう。たまたま」
「はい、たまたま……」

たまたまなのは確かだ。たまたま山本と帰って、たまたま山本ん家が混んでて、たまたま手伝っただけ。偶然が重なり続けただけなのだ。
しかし、そんな言い訳が通じる相手でもないだろう。冷や汗が額を伝う。

「じゃあ、病院送りはやめてあげようか」
「え、あ、はい」

雲雀さんは微笑を湛えながら言う。意外と融通の効く人なのかもしれない。よかった…。

なんて安心も束の間。
ほっと息を吐いた瞬間、顎に衝撃。脳が揺れる。視界もぐらつき、身体が後ろに倒れていく。

「一発で許してあげる」

遠退く意識の中、雲雀さんの落ち着いた声だけが、やけにはっきりと聞こえてきた。



「い…………た……」

打たれた顎より、頭の方が痛い。私はゆっくりと身体を起こす。
ここはどこだろうと見渡せば、なんの面白味もない私の部屋だ。私どうやって帰ってきたんだっけ。顎には湿布が貼られている。

部屋にかけられた時計は9時を指していた。お母さんはどこだろう、と部屋を出る。多分一階のリビングにいるだろうけれど。

「お母さん……?」

リビングに足を踏み入れ、いつもお母さんが座っているソファに近付くと彼女はそこに寝転がりテレビを見ていた。

「あら胡桃子、起きたの?」
「うん」
「そう。貴方、道に倒れていたんですってね」
「え?」
「雲雀くんが言っていたわ」
「…!!」

お母さんが雲雀さんの名前を……じゃあ、私を家に運んでくれたのは雲雀さん? というか、嘘ばっかり!私を倒したのは雲雀さんなのに!

でも、なんで雲雀さんは校則を破った私をわざわざ家に運んでくださったのか。もしかして私、運んでくださったことに関してお礼をしなくてはいけないのだろうか。倒したの、雲雀さんなのに…!

「そっか」

でも、お母さんに説明するわけにもいかない。校則違反をしたらトンファーで咬み殺されましたなんて、そもそも信じてくれないだろう。冗談だと笑い飛ばされる気がする。

「それよりも、早くご飯食べちゃいなさい」
「あ、はーい」

見るとダイニングテーブルには私の夕食が並んでいた。お腹はすごく空いていたし、大人しく手を洗い席につく。

とりあえず、今度雲雀さんに会う機会があったらその時にお礼を言ってみよう。一応、ね。礼儀だし。校則を破ったこと自体は私が悪いし。
なによりも、雲雀さんに運んだことの礼もしないなんてことは、怖くてできないというか。これ以上咬み殺されたくないというか。目をつけられたくないからというか。

安全な学校生活を送りたいからである。