たった一つのお願い

曲を作って

「おーい、春歌〜」

撮影現場の廊下で見知った背中を見つけた。オレは周りにスタッフがいないのを確認してから声をかける。すると案の定彼女は素っ頓狂な声をあげた。
赤い髪を翻しながら振り向いた彼女は、オレを見て顔を輝かせる。あーもう、分かりやすいなぁ、こいつ。

「名前さん!」
「んー、久しぶり、春歌」

彼女は七海春歌。
最近売り出している新進気鋭の作曲家だ。
まだデビューしてから間もないが、数々の名曲を世に送り出している。
彼女はアイドルのオレとは違う事務所に勤めている。が、オレが主演したドラマの主題歌を彼女が作曲し、その関係で知り合うことができた。

実はオレたちは付き合ってたりするのだが、もちろん誰にも内緒。
春歌は可愛いし、周りに色んな男がいるから変なのに声をかけられないか心配だけど、これだけは誰にも言うことはできない。お互いの未来も、夢も潰してしまうことになる。

だから、こうやって偶然会えるのは珍しい。せめて事務所が同じならとも思うが、そこは互いに「妥協できない」ということは確認済みだ。

「なぁ、春歌」
「どうしましたか?」

彼女は胸元に五線譜を抱えながら首を傾げる。
いいなぁ。これ、誰の歌だろう。ギター中心のポップだから……音也かなぁ…。ああ、こんなかっこいい歌を歌えるなんて羨ましすぎる。

「オレ、春歌の歌を歌いたいんだ」
「へ?私の歌、ですか?」
「そ。春歌がオレのことを思って、オレのために作曲した曲を、オレが春歌のための歌詞をつけて、春歌のために歌う。素敵じゃね?」
「す、すごく素敵です!」

オレの計画に、春歌は興奮したように両目を輝かせる。
春歌は顔に出やすいからすごく嬉しい。
そんなにキラキラしちゃうか。オレの計画、そんなにすげぇか。
なぜか得意な気持ちになってくる。

「で、でも、どんな曲にしましょう…!!」
「え」

まさか、すでに春歌の中でこの計画は始動していたのか。オレが何か口を挟む前に、春歌は作曲用のノートを取りだし、立ったままそこにイメージやコンセプトを書き込んでいる。

「ちょ、春歌、早い…」

オレの一言に春歌はガバリと頭をあげた。パチリと目が合うと、彼女は慌てた様子でノートを閉じる。

「す、すいません……気持ち、逸っちゃって……」

こりゃダメだ。謝りながらも春歌の意識はノートに向いている。
オレは小さくため息を吐き、彼女の頭を撫でる。

「七海、春歌さん?」
「は、ははい!」
「オレのために、作曲してくれませんか?」

オレの言葉に一度は呆然とした春歌も、数秒後には理解したようで、双眸を見開いた。
これで、これはお遊びの約束ではなくなったのだ。
つまり、仕事。春歌はオレから仕事を受けた。それだけ。

「はい!よろこんで!」

春歌は満面の笑みで頷き、ノートを開く。

ああ、どんな曲が生まれるのか…想像しただけで……。

「楽しみだ」

春歌なら最高の曲を作ってくれるって信じてる。



by アキ