きさらぎより | ナノ
非常

きさらぎ駅から森に迷い込んでしまった私は誰かに助けられた。声や掌の大きさからして男の人だろう。
男はあまり得意ではない。ガキばかりだし、うるさいし、オタクをバカにしてくるから。でも、今はこの人にすがるしかないのが事実だ。

男の人は夜目がきくのか、通りやすい道を歩く。私はただただ静かにその背中を追った。早く森から出たい。しかし一向に木々は晴れない。

「着いた」
「え」

男の人は途端に足を止める。どこに着いたのだろうと彼の視線の先を追うと小さな小屋がある。

いくぞ と呟いた彼は躊躇わず中に入っていく。勝手に使ってしまっていいのだろうか。でもそんなことを聞く勇気は私には無くて、続いて中に入る。
私が入った瞬間、小屋の中が明るくなった。こんなところに電気が通っているんだ、と感心したがよく見ると小屋を照らしてるのは蝋燭。やはり電気なんて通っていない。

「きみ、変わった格好をしているんだな」
「え……?」

そんなことを言われたのは生まれてはじめてで、思わず顔を上げた。そこにいたのは和装に身を包む男性。高く結われた髪は所謂髷のようにも見える。
………顔は綺麗だ。

変わっているのはそちらではないのか、と思ったが口にはしない。でも、ただのワンピースなのだがどこがおかしいのか。

「それは南蛮渡来の服か?」
「え、な、なん、ばん……?」

南蛮ってあの、歴史とかで出てくる……。確か信長とかそういう時代だった気がする。
ワンピースは「洋服」だし、確かに南蛮渡来であるとは思うけれど、でもこの服のメーカーは日本のだし……。
なんて答えたら正解か分からずにまごついていると男性はふっと笑顔を浮かべた。こういう優しそうなタイプ、苦手だ。

「いや、気にしないでくれ。他人の服にとやかく言えるほど洒落者ではないからね」
「あ、はい……」
「ああ、座ってくれ」

と男性は座る。私もそれに習って座ってみた。
小屋の真ん中には囲炉裏がある。はじめて見た。
私と彼は囲炉裏を挟んで向かい合う形だ。

「自己紹介がまだだった。私は山田利吉」
「山田………利吉……さん」

なんだろう。聞いたことがある気がする。
この人に安心する。思い出せない。なぜ思い出せない。
思い出せないってことは、知っていたということ。
忘れてしまったの? なにを。記憶を?

「あ、私は……佐渡廉奈です」
「名字があるのか………ああ、すまない既婚者なのか」
「え……………?」
「いやはや、すまない。早く家に帰りたいだろう。今夜だけ泊まって森を抜けるといい。夜は危険だ。旦那さんも気にしているだろう」

なにを、言っているの?
どこから私が既婚者ということになったの?
旦那ってなに? 二次元の話?

「いえ、あ、あの、私まだ、独身なんで……」
「ほう?そうなると佐渡という地から来たのか?」
「え、いや、あの、そんなことは、ないですけど……」
「そうなのか?ならばその名字はどうした」

名字?
名字をどうしたって、生まれた時から私は「佐渡」なのだけど。

何かが決定的に噛み合っていない。
そして、これを聞いてしまったらダメな気がした。


「あの、今、何時代ですか?」
「時代……?」
「あ、じゃあ、その……幕府、とか」
「幕府か。室町幕府だ」


ああ、ほら、終わった。

この人が嘘をついているとは思えない。だってこんなに噛み合わないんだもん。


「う、そ………」


でも、「嘘」だと言わなければやっていけない気がした。


私はきさらぎ駅を通して、タイムスリップしてしまったのか。

あれ?ずっと、つらい現実から逃げたかったのに。こうやって逃げれて、嬉しいはずなのに。
今すぐ現実に帰りたい。タイムスリップなんて、どうすればいいか分からない。

ただ、簡単に戻れないのだけは分かった。




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