スガさん中編 | ナノ



朝練が終わり、俺は大地と一緒にクラスに向かった。クラスメイトの半数以上はもう席に着いている。俺たちも自分の席に座り、HRの開始を待つ。

やがて担任がやってきて、出席と処連絡を済ませると休み時間となった。確か、一時間目は理科。南校舎にある物理実験室に移動だ。俺と大地は視線を交わし、教室を出る。移動教室は大地とすることが多い。

雑談をしながら歩いていると、すぐに移動が完了した。俺は窓側の席に座る。南校舎の窓からはグラウンドが確認できる。見ると、女子がサッカーをするらしい。

チャイムが鳴り、授業が始まる。先生の話を聞き、ノートを写し、いざ実験。
器具を用意しながら順序を脳内で反復していると、グラウンドの方から甲高い悲鳴が聞こえた。俺は思わず肩を揺らしてしまう。三階のこの部屋まで聞こえたのだ、かなりの人数が悲鳴に気付いただろう。
クラスメイトは窓に身を寄せ、グラウンドに視線をやる。流石の先生も野次馬と化していた。

俺も例に漏れず、グラウンドを見る。そこには、女子の人だかりが出来ていた。その中心では、誰かが倒れている。誰だろうと目を凝らしていると、大地が悲痛そうな声を上げた。

「茜…!!」

弾かれたように走り出した大地は、あっという間に教室から姿を消す。「なんだ?」と騒ぐ教室の中、俺だけは何が起こっているのかを察していた。

きっと、今倒れているのは茜だ。だから、大地は駆け出した。大地には見えたのだ。あれが誰かがはっきりと分かったんだ。

今一度グラウンドを見やると、そこに倒れているのは確かに茜。俺の足は、廊下に向けられていた。

「あ…!!菅原くんまで!?」

教室から聞こえる先生の声を振りきって走る。俺が行っても何も出来ないかもしれない。大地やノヤが適任かもしれない。だけど、俺は助けたいと願ってしまったのだ。彼女を。茜を。

階段を駆け下り、素早く外靴に履き替えグラウンドに飛び出す。既に大地は女子の群れの真ん中にいた。俺もそこに向かう。

「スガっ」

大地はこちらを振り向くと、少しだけ身体をずらしてくれた。そのお陰でしっかりと視認できた。そこに倒れているのはやはり、紛れもなく茜だ。誤解だと願っていたが、それは叶わなかった。

「俺はここにいるみんなに事情を聞くから、スガは茜を保健室に運んでやってくれ」
「あ、…うん。分かった!」

俺は横たわる茜を見つめる。迷っている場合じゃない。一度拳を握りしめ、彼女の身体と地面の間に腕を通す。ゆっくりと持ち上げるが、重たくはない。しかし、ぐったりと項垂れるその姿は、どこか生気を感じなくてゾッとする。早く保健室に連れていかないと。

顔色は見たことがないくらい青白くて、俺の不安を助長した。
必然的に進む足取りは早くなる。茜を抱えていても疲れはない。火事場の馬鹿力とでも言えばいいのか。火事ではないけれど、確かにそんな感じだ。

三分もかからぬ内に保健室に着いた。両手は塞がって扉を開けることは出来ない。俺は足の爪先で扉をノックした。

「はいはいはーい。どうしましたか」

どこか気の抜ける声と共にその扉は開いた。そこに立っているのは紛れもない保健室の先生。先生は俺の腕の中でぐったりとしている茜に視線をやり、一気に表情を引き締めた。いつもの穏やかな様子は微塵も感じない。

「菅原くん、品野さんをベッドに」
「っ、はい!」

俺はベッドの近くまで歩み、茜をゆっくり寝かせる。寝台に身を預けるその姿は、不気味なほど美しく見えた。

「うーん、芳しくないねぇ…」

先生はそう呟くと、茜の頭に氷嚢を押し当てる。彼女がそれから手を離したため、今度は俺がそれを支えた。

「茜は……品野さんは大丈夫ですか?」
「いや、うん。対応が早かったね。多分軽い脳震盪だと思うよ」

ほら。そう言って先生は茜の前頭部の髪を掻き分ける。先生に誘われるままそこをよく見ると、赤く腫れ上がっていた。

「たんこぶが出来てる。多分ボールかなんかが当たったんじゃないかな?」
「今日の体育はサッカーだったそうです」
「うーん、なら、それだね。顔色が悪いから…多分、寝不足か空腹でボーッとしてた時に当たったんだと思う」

寝不足に、空腹…。彼女をそこまで追い詰めるような何かがあったということか。でも、そんなこと何も思い当たらない。

「菅原くん、授業は…」
「……どうしても心配で、抜け出してしまいました」
「うんうん。そっか。そうだね。君はいい子だよ」

「私はちょっと事情を聞いてくるね。菅原くん、品野さんを頼んだよ」そう残し、先生は保健室を出ていく。俺はそれに会釈を返し、茜が横たわるベッドの横にあった丸イスに座った。

「茜……」

俺は氷嚢を持つ手と逆の手で彼女の手を握る。冷たくて、少しだけ怖い。
途端、彼女の手が震えはじめた。いや、違う。震えているのは俺の手だ。
いつか彼女が手の届かないところに行ってしまいそうで怖い。俺はそう思ってしまった。瞬間過るはノヤの顔。俺は必死にその姿を掻き消す。今茜の側にいるのは俺だ。それだけで十分じゃないか。

「だから…止まれ……」

どれだけ強く願っても、手の震えは止まってくれなかった。

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