スガさん中編 | ナノ
揺らぐ視界の中、白い天井が目の前に広がる。ああ、消毒の匂い とどこか達観したように思考して、混濁する意識を正していく。
何があったんだっけ?
確か、一時間目は体育で。私のクラスはサッカーだった。でも私は、昨日から何も喉を通らなかったため、空腹で。更に、寝不足が重なり、ふらふらとしていた。
そこまでは思い出せるんだけど、続きはどうも出てこない。貧血かなんかで倒れてしまったのだろうか。
ゆっくりと首を巡らせると、色素の薄い髪がちらついた。なんだろうと目をこらすと、スガが氷嚢片手に寝ている。その目にはうっすらと隈がかかっていた。スガも睡眠不足なんだろうか。
こんなに近くでスガを見るのは久し振りだ。いや、久し振りではないか。避け始めたのは昨日なのだから。それなのに、久し振りだと錯覚するぐらい、スガが好きなんだ。改めて、そう理解した。
でも、スガには好きな人がいるんだ。彼が愛した人がいるんだ。私には、関係のないこと。それがどんな人だろうと、関係ない。関係を持ちたいと願ってはダメなんだ。
「スガ……」
私ね、スガが好きなんだよ。スガは知らないでしょう?いつも私がどれほどスガを見てたか なんて。私がどれほどその背中に「好き」をぶつけようとしたか なんて。知らないでしょう。知らなくていいんだよ。知らないままでいて。
だから……。
「スガぁ……」
今ぐらいは、言わせてよ。
「好き……」
起きてるスガには絶対に言わないから。
次々と「好き」が溢れてくる。苦味を帯びて。苦しくて、苦しくて、呼吸がうまくできない。でも、思いだけはこぼれて。こぼれ落ちて。言葉と化し、涙と化し、止めどなく溢れる。
滴は真っ白なシーツを濡らし、言葉はただ意味も無く、宛もなく漂う。
私は涙を拭こうと手を動かす。が、今さら、左手が温もりに包まれていることに気付いた。まさかと思って視線をやれば、確かに、私の左手は、その手に包まれている。
「っ…!!」
頬がぐちゃぐちゃに濡れた。スガの手だ。スガが私の手を握ってくれていた。嬉しいのに痛い。
やめてよ、スガ。私をこれ以上苦しめないで。好きにさせないで。もう、おかしくなりそうで怖いんだ。
なんでこんなに暖かいの?私がスガに恋をしているから? それとも、スガが私の無事を祈ってくれたから?
分からない。分からないよ。スガ。どうして。自惚れたくなんてないのに。
いや、いっそのこと自惚れてしまいたい。バカになってしまいたい。そしたらもう、苦しくなくなるのに。
夢を見て、希望を抱いて。そのまま生きていきたい。
「好き」
また一つずつ「好き」を重ねていく。涙は依然として流れるが、もう気にもならなかった。丁寧に、一つずつ。はっきりと、今までの思いを乗せて。全て、吐き出せばいい。
「好き、好き、好き……」
「………茜…?」
唐突に名前が呼ばれ、肩が揺れた。素早くそちらに首を向ければ、案の定スガの視線と交差する。しまった。聞かれてしまったか。というか、いつ起きたのだろう。
「ノヤが…?」
しかし、聞こえてきた声は、予想もしていなかった名前を紡いだ。
ノヤ……?
それが一瞬誰か分からなかったが、すぐに頼れるお隣さんの顔が浮かんで、ノヤ先輩のことだと理解する。ノヤ先輩がどうしたというのだろう。
「ノヤ、好きなんだろ?」
−−−−−え?
スガが何を言っているのかが分からない。その表情はニコニコと笑っているはずなのに、どこか無感情で怖かった。喉まで登った言葉が、口の中で弾けて消える。理解しようにも脳は空回り。
「大丈夫、俺はちゃんと分かってるから」
分かってないよ。スガは何も。だって、分かってたらそんなこと言わない。
きっと、スガの名前を呟いていたのは聞こえてなかったのだろう。よかった。いや、よくない。
私が「好き」だと言って、なぜノヤ先輩の名前が出るの? 今、ノヤ先輩の名前が出る要素あったっけ? 私が知る限りじゃ無いはずだ。
「茜、泣くなよ。俺が相談に乗るべ」
ニカッと笑うスガ。その笑顔、好きなはずなのに。今は全然ときめかない。鼓動が早まらない。
「スガ……」
「っ…!!」
ああ、こう彼を呼ぶのも久し振りに感じる。スガは驚いたように肩を揺らすが、またすぐに笑顔に戻った。
「ほら、大丈夫だから」
大丈夫じゃないよ。全然大丈夫じゃない。私はもう、無理だよ。ダメだよ。崩れてしまいそう。なんでそんなことを言うの? 私がいつ、ノヤ先輩が好きだって言ったの?
私はずっとずっと、二年も前からスガが好きなのに。初恋なのに。なのに………どうして…。
「スガのバカッ!!」
ぐらりと揺らぐ頭を押さえ、私はベッドから飛び出る。室内シューズを履く余裕なんて無くて、私は裸足のまま駆け出していた。
「茜っ」
それに咄嗟に反応したスガに左腕を掴まれるが、そんなに力は隠っていない。ただ、その表情は困惑に包まれていた。
「私が好きなのはスガなのにッ」
なんでこんな時だけすっと言えてしまえるのだろう。私の頭からは、迷惑をかけたくないとか、振られたくないとか、そんな偽善者のような感情は消え失せていて、ただ半ば言葉の暴力のように吐き出していた。「好き」という言葉を。
スガの両目は一気に見開かれ、その手から完全に力が抜ける。私は身体を捻り、廊下を駆け出す。
今はここを離れてしまいたかった。できるならもう、スガの前から消えてしまいたかった。
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