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階段を転がるように駆け降りて、玄関にたどり着いたとき、徐々に状況が掴めてきた。

私は間違っていない。
でも、他のみんなの反応を見ると、私がおかしいのではないかと思ってしまう。

違う。違う。
おかしくない。私は全然、間違っていない。

信じていたものに、裏切られた気分だ。

信じていたもの……ってなに? ツナのこと?
私にとってツナってなんなのだろう。
友達でも仲間でもない。
そうだ、そのはずだ。

私にとってツナは、ただのクラスメイトで、日常のスパイス。
ソレだけのはずなのに、どうしてこんなに苦しい。

関わってしまったから、彼がどんな人かを知ってしまったから。
きっと、もう他人面はできない。

「あなたは……」

沢田家の玄関に立って、思考とは呼べないような思いを巡らせていたとき、背中に声がかかった。美しい声だ。耳に心地いい、そんな声。

そっと振り向くと、そこに立っていたのは美しく長い髪を持った女性だった。
獄寺くんのお姉さん、ビアンキさん。特徴的な名前だったからよく覚えている。

「浜内 胡桃子ね。どうしたの、こんなところで」

彼女は半開きにしていたリビングの扉の隙間からこちらを覗いていた。物音か何かに反応して見に来たのだろう。
ビアンキさんこそどうしてここに と自分でも分かるほど弱々しく問いかけると、彼女は微笑を浮かべて「私もツナの住み込み家庭教師なの」と答えてくれた。こんな綺麗な人と暮らせるなんて、羨ましい。

「泣いているの?」

彼女は私に歩み寄ると、目の前に立つ。そしてしっかりと私を正面から見据えてきた。
視界が歪む。本当だ、私、泣いてる。

「なぜ泣いているかは分からないけれど、辛いなら泣いてしまいなさい」

それが、トリガーだった。

次々と涙が溢れてくる。
頬を濡らし、顎を伝い、床に落ちる。
声は漏らさないようにしっかりと口を押さえ、でも指の間から獣のうめき声のような泣き声が溢れた。
醜いって分かってる。それでも涙は止まらなくて、どうしようもない。

ビアンキさんは何も言わなかった。
私も、優しい言葉なんていらなかったんだと思う。そんなものじゃなくて、私が欲しかったのは、ただ泣いてもいいという空間。ビアンキさんがそれを作ってくれた。泣かせてくれた。

「ツナ、が……ツナが、人を、殺し、わた、し…っ」
「そう………あなたは何も聞いていないのね」

そっと私を撫でるビアンキさんの掌はとても暖かい。でも、彼女が言ったその言葉は逃せなかった。

「きいて、ないって……?」
「そうね。いいことを教えてあげる」

ビアンキさんは不思議な笑みを浮かべた。
微笑んでいるようにも、誰かを嘲っているようにも、余裕だと自信満々にしているようにもとれる笑み。涙が、ゆっくりと止まっていく。

「ツナは誰も殺しちゃいないわ」
「え……?でも、確かに…死体が!!」
「彼は殺され屋と言ってね」
「ころ、され、や?」

そうよ とビアンキさんは説明を始めてくれた。

あの死体(?)の彼はモレッティさんといって、ボンゴレファミリーの一員。
もちろんマフィアである彼の得意技が、さっきの状態だと言う。

<殺され屋・モレッティ>

自分の意思で心臓を止めて仮死状態になることができるらしい。
彼は新しくボンゴレのボスになるツナに、自分の技を見てもらいたいがため、殺された振りをしているそうだ。

にわかに信じがたい話。そのはずなのに、私は納得しようと必死だった。

ツナは人を殺していない。
その事実の証明を手にいれるために必死なんだ。それさえ認識できれば、後は二の次でいい。

全てを理解した私の口から漏れた言葉は「よかった」だった。

ツナが人殺しじゃなくてよかった、つまりそういうことだろう。
安心している。ツナが私の知っているツナであったことを知って、安心している。
気弱で、軟弱で、でも死ぬ気になったらすごいツナ。きっと、私が抱いているツナ像は間違っていないんだ。

もう一度 よかった と、ため息を吐いた時、二階から爆発音が聞こえた。

「うわぁあっ!」

我ながら可愛くない叫び声を上げると、ビアンキさんは「隼人のダイナマイトね」と呟く。なぜ部屋の中でダイナマイトを爆発させたんだ。

私がビアンキさんに 見てきます と告げると、彼女は頼むわ と残しリビングに戻っていった。

階段を上る足は重くない。
むしろ軽いぐらいだ。
単純な性格だと思う。
だけど、この階段の先にいるのは、よく知ったツナだと思えば怖くない。

疑ったこと、謝らなくちゃ。
そして、これからはもう少し、ツナに近寄ってみよう。

他人じゃ、ないのだから。