036




案の定、山本は100m走で一位をとった。
A組から黄色い歓声が上がる。私も例外じゃない。
まさか、陸上部のホープに勝ってしまうなんて驚きだ。

組に帰ってきた山本は途端に囲まれた。余りにも大きすぎる人垣に近付くことが出来ない。

私は仕方なしに後ろの方に戻る。そして、次の競技はなんだっけと手提げに入っている体育祭のプログラムを取り出した。
それと同時に携帯も出てきた。
つけていたストラップがプログラムに引っ掛かっていたのだろう。

「あれ?」

よく見ると着信を告げるライトが光っている。雲雀さんとのやり取りは終わったハズなんだけど……。
プログラムを確認するという当初の目的はそっちのけで携帯を開く。不在着信の履歴があった。
こんな時に電話なんて……そう思いながらも相手を確認する。
それは意外な人だった。

「ベル!?」

私は電話を片手に組から抜け出す。周りに人がいなかったから声をかけられることはなかった。
先生や実行委員の目を掻い潜り、校舎裏へ。ここなら人は来ないだろう。

ふっ と息を吐き、落ち着いてから再度確認。間違いない、ベルだ。
着信時間はわずか五分前。山本の一位により、盛り上がってて気付かなかったのだろう。
どうしよう。かけ直してみようか。それとも一回メールしてみる?

電話するならお互いに準備できた時がいいだろうから、とりあえずメールだよね。
そう狙いをつけ、メール作成画面を開こうとした時、携帯が震えた。

「わ、わわ!」

取り落としそうになる携帯をなんとか掴み、反射的に応答を押して耳に当てた。ちゃんと確認してないけど、ベル……だと思う。

「もしもし……?」
『あ、やっと出たし〜うししし』

ベルだ。
この声、笑い方、全部がベル。

「ベル、電話なんて珍しいね」
『そ?ま、いつもメールだしね。時差気にして電話出来ねーからさ』

ベルとはイタリアから帰ってきても毎日と言ってもいいほどメールをしている。ただ、時差の問題でベルからのメールに起きてから気付くことがあって、そんな多くのメールを交わせているわけではない。
それはスパナくんも同じだが、スパナくんの場合、そもそも彼から返信が来ることが稀なのであまり気にしない。日本の写真をメールで送っているだけなので、返信しろって方が酷だけと。
そして、なぜか彼らとメールをしていても通信料金がかからないのが謎だ。彼らに聞いたら二人とも口を揃えて「特別だから」と言っていた。意味は分からないけれど、気にしなくていいのなら大歓迎だからバンバンやり取りしている。

そう言えば時差。
今イタリアは何時なのだろう。
確か…日本が七時間進んでるはずだから…。

「………ッベ、ベル!もしかしてそっちって朝の4時じゃ…!!」
『ん?そーだけど?』
「そーだけどって…!!」
『気にすんなって、王子仕事帰りだから♪』

仕事帰り……ベルは楽し気に言っているけれど、こんな時間まで仕事なんて、ブラックだ…。

「大丈夫なの?」
『ししし♪胡桃子、心配性だよな。今日は夜勤みたいなもんだよ』

そもそもベルは私とそんなに年が離れている訳ではないだろうし、こんな時間に仕事があること自体が問題なはずなんだけど、彼があっけらかんと笑っていると気にしたって仕方ないことなんだと理解する。これ以上の追求はやめよう。時間の無駄使いだ。

「じゃあ、お仕事お疲れさま」
『しし、王子疲れてないけどね』
「うん、元気そう。それにしても、いきなり電話なんてどうしたの?」
『ん?あー…』

ベルはそれからだんまり口を閉じてしまった。微かな息遣いと、外にいるのだろう、風が木々を撫でるような音しか聞こえない。居心地の悪い沈黙に膝小僧を擦り合わせてしまう。私は校舎の壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。

『あんさ』
「え、あ、なに?」

長い沈黙の果てにベルはいつもの調子で喋り出した。驚いて返事がおかしくなってしまうが、彼は気にならないように言葉を続ける。

『声聞きてぇなーって時、ない?』
「え………いきなりどうしたの」
『いや、長いこと友人って呼べるやついなかったから……いや、今のなし』
「やだ。バッチリ聞いた」

意外だった。
ベルって友達たくさんいそうなのに。だから私ともこんな風に話してくれるんだと思っていたのに。

『忘れろ!』
「忘れない!ベルは人恋しいってことだね!」
『それは違ぇ!!』
「違くない!」
『生意気言ってっと切るぞてめぇ』
「ざんねーん。私は今日本でーす」
『明日にでも来日してやるよ、うししし♪』
「行動早い!」

さっきの沈黙が嘘だったかのように、次々に言葉が出る。
やり取りが途切れなくて、本当に楽しい。

山本といるのももちろん好きだけど、ベルはちょっと違う。
悪態と本音とでぶつかる。そんな、殴り合いの友人関係。私は好きだよ、痛め付けた傷を治し合う仲。
ベルと話すのが楽しくて楽しくて、グラウンドから歓声に似た声が聞こえてくるまで、私は電話を手放さなかった。