スガさん中編 | ナノ
私はそんなに足が早いわけではない。
早くないなりに精一杯走ったら、気が付けば家の玄関の前に立っていた。
確か今日は親がどちらも仕事で遅くなるはずだ。
だから、今の我が家は無人。私は玄関の扉を開けるために、家の鍵が入っているスカートのポケットに手を突っ込んだ。
「あれ?」
あるはずのそれがない。鍵がない。
私は慌てて鞄を漁る。
しかし見付からない。
そう言えば今朝は寝坊して焦ってたんだ。携帯がないことはお昼休みに気付いたんだけど、鍵が無いことは今の今まで知らなかった。
「はぁ……」
今日は散々。
私はどうすることも出来ず玄関の前にしゃがみこむ。行く宛なんてないし、携帯がないから連絡はとれないし。とりあえず、いつ帰ってくるか分からない親を待とう。
時刻は6時を回った。
私、何してるんだろう。
今が5月であることがせめてもの救い。気温的にはそんなに寒くはない。ただ、風が少し身体を冷やしてくるだけで。
携帯忘れて、鍵も忘れて。でも、スガの言葉だけは忘れられない。
スガには好きな人がいるらしい。
ショックだった。私はずっと、スガはストイックで女の子には興味がないものだと思っていたから安心していたのに。興味があると言われた後、更に好きな人がいることまで言われてしまった。
深く聞きすぎた私のバカ。
私はどんな答えを期待してたんだろう。そんなものが返ってこないことぐらい知ってたのに。
「スガ……」
失恋、ってことでいいんだよね。
私、初恋にてあえなく撃沈。
でも、当分忘れられそうにはない。思うぐらいなら許されると願いたい。
「ごめんなさいぃ……」
きっとあの時の私はひどい態度をとってしまっていた。スガに好きな人がいたからって一気に突き放して、驚かれただろう。スガは呆然としてたし。
明日会った時は、頑張って笑顔を作らなくちゃ。そうして、出来るだけ早く忘れよう。今は無理でも、いつか必ず前を向かなきゃ。それが私のためでもスガのためでもある。
「好き…」
そっと小さく呟いた声は、すんなりと闇に溶けた。何度も何度も好きを繰り返す。それと同時に涙が溢れてきた。ああ、私、本当にスガが大好きだったんだって再認識。今さら遅いけれど。
「うっく……ひっ…くぁ……うわぁああ……っ」
だから私は叫びそうになる声を抑えて泣いた。
泣くことしか出来なかった。
少女漫画のヒロイン諸君。いつも他人事のように貴方たちの失恋を見ていてごめんなさい。こんなに辛いなんて知らなかったから。今度からは一緒に泣くよ。好きな人を思って、私も泣くよ。
「茜…?」
どれくらい泣いてたのだろう。気付くと辺りは真っ暗だった。6時だった時はまだうっすら明るかったのに。
「茜だよな?」
「!?」
先ほどから私の名前を呼んでいる声の方を向けば、誰かがそこに立っているのが分かる。シルエットぐらいしか確認できないけれど。
恐る恐る「誰?」と聞けば、その人物はずんずんと近付いてきた。
「俺」
顔が認識出来るまで近付いてきた彼は短くそう言う。私はそれが誰かを理解し、名前を呼んだ。
「ノヤ先輩」
彼は、ノヤ先輩は満足そうに笑う。それから私の隣に座った。
学ランを着て鞄を持っていることから、なんとなく部活帰りかなーと予測する。私は彼に「お帰りなさい」と声をかけた。
彼の家はすぐ隣だ。だから、「お帰りなさい」なのだ。
「ただいま!で、茜は何してるんだ?」
無邪気に問いかけてくる鶏冠頭の先輩。喉で一度言葉が詰まるのを感じる。でも理由を聞くまで彼は退いてくれそうにない。私は仕方なく理由を話すことにした。
「実は今日の朝寝坊しまして、それで慌てて携帯と家の鍵を忘れて出てきちゃったんです。しかも、今日は親が遅いので路頭に…というより、家先で迷ってました」
「ドンマイ!」
ノヤ先輩は励ますように肩を叩いてくれる。少し痛いけれど。こんなことで笑うような人ではないから、私も安心して側にいられるのだ。
「まぁ、俺が聞いたのはそれだけじゃないんだけどなー」
ノヤ先輩はにかっと笑い、私の頬を指差した。そして、いつになく真剣な声音で。見たこともないくらい引き締めた顔で言うのだ。
「泣いてた理由」
「っ!!」
「俺には言えないか?」
本当にこの人は。どこまでかっこよくなれば気が済むのだろう。隠すつもりは無かったけれど、話すつもりも無かった。でも、聞かれたらもう逃げられない。
「……ノヤ先輩聞いてくれますか?」
いや、それ以上に、私が耐えきれなかった。
無理だ。吐き出してしまいたい。誰かに受け止めて欲しい。それがノヤ先輩でも大地でもいいから。どうか私を助けて。
「聞く。だから、とりあえず俺ん家来い。5月でもずっとこんなとこにいたら風邪ひくから」
ノヤ先輩は先に立ち上がり、私に手を差し出してくれる。私は小さく頷いて、彼の手をとった。
別にノヤ先輩の家に行くのは初めてじゃない。試験勉強は一緒にやるし(私がノヤ先輩に教えている)、夕飯を一緒にとったり、私の親が帰ってこない時は何度もお泊まりしたこともある。
それぐらい、私にとってノヤ先輩は心が開ける存在なのだ。大地にも負けないくらい。
「ありがとう、ノヤ先輩」
私の家の玄関から彼の家の玄関まではわずか数メートル。私はその間に彼に感謝を告げた。ノヤ先輩はこちらを振り向くと、「だってほっとけないしさ」と笑う。
「ただいま!」
「お邪魔します」
やっぱりノヤ先輩は頼りになるなーなんて考えながら、私は西谷家の敷居を跨いだ。
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