きさらぎより | ナノ
きさらぎ


その日は小さな同人誌即売会の帰りだった。
お目当ての作家さんに差し入れをして、新刊を買って、スケブを描いてもらって。最高の気分で帰りの電車に乗った。

Twitterで挨拶リプに奔走して、周りから見たら少しニヤニヤしているぐらいだったと思う。でも周りなんて気にしないでリプを飛ばしまくっていた。

とりあえずリプを飛ばし終わり、そろそろ最寄り駅に着くだろうと頭を上げると………。

「あれ?」

誰もいない。

いや、そんなはずはない。
だって私の最寄り駅は結構栄えている方だ。だから、それ以前に私以外が降りてしまうなんてあり得ない。
慣れているのに乗る路線を間違えたとも考えにくい。

まさかと思っていた私に、唐突にとどめが刺さった。


−−…………つぎは…………さらぎ…………きさ……ぎ………−−


「きさ、らぎ……」

ああ、空耳だろうか。


電車はゆっくりと速度を落としてついには止まる。
恐る恐る携帯の時計を確認すると「17時23分」。あり得ない。15時ごろに乗ったんだ。20分も揺られていないはずなのに、こんな時間なわけない。

それに私が、きさらぎ駅に来るなんて………あるわけ、ない。

ぷしゅーと暢気な音を立てながら扉が開く。降りてたまるか降りてたまるか降りてたまるか。
降りないでずっとここで止まって、抜け出す方法を考えよう。そうだ、それしか……。

「ヒイッ……!!!」

足元をぬめりとしたものが掠める。私は思わず立ち退き、電車から出てしまった。
無理だ。あんな気持ち悪いものがある空間にいられるわけない。嫌だ。気持ち悪い。あり得ない。

確かきさらぎ駅って電話もメールも届かないんだっけ?あと、なんだっけ。ここの食べ物を食べちゃいけなくて。駅から出てはダメで。それからそれから。ああ、もうダメだ。分からない。

分からない?
そうだ。名前を忘れてはいけないんだ。大丈夫、まだ覚えている。住所も。携帯のメモ帳にメモしておこう。
それから………。
何かを燃やしたら出れるんだっけ。でも燃やせるものなんてない。鞄の中に紙はある。けどこれは大切なスケブや同人誌。燃やせるわけがない。

そうだ!Twitterは繋がるんだ!

私はそれを思いだし、Twitterを開いた。その瞬間。


−−………廉奈………廉奈………−−


名前を呼ばれた気がした。

私の足は意思とは裏腹に駅に併設するトンネルに向かう。

ダメ。
あのトンネルを潜っちゃダメ。


− かたす −



トンネル上部に記された掠れた文字に涙が溢れてきた。
気付くと手元に鞄がない。

帰れなくなる。
戻れなくなる。
ダメだ。止まれ。嫌だ。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ



私は、トンネルを潜ってしまった−−。



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