前に、男が最も騙されやすいのは女の涙だと聞いたような気がする。
奴らの涙は全て演技だから気を付けろ、と泣きながら警告してきたのは惨めにフラれた知り合いだった。


「…、…ひっく…」


だとしたら今この場面も俺は騙されているのだろうか。

コイツ―――なまえの瞳から溢れるそれも、演技なのだろうか。





今日は快晴であった。
風も穏やかに流れていて、窓から射し込む陽光の暖かさに思った事は只一つ。

そうだ屋上行こう。

そう思い立った俺は、昼休みになると早速屋上へ足を向けた。


しかし。



「あ…た、鷹匠くん」

「なまえ…?」


昼寝でもしようと訪れた場所には先客がいた。
クラスメイトの彼女は、俺の登場に驚いたように目を見張る。

よく見るとなまえの目や鼻は赤く、頬は涙で濡れた筋になっていた。

その事実に俺も目を見開く。
クラスで見る限り、なまえは明るいムードメーカーで、泣き顔なんて想像もつかなかったからだ。



いつまでもお互い見つめ合っているのもアレなので、気持ちを切り換えて口を開く。



「あー…昼寝してぇんだけど。入っていいか?」

「……うん」


引き返そうかと思ったが、俺の気分は完全に昼寝モードであるため易々と退出は出来なかった。
単純になまえの様子が気になっていたのもあるが。

尋ねると、長い沈黙の後に鼻声で了承が得られる。


心の中で安堵して一歩を踏み入れると、この場の雰囲気に相応しくない爽やかな青空に包まれた。


ちくしょう、絶好の睡眠日和じゃねぇか。



顔をしかめて毒づきながら、無遠慮になまえの隣へ腰を下ろした。



「…昼寝、するんじゃなかったの」

「泣いてる奴がいるのに寝れるほど俺の神経は鈍くねーんだよ」

「じゃあ教室に戻ればいいのに」

「けど昼寝の体になっちまったんだからしょうがねぇだろ」

「…なにそれ」


なまえの抗議に屁理屈で答えると、やっと小さく笑った。
口元に軽く手を添えて笑い声をあげたなまえはだんだん表情を固くしていく。
分かりやすい変化を敢えて気付かない振りをして、俺も無言のまま悠久の青を見上げた。



あーあ、絶好の昼寝日和だなちくしょう。
これで好きな女が泣いてなけりゃ、本当に最高だったのに。




「…さっきね、フラれたんだ」


暫くしてなまえが話し出したのは、何となく予想していたが中々にショックだった。


そうか、と相槌をうって抱えてるものを全部吐き出すよう促す。
決して自分からは口を出さない。


「見込みないって。友達には戻れないって知ってたけど…バカだよねぇ。どうしようもなく好きだったの」



切なそうに細められた目尻から再び涙が流れ出す。
ポロポロと零れ落ちる雫は、太陽の光が反射してまるで真珠みたいに輝いていた。


先ほどの友人の言葉を思い出す。
これは明らかに演技ではないだろう。


なまえの涙を見て、男が騙されるのは女の流す涙があまりに綺麗だからかもしれないと思った。
惚れた欲目もあるだろうが、長い睫毛に伝った涙の粒や憂いを帯びた表情はなぜか胸を掻き立てる。

一種の芸術品かと錯覚する光景にしばし見惚れてしまい、なまえの言葉が最初はよく聞き取れなかった。



―――くん

知っているような知らないような、なまえが想っていた男の名前。


今度は別の意味で胸を掻き立てられた。
それが嫉妬心なのは言わずもがな。


「鷹匠くん、ごめんね…失恋話なんか聞かせちゃって。なんか、涙…止まらないからっ、うるさいから、一人に―――」


言葉が途切れたのは俺がなまえの頭に手を乗せて自分の方に寄り掛からせたから。
胸のざわつきと彼女の涙を無理やり押さえ付けるために。

当然なまえは呆けた顔を見せるので、雫の流れは一時止まった。



「…俺はこういうのには器用な方じゃねぇ。好きな女の慰め方一つ分かんねぇけどな、」

未だ心ここに有らずななまえをチラと見て、首を上に向ける。
俺やなまえの気持ちとは裏腹な、雲すらない清々しい青が憎たらしい。



ちくしょう、何で今日晴れてんだよバカ野郎。

なんで惚れた女が泣いてて、

その想い人が俺じゃねぇんだ、

自分には関係ないって顔しやがって、大空め。



「好きなだけなまえの泣き場所でいてやる位はできっから。俺は空だけ見てるから。…だから一人でなんて絶対に泣くな」

そのセリフに安心してくれたのか、俺の制服が引っ張られ、なまえが嗚咽をもらし始めた。

右手で震える頭を撫でてやりながら、らしくねぇな、と一人ごつ。


なまえが枯れるまで泣いたら、また笑ってくれるだろうか。
やっぱり泣き顔より笑顔の方が安心する。

だから、早くアイツの事は忘れろ。
俺は諦めが悪いから、アイツを思い出す暇なんて与えない位愛してやる。


次になまえが笑う時、その先にいるのが俺であるように―――


「好きだ、なまえ」

肩に抱えた小さな存在に、そっと呟いた。



君が泣くなら慰めてあげる
(拒否されなかったのは期待していいんだよな?)




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