きさらぎより | ナノ
離別
それから山田さんは何も言わず、私が落ち着くのを待ってくださった。なんて優しい人なんだろう。苦手だと思っていた自分が恥ずかしい。
「ありがとう……ございます……」
私の小さな感謝に、山田さんはほのかに微笑む。
両親に伝えきれなかった感謝。今度からはちゃんと口にしよう。それが、親孝行だと思うから。
この世界で生きる覚悟なんてない。
室町時代なんてよく知らないし、多分私の常識なんて通じない。
でも、生きていかなければならない。なぜなら死にたくないから。
死ななかったらいつか。いつかははっきり分からない。だけども「いつか」。
いつか、帰るその日のために。
来るか分からない、その日のために。
「廉奈さん、君に頼みたいことがあるんだ」
「私に?」
山田さんは自らの懐を漁り、何かを私に差し出してくる。
手紙のようだ。
「これは、私が父に宛てた手紙」
「山田さんの…お父さん……」
「これを父に届けてほしい。そして、すぐに読むように伝えてほしい」
「私が、届けるのです、か?」
「ああ」山田さんはしっかりと頷いた。私はぎゅっと唇を噛み締める。
私が、こんな大切な物を任されるなんて。自分で届けた方がいいのでは、と不遜ながら口にすると、山田さんは「私は今、森から出られない」とだけ答えてくれた。それがなぜかは分からないけれど、私にしか出来ないことらしい。
「私は難しい仕事をしていてね、たくさんのツテは持っていても、必ずしも信頼が持てる相手ではないんだ。だから、頼れるのは父と、「あの場所」だけ」
山田さんは真剣な顔で私に告げる。私は話の半分も理解できなかったが、なぜか頷いていた。
「ああ、それと……」
山田さんは立ち上がり、小さな机に向かい、また座る。そこで筆をとり、何かを紙に書き記していた。
しばらく待っていると書き終わったのか、それを器用に畳んだ。
「これも、渡してくれ」
と言われ受け取り、先に受け取った手紙に重ねる。どちらにも物凄い達筆で「父へ」と書かれている。
「それから、その姿じゃ目立つ。これを来なさい」
山田さんは私の前に女物の着物を差し出した。私は頷いてそれを受け取る。
和装コスプレの機会があったから、着付けは出来る。
山田さんは「少し外に出ているよ」と言って、小屋を出ていった。私はその隙にワンピースを脱ぎ、着物に着替える。肌触りがいい。新品ではないようだけど、かなり品はいいようだ。
時間をかけて着付けを済ます。受け取った手紙は二枚とも懐にしまった。
しばらくして山田さんが帰ってきた。
「うん。よく似合っている」
「ありがとうございます…」
山田さんに誉められると素直に嬉しい。お世辞でも、嬉しい。
私は山田さんが用意してくれた赤い緒の黒い下駄を履き、外に出る。眩しい太陽の光が、木々の隙間で踊っている。
「いいか、今から君が目指す場所は「忍術学園」だ」
「忍術、学園?」
「余り詳しくは聞かないでくれ。場所はすごく複雑だが、森を出たところに使いを呼んでおいた、忍術学園の生徒だ。彼らが案内してくれるよ」
「は、はあ……」
忍術学園……なんだか知っている気もする。でも、どこかで引っ掛かって出てこない。
「よし、では行ってきてくれ」
「あ、は、はい!」
私は森を出るために歩き出す。山田さんが示した先には狭いながらも人が通れる道があった。
慌てて振り向いて山田さんに頭を下げる。頭を上げて「い、行ってきます!」と言うと、彼は複雑そうに笑うだけだった。