たった一つのお願い

隠さないで

嶺二さんはいつも笑顔を絶やさない。
誰に対しても、どんな時でもずっとにこやか。
それはもう猫かぶりとかそういう次元ではない。カミュさんとはまた違った隠し方。誰にも本音を見せないその姿はプロとして尊敬するし、人間として憧れる。その反面、なんて愚かな人なのだろうかと思った。

笑う門には福来るなんて言うけれど、それは本当?
嶺二さんは辛くても笑っていない?
それって結局、一番辛いのは嶺二さんだ。
そんなものを他人は福なんて呼ばないでしょう?
もちろん私も、そんなものを福だなんて思わない。

なぜ周りは誰も気付かない。
彼が「偽物」かもしれないことに。
それはアイドルとしての寿嶺二しか見ていないからだ。
そして嶺二さんはあえてアイドルとしての自分しか出していない。
彼の「本物」はどこにある。きっとそんなことを聞いても笑われるだけ。分かっている。彼もそれを分かってて、笑うんだ。

だから思わず服の裾を掴んでしまった。事務所ですれ違って、それだけにしておけばいいのに、ほぼ無意識に彼の服の裾を掴んでいたのだ。まるで飢えた狩人ではないか。

「ライターちゃん?」

シャイニング事務所直属のシナリオライターである私は、彼にそう呼ばれている。私を「ライターちゃん」なんて呼ぶのは彼だけ。それがちょっぴり嬉しいだなんて、口が裂けても言えない。

「すいません、嶺二さん。掴む気なんてなかったんですが……」

私は慌てて裾から手を離す。
淡々とした謝罪に、嶺二さんは心底楽しそうに笑った。
きっとその笑顔も虚像。周りを騙せても、私だけは騙されない。

「いいよんいいよん!どうしたのライターちゃん。悩み事?」
「悩み事………かもしれませんね」
「お兄さんに相談してみない?意外と力になるかもよ!」
「いえ、私は嶺二さんに力を借りたいわけじゃありません」
「がびーん!正直だなぁ、もう」
「私はあなたの力になりたいんです」

私の一言に今まで笑顔だった彼の顔から笑顔が消えた。それもほんの一瞬だけ。気づいた時には彼はすでに笑顔になっていたのだ。

「なんで?」

彼の目は笑ってない。
ただ私に無慈悲なほどの疑問を突きつけてきた。

なんで……なんて、聞かれると思ってなくて、私は言葉を失った。
彼は周囲を見回すと、誰もいないことを確認してから私の肩を掴む。やんわりと、それでいて逃れられないなにかがある。

「悪いけど、僕は君の力を借りる必要がない」

必要がないならそんな苦しそうにしなくていいじゃないか。
縋るように肩を掴まなくたっていいじゃないか。
分かるの。私はあなたが好きだから。
助けなきゃ、助けたいって思う。

「隠さないで」

私の一言に嶺二さんは目を丸くした。
彼は苦笑いを浮かべて、私の肩に顔を埋める。
柔らかい髪が首筋を撫でた。

「ほんと……運がないなぁ………。こんな鋭い女の子に出会っちゃうなんてさ」
「嫌でしたか?」
「嫌になれたらよかった。君の言葉を笑い飛ばせるほど完璧なアイドルなら……よかった」

嶺二さんは嫌々をするように私の肩に顔をこすりつけた。
ここは事務所だから心配になって辺りを見渡すが、本当に誰もいない。
抱きしめ返したいと思ったが、それはなんだか憚れて、私はその様子を見守った。

「これは贖罪。僕は許されない罪がある。だからこそ、この世界から逃げられない。逃げちゃ、いけない」

まるで独り言のように呟く彼は痛々しくて、愛しくて、私はそっと瞼を下ろした。



by アキ