シリウス


「葵、鬼ごっこしようぜ」

「…ついに頭いかれたの?バカ犬」

談話室でいつもの様に次回の授業の予習をしていたら、珍しく真剣な面持ちのアイツが言った。


この男、シリウス・ブラックとは単なる顔見知り程度だった。
…ハズなんだけど。

奴とのファーストコンタクトは一年前の冬。

今まで私しか使用していなかった古いゲレンデで読書に没頭していた所、いきなりアイツが飛び込んで来たのが始まり。

文字の通り飛んできたのだ。


――――ガタガタッ

『あ゛ー!いつまで着いて来るんだよフィルチの野郎!!ホントしつけぇ…!!』

私の見間違いでなければ、奴は室内から箒で屋外に出てきた。

どうやらまた悪戯を仕出かして追われているらしい。校内の情報に疎い私でも容易に察する事が出来る程、彼を含むメンバーは有名だった。

まぁ、だからと言って顔と名前が一致する訳も無く、有名人に興味がない私は管理人に見つかる前に早く出ていって欲しいと切に願っていた。

『……ねぇ』

『うわっ、な、何だよ』

希望に反して立ち去る様子を見せない為、仕方なく此方から声を掛けると何ともすっとぼけた返事が返ってきた。

…気付いてなかったのか。

失礼な、と思いながらも用件を手早く伝える。

『そこの椅子の下に地下に繋がる隠し階段があるの。校長以外には誰にもバレていないから使うといいわ。追われているのでしょう?』

『そ、うだけど…何で?』

頭の上にクエスチョンマークを飛ばしながら尋ねてくる姿はまるである生物の様で、何だか少し微笑ましく見えた。
が、私の読書の障害になるものは早急に除外させてもらう。


『見て分からない?私は今読書に集中したいの。管理人が来て尋問されるのは真っ平ごめんなのよ。早く立ち去って欲しいだけ』

自分でも思うほど冷たく吐き捨てたのに、対象の彼は切れ長の目をぱちくりさせて私の方を凝視していた。

…顔が良い人は間抜け面も様になるのね、畜生。

それから奴はとんでもない事をのたまったのだ。

『…お前、俺に興味ねぇの?』

奴の何気無いつもりだったのであろうその言葉は私の逆鱗に触れるには充分だった。

『とんだナルシスト精神ね、端正な顔立ちは認めるけど女の誰もがあんたを好んでくれると思ったら大間違いよ。
私はあんたの名前も知らない位あんたに興味がないの。だからこれ以上の関わり合いは無用だわ。分かったら早く去ってくれる?』

冬独特の冷たい風が吹き荒び、頬に突き刺さる。


皮肉を込めて言う私の苛立ちは最高潮だったのに、奴の言動は私の予想を斜め上に越えて思考回路を一瞬停止させた。

『お前おもしろいな…!!』

『そうよ私………はぁ!?』

キラキラしたあどけない少年の笑顔がそこにあった。

『俺のことそんな風に言った奴、お前が初めてだ。気に入った!何て名前だ?』

『人に名を聞く時は自分から名乗れ礼儀知らず!』

つい反射で言ってしまった言葉にすぐ後悔した。

喧嘩売ってややこしくしてどうするんだ自分…!!

しかし奴はまたもや想像の範疇外の事をしてくれるのだった。

『ははっ!!やっぱりおもしれぇ!!悪かった、俺はシリウス。シリウス・ブラックだ。』

あまりにも楽しそうに笑う姿にすっかり毒気を抜かれてしまい、

『…金谷葵』

怒るのも忘れ呟いていた。

『葵か、良い名前だな。』

そう返した相手はまたひとつ微笑んで先程示した地下の扉に手を掛けた。

『助けてくれてありがとな、葵!シリウス・ブラックの名を忘れんじゃねーぞ?

…今に刻み付けてやるから』

振り向き様に一言残して。





これが、私達の出会いであり始まりだった。






「だから、鬼ごっこやるぞって言ってるだろ」

「だから、の意味が分からないのよ」

「相変わらず夫婦漫才やってるねー熱い熱い」

長き回想を終えて現実へと戻れば、しょうもないやりとりを繰り広げる始末に頭が痛くなる。

そんな私達の様子を、例の有名一団を率いる人物が小さく拍手しながらからかってきた。

「茶化さないでジェームズ、こちとら貴方達が放棄した躾を押し付けられて困ってるのよ」

「それは申し訳ない。何分アイツは犬のくせして態度は猫だからね、気に入った人にしか懐かないのさ」

「いい迷惑だわ。動物愛護団体に訴えるわよ」


「お前ら本人を目の前にして良い度胸してんじゃねーか…!」


横目でジトリと睨んでも飄々とした態度でかわすジェームズ。

あれから何かとシリウスに接触する機会が増え(不愉快極まりないが)、自然と彼の友達とも顔を合わせる様になった。

ジェームズもその一人である。
類は友を呼ぶ、とは良く言ったもので、彼らは良くも悪くも個性的で目立つ。

何を考えているのか見当もつかない彼らが私の意見を聞いてくれるとは到底思えず、諦めて御座なりだった勉強を再開した。


「ってコラ葵話を聞けって」

「自分の時間を割いてまで貴方に構ってあげられる程私は優しくないわ。ご主人様に遊んでもらいなさい」

「えー、そんなのこっちがお断りだよ。むしろ僕はリリーの犬になりたい!!」

「「黙れ変態」」

じゃれあい始めた二人の騒がしさに勉強する気を削がれ、自室に戻ろうと足を進める。

丁度階段に差し掛かったその時、何かに手首を掴まれ驚いて後ろを見ると。

「……何よ」

「今から開始な、鬼はお前だ」

「まだそんな馬鹿げた事言ってるの?」

いつもの様に軽くあしらうつもりだったのに、私を見つめる漆黒の瞳が強く此方を射ぬいてそれを許さなかった。

「・・・シリウ」

「なぁ葵、そろそろ決着つけようぜ」

それは、切望にも似た眼差しだったかもしれない。

ぶつけるべき言葉が喉をつかえて出て来なかった。



「期限は一週間。俺を捕えられたらお前の勝ちだ。」

「…メリットが、ない」

やっとの思いで発した台詞は、奴の憎たらしい微笑に飲み込まれてしまった。

ていうか何で私が鬼なのよ。

「永遠が手に入るかもしれないぜ?」



遠くでジェームズが苦笑しながら肩を竦めるのが見えた。







あの出来事以来、シリウスは私の前にぱったりと姿を現さなくなった。

どうやら本当に鬼ごっこをしているらしい。

奴がいない日常は何とも穏やかで静かに時が流れていく。

束の間の幸福を味わうべく親友のリリーとゆっくりお喋りに興じていた所、ふいに彼女が言い出した。

「そういえば最近貴女の可愛いペット、見ないわね」

あんなにしつこく取り巻いていたのに、と呟く親友に盛大に顔を歪ませる。

「ちょっと…止めてよリリー、アイツにはうんざりしてるんだから」

「あら、仮にも美形に迫られてるのだから満更でもないんじゃない?」

「冗談。顔が良ければいいってものではないでしょ。アレは私をからかってるだけよ」

思い浮かぶあの小憎たらしい姿に辟易し、折角淹れた紅茶が味気無く感じる。

「そう?私は良いと思うわ。犬はどんな動物よりも忠誠心が高く従順だもの。」

自分が言えた事ではないが、アイツに対する周りの認識に少しばかり同情した。

同時に目の前の、実は腹黒く毒舌家である美少女を慕う男子にも…。

「それに、彼の性格を知らないハズないでしょう。言い寄られる事はしょっちゅうでも、自分から近付いていったのは葵、貴女が初めてよ」

リリーの鋭く冷静な指摘に気恥ずかしくなり、手にしたティーカップを上げ下げさせる。

「うぅ…で、でも」

「毎日飽きもせずちょっかいだしに来るなんて相当想われてる証拠だと思うけど」

意地の悪い笑みを称えた彼女の視線に耐えきれず席を立ち上がる。

「…部屋行ってる…」


明らかに逃げようとしている私を追及する事なく、リリーは葵、と呼び掛け静かに微笑んだ。

「素直になりなさいな」

柔らかな声を背中に受け、返事もせずに歩き出した。

寮の談話室には生徒がまばらにしか居らず、自然とある場所に目がいく。

踊り場を支える柱に刻まれた真一文字の線の数々。

これは当時私より幾分か背が低かったシリウスが無理矢理やらせた背比べの跡。

1日で身長が伸びる訳ないのに、毎朝比べていたっけ。
それを挑発するジェームズとリーマスにムキになって対抗する幼い彼の姿が鮮明に頭に流れ込んで来た。

懐かしい映像に緩められた口元を慌てて戻し、振り切るように首を動かす。

(違う、本当に迷惑してるんだから!)

足早に階段を駆け上がり自室のドアを荒々しく開く。

同室者の驚いた視線を無視しベッドに飛び込むと、忘れる処か余計に昔の記憶が蘇ってきた。





『昨日振りだな葵!』

『…どちら様ですか』

『早速記憶から排除してんじゃねーよ!!』

『うるさいブラックどっか行け関わるな』

『お前がシリウスって呼ぶまで意地でも止めねぇ』

『うざ…っ』




だって

『葵ー!コイツらが葵に会いたいって!紹介するからこっち来いよー!!』


初めてだったんだよ

『なぁなぁ葵、今度の悪戯の計画!聞いてくれよー』

あんな風に屈託なく笑いかけてくれたのは

『…うん、こんなものかな。どう?葵』

『ん…此処はこっちの呪文を使った方が効果が長持ちするわよ』

『さっすがリーマスと葵!完璧だよ!』

『今回はもっと楽しめそうだな!早速仕掛けに行こうぜ』

『ま、精々頑張ってね』

『あ?何いってんだ。…怒られるときはお前も一緒だろーが!ほら行くぞ!』

『ちょ、引っ張らないでよ転ぶじゃない!』

  あんたなんか嫌いよ

その笑みに
差し出される暖かな手に
 いつだって私の心臓は鷲掴みにされて

 爆発しそうになる位痛いの

知りたくなかった

 こんなにも苦しくて苦しくて切なくて甘い感情なんて

だから私はあんたが嫌いなのよ


「……ああもうっ!!」

飛び起きるなり、乱れる髪も気にせず荒々しく駆け出した。


この不毛な遊びに終止符を打たなければ。


―――――

着いた先は私達の出会いの場所。

ドアの手前で一旦息を整えてから慎重に重たい扉を開く。
こちらの存在に気づかれる前にとテラスの縁に腰掛ける黒い背中めがけて飛び込んだ。
勿論顔を見られないようにしっかり密着して。


「ぐはっ…な、葵!?」

「ええそうよ認めてやるわよ!!」


少しでも羞恥から逃れるために力の限り声を出して自分を鼓舞する。
それでも彼の腰周りで結んだ腕の震えは止まらない。


「私はあんたが好きなのよ!悔しいけどあんたに惚れたの!宣言通り刻まれ過ぎて離れなくなっちゃったのよ…!」

何年間も胸にひた隠ししてきた想いが今、長い時を経て言葉になった。
勢いに乗せた言葉は絶えず彼のローブに流れていく。

自分で自分が上手く制御出来なくて、感極まるあまり涙も零れるが、最後の最後に一際強く想いをぶつける。

「私は…っこの世の誰よりもシリウスを愛してるわ!
あんただって私が好きなんでしょう?私をこんなにした責任とりなさいよ!」


すると急に視界が持ち上がった。
理由はムカつくしたり顔の奴が私をお姫様だっこなんてやらかしたから。
丁度水平になった奴の顔が迫り、唇を掠めとっていった。


「おっせーよ、ばぁか。そんなとこも好きだけどな」

「い、いちいち注文が細かいのよっ」


火照る頬を更に赤くしながら反論を試みたが、またキスで塞がれ呑み込まれる。
すっかり奴のペースに嵌まってしまったな、と思いながらもどこかで歓喜している己に呆れた。


「言われなくても一生側にいてもらうぜ?俺は初めて会った時からお前に捕われてたんだから」


「……あ、言い忘れてたわ」


私の発言に疑問を持ったらしい奴に妖しく微笑み、首元に抱き付いて囁いた。




つかまえた。
(鬼さんこちら)
(もう逃がさない)





- 7 -


[*前] | [次#]
ページ:




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -