きさらぎより | ナノ
恐怖
トンネルを抜けたらそこは、森だった。
薄暗い空間に微かに木々が見える。涙で歪んだ視界にはぼやけてしか映らないけれど。
足はもう自由に動く。ここが地獄じゃなくてよかった。とりあえずきさらぎ駅に戻ろう。
私は引き返そうと振り向く。しかしそこにトンネルは無かった。
「え……?」
思わず声が溢れる。
うそ。だって私、トンネルを潜って。
え、じゃあ、なんで。
トンネル……は?
まさかの出来事に頭がパンクしてしまいそう。
どうすればいいのかも、どこにいけばいいのかもなにも分からない。
私、どうなってしまうの。
その時、付近の草むらががさりと揺れた。
その音に身体が強ばる。怖くて、動けない。
なに、いまの。
もしかして……熊?
や、だ。やだやだ。死にたくない。
ど、どうすれば。目を離してはいけないんだっけ。ずっと、見詰めて、それから……?
熊なんて、知らない。どうすればいいかなんて分かんない。分かるはずがない。
がさりがさり。また草むらは揺れる。
「こな、いで」
音は確実にこちらに寄ってきている。
無理。もうやだ。
死にたくない。死にたくないよ……。
家に帰りたい。帰らせてよ。
「お父さん……お母さん……」
どうでもいいと思っていた家族に、こんなに会いたいと思うなんて……。
助けて。
がさっ、と一際大きな音がして、草むらから何やら黒い物体が飛び出した。私は目を逸らして身を屈める。ああ、逸らしてしまった。ダメだ。殺される。
しぶとく生きてきたこの人生。まさか熊に終わらせられるなんて。
「何をしてるんだ、こんな森の奥で!」
しかし、聞こえてきたのは人間の言葉。獣のうなりなんて聞こえない。
私は恐る恐る目線を上げる。
暗闇でよく見えないけれど、月明かりを受けて浮かび上がるそのシルエットは、紛れもなく人のものだ。
「あ…………あ………」
上手く声が出ない。
でも涙だけは溢れてきた。
ボロボロと情けなく私の膝を濡らす。
熊じゃなかった。
私まだ、生きてる。
命がある。
助かった。
まだ本当に助かったわけではないのに、命があるだけですごく救われた気がする。
「あ、ああ。脅かしてすまない……。立てるか?」
そっと目の前に差し出された手のひら。私はその手をとって立ち上がる。
まだ、死んでたまるか。