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三話
僕の従兄弟、千鶴は直ぐにこの環境に順応し、クラスの中心になっていた。
傑兄ちゃんと親しいってこともあるけど、大きな理由は彼女のさりげなく人目を惹く容姿や屈託ない人柄によるものだと思う。
転校生お約束の質問攻めにあって多少…いやかなりたじろいでいるけど。
「すっかり人気者だな、あいつ」
「祐介」
前方に人の気配を感じで視線を向けると、彼女の幼なじみで家が対面しているという、親友の祐介が座っていた。
「従兄弟なんだろ、助けてやらなくていいのか?かなり困ってるみたいだぜ」
「祐介に譲るよ。幼なじみなんでしょ?僕には無理だって、男子に疎まれたくないもん」
いかにも態とらしく人だかりを指す祐介に苦笑いで返せば、俺もだ、と同意される。
互いの意見が合致した所で先程から隙をみては求められる彼女の救援要請を泣く泣く遮断し、僕らは遠くからの傍観を選択した。
(ごめん千鶴、僕はまだ自分の命が可愛いんだ!)
「千鶴、いるか?」
「っ傑!!」
突如室内の雰囲気が変わり、女子の悲鳴じみた声が耳を突き抜けたと思ったら、二年生のはずの兄ちゃんが扉の前に現れた。
ただ立っているだけなのに存在感抜群の兄ちゃんは、周りのテンションなど微塵も気にすることなく名前を呼んだ彼女を招く。
助かった、とばかりに安堵の表情を浮かべた彼女はパタパタと兄ちゃんに近づくが、当然みんなの興味を引いていた。
「えらくモテてるな、疲れた顔してるぞ」
「傑の方がすごいけどね…。それで私に何か用?」
茶化すように口元を上げる兄ちゃんに千鶴は肩を落として尋ねる。
すると兄ちゃんは持っていたクリアファイルをちらつかせて言った。
「入るんだろ?サッカー部。顧問の所行くついでにお前を紹介しようかと思って」
今時間大丈夫か?と聞いてきた声に千鶴はパッと頭を上げる。
「本当!?全然大丈夫だよ、ありがとう!」
僕からは見えないけど、千鶴がすごく喜んでいるのは明らかだった。
「いいよ別に。手間が省けるしな。ほら入部届持ったか」
「うぁ、そうだった!
どこやったっけ…」
「どんくさいと置いてくぞ?」
「何だと…ってちょ、待ってよ傑!
私まだ道覚えてないのに!」
千鶴は慌てて机から入部届と思しき紙を引っ張り出して先に歩いていった兄ちゃんを追い掛けた。
注目の的だった二人が居なくなり、教室の空気が静まること数十秒。
瞬く間に先程の光景についての話題で溢れ返った空間は一気に騒然とする。
「…駆、今の見た…よな」
二人が居た廊下付近を見つめたまま、祐介は驚きを隠せないようで途切れ途切れになりつつも僕に確認してきた。
かくいう自分自身も未だ信じられないで目を瞬きさせているのだけど。
「兄ちゃん……笑ってたね」
大人びた性格の兄ちゃんは何事にも冷静で基本的に表情を崩さない。
小さい頃は良く笑ったんだけど、最近はそれを見ることすら稀になっていた。
『どんくさいと置いてくぞ?』
けれど先の会話の中、必死に机を漁っていた千鶴には見えなかったであろう兄ちゃんは、とても楽しそうな笑みを湛えていたのだ。
切れ長の瞳によって拍車がかかるキツイ印象ががらりと変わる幼い笑顔―――それが僕の知る傑兄ちゃんの上機嫌な証。
それをあんな簡単に引き出してしまう千鶴に心底感心した。
「やっぱりスゴいなー、千鶴は」
「…随分傑さんに懐いてるな」
ぽそりと若干下がったトーンで呟かれた言葉は、あの少ない会話が漂わせる二人の関係を鋭く洞察していた。
誰、とあえて主語は伏せた祐介の呟きに視線は外してゆっくり口を開く。
「千鶴の両親の事は知ってる?」
あまり大きな声では言えなかった質問は肯定されたが、どこか虚しさを覚えた。
笑顔の絶えない彼女を思いながら続きを紡ぐ。
「あの事件の後、千鶴の支えになってたのはうちの兄ちゃんなんだ」
自然と脳内に映されたのは、一年前に代表の海外遠征から帰ってきた兄ちゃんの深刻な面持ち。
今でも忘れることの出来ない悲しい事実だった。
それ以来兄ちゃんは海外へ行く度千鶴に会ったり、頻繁に手紙を送ったりと甲斐甲斐しくコンタクトを取っていた。
手紙の返事から伺えた回復の様子に、ほっとしてつい涙を流してしまったのを覚えている。
「そうか…」
そんなことを伝えれば、伏し目がちに彼女の机を見る祐介。
どこか切なそうでもある表情に話しかけ辛くなり縮こまっていると、急に開かれた教室の扉がそれを破る。
「っもー何だよ傑の奴…。
ちょっと間違える位誰にでもあるでしょうが」
「千鶴?早かったね…」
唇をつきだしながら何やら不満そうに歩いてきたのは今まで話題にしていた彼女で。
本当に素直に思った疑問を言えば、千鶴は再び机を捜索していた。
「いや、職員室いって熊谷監督に会ったのは良かったんだけど…。
勢いつけて出した入部届が実はスーパーのチラシだったって落ちでね」
「落ちてねーよ見事に滑ってるだろ」
思わず机から転がりそうになった僕を支えてくれた祐介が間髪入れずにつっこんだ。
「わ、私も悪かったと思ってるよ!でも傑ってばいきなりゲンコツで殴ってきてさ、女の子に!」
「痛さの分だけ強くなれる。いいから早く行ってこい」
「駆ーーー!祐介が冷たい!」
多分拍子抜けしたんだと思う祐介は、恥ずかしさから素っ気ない態度をとっていて、それに気付かない彼女のむきな様子に苦笑しか出来なかった。
「何さ二人して…!いいよもう行くし!」
「今度は間違えるなよ」
「るっさい!……」
「「(あ、確認してる)」」
やっと本物の紙を見つけた彼女は半分拗ねた様にその場を立つが、祐介の一言を真に受けてもう一度手中の物を見るから祐介と小さく笑ってしまった。
「笑わないでよ、ゲンコツ痛いんだから!
くっそ放課後見てろよ…」
こちらを睨む彼女は、一度扉の向こうに消えたものの、またひょっこり顔を出して僕らを指差す。
「部活!一緒に行くんだから祐介達まで置いてきぼりにしないでよ?」
軽くむくれて残した捨て台詞に、僕たちはこの間の兄ちゃんと千鶴みたいに吹き出して笑った。
「全くあいつは…」
涙まじりにそうこぼした祐介が嬉しそうだったのは僕の気のせいではないはずだ。
可愛さ余って
(愛しさ百倍)
(僕、祐介なら安心して任せられるよ)
(?何を)
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