スガさん中編 | ナノ



「スガって無欲な感じがする」

好きな女の子にそう言われては、固まる他ない。

無欲ってどういうことなんだろう。
というか、ここは男子バレー部の部室なんだけど、なんで茜がいるんだろう。

「茜、ここは俺たちの部室で、俺は今からここで着替える予定なんだけど」

練習は既に始まっている。
扉越しにボールが跳ねる音や、シューズのゴムが擦れる音がしてきた。

今日俺は日直だったから、大地に断りをいれて少し遅い始動になっている。
なのに、茜がいるからちっとも着替えが進まないんだけど。

教室から体育館まで走っていた途中で彼女に声をかけられ、結局部室までついてこられた。
茜はマネージャーでもないし、況してや運動部ですらないし、なんでついてくる必要があったのか。

あまり強く言えないのは、つまりあれだ。惚れた弱み。

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

茜はまるでけろっと言ってのけた。目を逸らすどころか、むしろガン見しだす始末。

確かに物理的に何かが減るわけじゃない。でも、精神的にすり減っていく。

まず、この状況に俺しか意識してないという悲しき事実にダメージを食らった。せめて、もっとこう、おしとやかにとまでは言わないから、恥じらいぐらいは欲しかった。

でもまぁ、そうやって笑ってみせるところも好きだなーとか。もうどうしようもないところまで行ってしまっているのだろう。
俺の心臓がうるさいのなんか、茜は知らないだろうな。

「スガってほら、性欲とか独占欲とか無さそう」
「ぶっ!!」

出ていってもらうのは諦めて、さっさと着替えようとしていた俺に降りかかる言葉の槍。

そっと茜を窺うと、平然とした面持ちでこちらを見ている。
お願いだから、それを言われた俺の気持ちを考えて。少しで構わないからさ。

「なんか、ストイック?」

そんな俺の思いとは裏腹に、茜は言葉を続けていく。これはまた爆弾発言をされるかも。

「ストイック。うん、そんなイメージがあるの。私、スガに。あんま女の子に興味無さそう」

好きな子にそんなことを言われたら否定するしかない。
俺が静かに「興味ぐらいあるよ」と返せば、茜は驚いたように眉毛を持ち上げた。

「うっそ。エロ本とか読んだことある?」
「それぐらい……」

そこまで言ってはっとした。
俺はいったい何を口走ろうと。
いや既に口走ってはいるけれど。
そもそも変なことを聞いてきた茜が……じゃなくて、俺にそういう……い、いかがわしい物を渡してきたクラスメイトが悪い…!!

……それを読んだのは俺なんだけど…。確かに読んだけど!俺の責任だけど…!!

落ち着かない心理のまま茜を見やると、今度は両目を見開いて固まっている。

「え………意外」

茜はどこか感情の読み取れない声で、「大地の言ってたことは本当だったんだ」と続けた。

大地と茜は幼馴染みだ。
だから茜は俺達がまだ一年だった頃からよく烏野に遊びに来ていた。知り合ったのも烏野に茜が遊びに来た時である。
それからは時々二人で遊んだり、勉強を教えてあげるような仲になった。…その過程で茜を好きになったわけだけど。
先輩である俺を「スガ」なんて呼び捨てにする後輩は茜ぐらいしかいない。

「いきなりなんだよ、茜……」
「いや、あのさ、この前大地の部屋でエロ本とやらを見付けてさ。問い詰めたら『これぐらいスガも読んでる』って。それで気になったもんで」

口を滑らせた大地に対する怒りよりも、俺の内に秘められた汚い思いが勝る。

大地の……部屋。つまり、それは、茜が大地の部屋に入ったってことだよな?

ああ、もう。俺って本当に汚いな。こんなことでドロドロとさ。二人は幼馴染みなんだから部屋に入ることなんて多々あるだろう。

これがきっと、茜が俺に「無さそう」だと言った独占欲なんだ。俺は彼女が言うようなストイックな奴になんてなれない。

嫉妬だってする。
人並みに性欲もある。
妄想もする。
茜に触れたいとも思う。
どこもストイックなんかじゃあないよ。

「スガ?」

茜の声に意識が引き戻された。「大丈夫?」と首を傾げる彼女に頷いて見せれば、「そっか」と笑顔を見せてくれた。

「じゃあさ、じゃあさ」

茜は少し身を乗り出すと、俺の瞳を真っ直ぐに見据えて言う。

「スガは好きな子とかいるの?」

唐突なその質問に、俺は言葉を失い閉口してしまった。

もしかして、今がチャンスなんじゃないか? 告るにはいいタイミングだ。
俺の脳がそう主張してくる。俺は深く息を吸い、ゆるりと唇を動かした。

「好きな子なら、いるよ」

茜が好きだ。

ただそれだけのことが言えなくなった。
もう喉が一音も発してくれない。
目の前で悲し気に揺れる瞳を見ると、言ってはいけないことを言ってしまったんだと悟る。

口が、動かない。手も、足も。何もかも動かない。

ただ心臓だけが馬鹿みたいに動いていた。まるで、そう、警鐘のようだ。

「そっか……。ごめん。私なんかがここにいたら邪魔だよね」

違う違う。
そんなわけない。
邪魔じゃない。
側にいて欲しい。
俺が好きなのは茜だ。
だから、そんな顔をしないで欲しい。

たのむ、動け。
彼女にそんな顔をさせたくないならば言えばいい。
なのに、なのに、なんで動かない。動いてくれない。

怯えたから…? 関係を壊すことに、俺が怯えたからなのか?

「ごめんなさい、菅原先輩」

茜は儚げに微笑んで部室を出ていく。

やっと着替えられる。
部活はもう始まっている。早く着替えなければ。
誰かが心配してやって来てしまうのでは。

頭と心臓はどれだけでも動くのに、他はどこも動かない。

俺は茜が出ていった扉を見つめ、静かに崩れ落ちた。

「ああ、間違えたのだ」と、そんな声が聞こえた声がした。

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