八月上旬。茹だるような暑さにソファに倒れ込んでいると、お母さんに叩き起こされた。
「胡桃子、ダラダラしてないで夏祭りでも行ってきなさいよ」
「えー……」
お母さんは私に浴衣を差し出してくる。正直夏祭りに行く気はない。
だって、一緒に行こうとしていた山本が補修の宿題で夏祭りに行けなくなってしまったのだ。一人で回る夏祭りなんて、誰が進んでいくだろうか。去年もこんな感じで結局行かなかったし。
「やだよー」
「着付けてあげるから!」
お母さんはこの一年で着付け教室に通い、着付けをマスターしたらしく、その腕を振るいたくて仕方ないんだ。私は着せ替え人形かなにかなのかな?
結局私はお母さんに無理矢理浴衣を着せられ、メイクまでされ、夏祭りに送り出された。楽しんでいるのはお母さんの方だ。
仕方ないから焼きそばでも買って帰ろうと人込みに入っていく。
小さい頃に両親と来た記憶しかないが、こんなに賑わっていたっけ。懐かしすぎて覚えてないや。
「あああ!!!!すいません!は、払いますからぁ…!!」
祭り会場を見渡していた時に、風情が感じられない声が上がった。祭りには似合わない悲鳴に辺りがざわつく。嫌な予感しかしなかったため、私はそこから離れた。
なんだ、今の。
私が来てなかった数年間で何があったのだろうか。
周囲の人は「またか」と呟いていたから、毎年悲鳴が上がっているのだろう。
浴衣では余り速度は出ないが、確実に距離をとった。
無我夢中に歩いていたら、会場の奥の方に来てしまったようだ。ここらへんは射的や的当てなどの屋台が並んでいるみたい。
「あれ……?」
とりあえずどこか回ろうかと見渡した時、的当ての屋台の前に見知った背中を見た。
「山本……?」
もしかしてと思い声をかけると、その男性はくるりと振り向く。やはり山本だ。なんでここにいるの。祭りには来れないって言っていたくせに。
「……?」
山本は私を目にすると首を傾げる。傾げたいのは私の方だ。
「なんで山本祭りに来てるのよ。勉強あるんでしょ?」
「そうだけど……」
山本らしくない曖昧な返答。何かがおかしい。どうしたの?と問いかけると、彼は頭を掻いた。
「えっと……どちら様?」
「………は?」
嘘……でしょ?
いや、確かにメイクをして、いつも結んでない髪も団子にしている。浴衣だって着ているけれど、そんなに私だって分からないの?
山本だから分からないの? 彼が天然だから? もしかして、私そんなに変わってる?
「ちょ、山本。私、分からない?」
「んー?」
山本は顎に指を添えて首を傾げるが、答えはでないみたい。ここまで考えても分からないなんて……。
「私、浜内 胡桃子なんだけど…」
「え……!?浜内!?」
あからさまに飛び上がる山本に思わずため息が漏れてしまう。本当に分からなかったんだ。山本の天然も一筋縄ではいかない。
「本当だ!よく見ると浜内だな!綺麗すぎて分かんなかったぜ」
「なにそれ」
本当だって と山本は笑うが、はいはいと流す。お世辞だと分かっていても山本に綺麗って言われると照れてしまう。出来ればこの話はもうしたくない。下手したら会話困難に陥る。
「それにしても、山本はどうして祭りに?」
「ああ。勉強はあるんだけどさ、この的当てやんないと夏って感じしなくて…」
「ふーん」
私たちの成り行きを見守っていた屋台の大将が豪快に笑った。どうやら山本は毎年この屋台に来てるみたい。絶対に屋台泣かせだよ、こいつ。
「こんだけやったら帰るし、多目に見てくれよ」
な? と山本に頼まれてしまえば「仕方ないな」としか言いようがない。今さら毎年の楽しみを奪うことなんて出来ないし、折角会えたんだから許しましょう。
なんで私が許しているのかは分からないけれど。先生じゃないんだから。
山本は「サンキュ!」と笑い、大将にお金を渡している。ここまで来たんだ、結果も見ていこう。私は彼から少し離れたところで屋台を見つめる。
的当て用の球を握った山本はにこやかに構える。しかし、投げる瞬間の雰囲気は鋭いものがあった。
彼の豪速球はぶれることなく、的に当たる。分かっていたが流石山本だ。無意識の内に感嘆の言葉を溢し、手を打ってしまっていた。
彼はそれから残りの球も全て的に当て、たくさんの景品を渡されていた。中には毎年来てくれるお礼という名のおまけも込められていて、山本がどれだけ愛されているのかが分かった。
山本はたくさんの景品を抱え、にこやかに大将に別れを告げるとこちらに歩いてきた。
「んじゃ、俺帰るな」
「うん、勉強頑張れ」
「おう!…………あ、そうだ」
山本は景品を一度地面に置くと、その中から何かを取り出す。
それをこちらに渡してきた。
的当ての景品の一つ、クマのぬいぐるみだ。
私がそれを反射的に受けとると、彼はまた景品を抱え、歩き出してしまった。
「え、ちょ……!!」
人込みに紛れてしまいそうな彼の背中に声をかける。いきなり渡されたから反応できなかった。
「山本!ありがとう!大切にする!」
私の言葉に、山本はこちらに首を巡らせてにかっと笑ってくれた。
私は手にしたぬいぐるみを抱き締める。別に特にぬいぐるみが好きってことではないけれど、山本がくれたそれは特別な気がして、大切にしようと思った。